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大学で陽子は三井恵子の息子、達哉と遭遇する。
達哉は自分の母親と陽子がそっくりであることに
疑問を抱く。
北原と徹と陽子の友人である順子が
実はルリ子を殺害した佐石の娘だった。
啓造も夏枝もその事実を知ったが
順子のことを恨むよりむしろ哀れに思っていた。
達哉は執拗に陽子に近づく。
ある日、車に陽子を乗せ自分の母親と陽子が
実の親子ではないかと陽子に問いただす。
陽子が白を切るので、無理やり母親に合わせに行く。
北原は2人の車を追いかけて自分の車を走らせる。
達哉の車に追いつき陽子を下すよう促すが
達哉が急発進したため、足を引かれてしまい、
切断することになってしまった。
陽子は自殺未遂がきっかけで徹のことが
好きだということに気づき始めていたのだが、
この事件がきっかけで北原と結婚することを
決める。
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陽子は何も悪くないのに、不運が重なって重なって
本当にかわいそう。。
達哉がしつこすぎて本当に気持ち悪い。
実の弟だとしても、決して許されることではない。
最後の三井弥吉からの手紙はぐっときた。
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どういう帰結になるかなと思っていたら、こういう終わり方か〜、、なんとも言えないな。本当はすっきりハッピーエンドで終わって欲しかったけど、つくづく辛い身の上の陽子、、、
「続・氷点」は、人への「赦し」や「裁き」について考えさせられるものだった。たまに聖書から引用や牧師さんの言葉が出てきて、なるほど聖書を読んだり教会に通ったりするとこういうことが分かるんだなと思った。
「人のことを責めたり裁いたりしていいのは、罪のない人間だけ」というようなことや、「人は皆自分のことが正しいと思っていて、考えが違う人間のことは見下している」など、なるほど確かに、私も人のことをどうこう言える資格はないなと思ったり。
「愛とは感情的なものではなく、意思的なもの」といった啓造の言葉や、「たとい、わたしが自分の全財産を人に施しても、また自分のからだを焼かれるために渡しても、もし愛がなければ、いっさいは無益である」という聖書の引用も、とても印象的だった。
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素晴らしい!最後まで黙々と読むことが出来た。こんな小説こそ、芥川賞、直木賞を受賞すべき。久し振りに純文学を堪能した気持ち。有賀さん、ありがとう!前編があまりに衝撃的だったので、この続編は物足りなかった。「相手より自分が正しいとすつ時、自分を正しいと思うことによって、いつしか人を見下げる冷たさが心の中に育つ」は陽子だけではなく自分にも当てはまると感じた。
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ゆるぎない信念がつらぬいているから、懸賞小説で通俗性が濃くても、何版も重ねるほどのベストセラーであり続けるのだろう。
物語の筋を面白いと思い、展開を追うも良し、奥に秘められているものを知るのも良しであった。
ヒロイン陽子をめぐる物語はわが子を殺した犯人の娘を養子に迎える異常性、継子いじめ、数奇な運命、波乱万丈、急展開があって厭きさせない。何もこんなにこねくり返さなくてもと思いながらも引きずられて読む。
そのわけは単に変化に富むあらすじのみの興味ではなく、キリスト教の教示する「原罪」の意味をやさしくわかり易く表しているから、おおよその理解ができるということである。
欧米の書物は古今キリスト教に裏打ちされている、いまいち理解に苦しむわたしはこのようにわかり易くしてもらうと有難い。
その証拠に流行っている『カラマーゾフの兄弟』の新訳を読み始めたが、前よりよく理解出来るようでちょっと感激してしまった。3年前に(旧来の訳)読んだ時はミステリ風の殺人事件に興味がいって、宗教的部分は飛ばして読んでたのではないかと思える。
また、作家三浦綾子は『カラマーゾフの兄弟』を意識して『氷点』を構想したのではないかとひらめいてしまった。もちろん大古典名作の『カラマーゾフの兄弟』はその後の文学に影響を与えたのは当然、他にもたくさん触発された作品があるのだろう。
『氷点』を読むなら、正続あわせてがよいと思う。
ところで、100年間のベストセラーをおもしろく切りまくっている岡野宏文・豊崎由美の共著『百年の誤読』には『氷点』がぼろっかすにやっつけてあって、「何も今読まなくていい」とまで言い切っているのを思い出した。
でも、わたしの経験では『光あるうちに』三部作→『氷点』正続→『カラマーゾフの兄弟』はキリスト教の一端がわかるお薦めのコース。もちろんわかりたい人にだけど。
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前編に比べて、という評価があるのはわかるけど、物語を貫くテーマが一環していて、最後まで楽しめました。続編があってよかった!
