紙の本
哲学は悟れない
2015/08/28 14:29
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:LOW-FI - この投稿者のレビュー一覧を見る
「本書は(略)哲学入門書の類ではない。対話体をとって(略)哲学的議論を展開した、純然たる哲学書であり、私のこれまでの議論を一歩進めたものである」(前書きより)
前半が日経新聞で連載、後半は書下ろし。新聞連載という制約された文字数を踏襲し、各話が見開き2ページに収まっている。新聞連載時の読者は途中で放り出されたような感じだったのかもしれないが、書下ろし部分になってもさらに問題に執拗に「ひたりついた」ままである。しかし、ようやく最後の方では全体の見通しが付いてくる。連載時に気になっていた人は、改めて通読すべき。
『<子ども>のための哲学』で示された「私」と「悪」の二大問題、『私・今・そして神』で示された「私」と「今」の関係について、今までよりもさらに大きな視点からの思考が続けられる。もちろん「結論」などない。著者はただ、各自が自分で考えるための一つのやり方を模範演技してくれているにすぎない。
考えることは楽しい。学くんは哲おじさんから離れて行ってしまうが、悟じいさんの境地に行ってしまっては、「生まれて生きた甲斐」がないというものではないか。
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哲おじさんの元にとどまるには稀有な才能が必要なのだろう。人生の価値を感じたい人はどうしても悟じいさんの方へ寄ってしまう。
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哲学の前知識なし、全く興味が無かった自分にはピッタリと思い読んでみた。でも堅い、読んでも頭に響かない。最後まで読んだけど、わからん。もしかすると、わからない事がわかったのかもしれない。
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評価しないっていうか、評価できない。これまでに何冊かは永井氏の著作は読ませていただいているけれど、これまでで一番、なんというか手応えがない。難しいとも言えるし、珍粉漢粉だとも言えるけれど、面白くないかと言われたら、なんだかんだで読み終わってしまっているので。
なんとなく10年後とかに本棚でふと目に留まってもう一度読み返す、そんな本である気がする(その時もきっと珍粉漢粉だろうけれど)。
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前半41章、後半41章の、計82章から構成されている。前半は特に、章ごとにクレッシェンドが激しい。後半は逆に、各章の全体がフラット気味になる。
哲学することは、自分を消すこと。一人称ではない、ということ。
例えば、本書の冒頭で、自殺する人がこんなに少ない、ということは、本人が自殺したいわけではないし、他人に自殺をすすめるわけでもない、という主旨がある。
一人称の自分の悩みを解決することは哲学ではない。解決するのは、それはおそらく宗教。しかし、宗教には嘘がある。これには共感できる。そして、私も宗教からは遠ざかっていたい。
あとは、「ほぼ」著者の今まで通りの独自の理論。みんなが並んでいる世界。その中で自分だけが特別だという世界。さらに、じつはみんなが自分が自分だけだと考えていたという世界。これが精査に調べ上げられていた。
自分は特別だから、ケーキを、もう一個食べるのが正しい。しかし、みんなが、それぞれ自分自身を持っているので、それは正しくない。いや、でも、それでも、自分がそういう世界にあって特別だというのがこれまでの永井理論だったのが、今回の話では、そのさらに上への止揚が否定された。これは特記に値する。「ほぼ」と上記に書いたのは、そのためである。
その理由として、吸収や超越によって、どこまでも続くのだが、言語という面からすると、区別がつかないわけだから、ということになる。
あと、自分の疑問として、「私は例外期間を生きている」「世界に私は一人しかいない」という二つの公理が成り立っていた。それなら、別の時間を生きる私がいてもいいことになる。いわゆる生まれ変わりだ。これについては触れられていないことが気になる。
私が悟じいさんになるということは、悟じいさんが悟じいさんとしての私でなくなる、ということを意味するだろうが、それは、それまでの悟じいさんがどこかへ消えてしまうことになる。もちろん、私と悟じいさんが入れ替わりになるというのでもいいのだが、それは不自然に感じられる。すでに、悟じいさんとしての知識を知っているときに、悟じいさんになるということがおかしいのではないか。悟じいさんの目から見え、悟じいさんの足が踏まれると痛い、というのはおかしい。
それよりは、まだ誕生してもいない将来の私、何の身体的特徴もなく、まだ何もわからない私になることは、悟じいさんになるよりは、楽ではないだろうか。神様としての仕事としても楽ではないか。あっ、でも、これって、毎朝起きるときのことでしかないのか。
変身願望があるのは、その人の性質を得たいからであって、そこから開けた世界を見たいとか、そういうことではないと思う。総理大臣になりたいから、安倍晋三になりたい、とかは、安倍晋三の顔や言葉遣いが欲しいからでしかない。
だから、安倍晋三の顔で鏡を見たいとか、安倍晋三の声でしゃべりたい、というのは、結局、安倍晋三のそっくりさんになりたいのと同じではないか。
本物の安倍晋三になることと、偽物の安倍晋三になることの違いは何で��ろうか。双子は時として、なりすましができる。本物性を崩すことによって、偽物が本物の安倍晋三になることも可能になるというのが私のここまでのところの結論である。
なんだか全く関係ない話の展開になってしまった。でも、刺激的な本であることは間違いない。
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哲学の問題を考える82の対話。
社会問題よりも、自分をとりまく社会の成立に対する疑問は、誰にも分かってもらえない。
「今までそうだった」のに、なぜこれからもそうだと分かるのか。
なぜ自分は今、この世に存在しているのか。
哲学的な、とても哲学的な対話が繰り広げられていきます。
仏教思想にも通じるところがあります。
理解が追い付かないところもあり、再読が必要です。
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なぜ自分は存在しているのか
この時代、この場所、この意識で。
そんなことを論じる一冊
分からないこと、答えがないことを、とことん考えるのが哲学なのだな