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越谷支店 井芹さんお勧め本
あらすじ
昭和21年(1946年)、旭川市在住の医師辻口啓造は、妻の夏枝が村井靖夫と密会中に、佐石土雄によって3歳の娘ルリ子を殺される不幸に遭う。 ... ルリ子の代わりに女の子が欲しいとねだる夏枝に対し、啓造はそれとは知らせずに殺人犯佐石の娘とされる幼い女の子を引き取る。
感想
素晴らしい小説でした。
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読んで良かったとすごく思う本。キリスト教を少しかじっていたから響いたのかもしれない
人を責めるって弱い人間がすることなのかな、と思った。そして自分も例外なく当てはまるのでグサグサと刺さった
好きな言葉をいくつか。
「だから、人間は大過なく生きていても、威張ることはないし、過失を犯した人を、そう責めることもできないんだよ」
「相手より自分が正しいとする時、果して人間はあたたかな思いやりを持てるものだろうか。自分を正しいと思うことによって、いつしか人を見下げる冷たさが、心の中に育ってきたのではないか。」
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終盤、どんどん読み進めた。
私も、陽子の立場なら、北原を選ぶかも。
一生を終えてのちに残るのは、われわれが集めたものではなくて、われわれが与えたものである。
この言葉にこそ、真の人間の生き方が示されているような気がする。
与えられる、人になりたい…。
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ふとした出来事から歯車が狂って、取り返しのつかない状態に陥っていく。
後悔しても、後悔してもしきれないところではあるのだけれど、それも人生と割り切るしかないのだろう。
最近読んだ「さくら」もそう、きっかけは時計の電池切れ、だった。ほんと些細なこと。
全然関係ないけれど、「ダーウィンがきた」でやっていた「巨大なまずの鳩のみ」を思い出した。ほんの一瞬の気のゆるみ、それが鳩の人生を変える。鳩は水を飲んでいただけだ。
根底にあるのは、皆さんのレビューにある、「一生を終えてのちに残るのは、われわれが集めたものではなく、われわれが与えたものである」。これは強烈に心に残る。
(コレクションした音楽も、録画した映画も、本も、もうすべて読む/観る/聴く時間はまったく残されていません。集めても仕方がない。そんなことする時間が人生の貴重な時間を捨てていることに気づくべきだ。いつか見る、いつか使う、そんなときはもう来ない。断捨離して、家族との時間を大事にして、外の空気を感じた方が、人生豊かに終われるだろうな、とわかってはいるのだが。。。)
陽子ちゃんの人生はこれでよかったのだろうか、大事なのは家族で、それはしみじみ感じるけれど、この家族は幸せだったのだろうか。ちょっと悲しい。
クラ館、黒百合会、古川講堂、中央ローンなど、卒業生であれば馴染みのある風景が散りばめられている。
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フィクションに言ってはいけないことだけれど
あんなに広い北海道で…そんなに遭遇する???!!
と思いながら読んでしまった
自動車を持っていたり、ホテルに泊まったり飛行機代が苦にならない お互い生活水準レベルが一緒故の
同ランクホテルでの遭遇とか??
陽子の学生時代、友人との行動があまりないと思っていたが、敢えてだったのか。。
教会の説教が若い信者や若い指導者で最初不安や不満を覚えるという感覚に目から鱗。
医者という職業ゆえか、大人な男性ゆえか。。
ラスト、自分的にはこの後どういう選択や立ち回りになるかなぁと思ってしまったが、相手は確定なのだろうか??
小樽男性の手紙で
小学生の時読んだ赤木由子氏の『柳のわたとぶ国』を思い出した。
その後「二つの国の物語 第1~3部」刊行されたらしいので結末未読にて読んでみたいけれど
満州国題材って辛さしか無いなぁ、とずっと先延ばしにしている。。
当時読んだ本は 戦後刊行されたせいか、子供が病気にかかるとすぐ亡くなったり貧しさを感じられる作品が多かったので
本作昭和57年刊行で登場人物には樺太出身者や恋人が獄死していたりするのに 暮らしが本当に豊かなんだよなぁ。。と不思議。
オリンピック前までは東京中心地も土埃が凄くて、とかt高速道路建設に地方からの出稼ぎで地方の生活は変わらないまま、とか
戦後復興は大変だったイメージなので。
北海道という土地柄なのか、歴史を調べてみたい。
ストーリーは把握したけれど、色々と面白い見解や心情シーンやセリフがあるので
きっと読んだ時の年齢や立場や心境によって
また気になる箇所が変わってくる作品だろうなぁと思った。
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結核闘病中にキリスト教と出会って以降、クリスチャンとして信仰を基盤に書き続けた三浦綾子氏。
個人的には、『泥流地帯』『続 泥流地帯』に続く2作目だ。
『氷点』『続 氷点』は計4冊から成る大作であるが、目を離せない展開に、稀な速度で読み切ってしまった。
『氷点』は作者らしく、「人間の原罪」がテーマとして採用されている。
妻の不貞と不注意の隙に子供を殺された父親が、彼女へ対する復讐として犯人の実子を貰い受ける。
成長した娘は継母の執拗な虐めも耐え抜くが、自身の出自を知らされた時…
と、言うお話。
昼ドラさながらの展開である。
「面白い」と言う感想は感想にもならないと思っていたが、否!
どうしたって面白過ぎる…!
(似た小説があったなぁと思い返せば、桐野夏生『やわらかな頬』だった。
そう言えばこれも面白かったな…。)
続く『続 氷点』のテーマは、「赦し」に変わる。
続編がこう言った変化を見せる小説も特殊であろう。
自身が正しいと信じている事に他者の同意を求める事こそ、人間最大の罪であろうか。
誰一人として私を共感させてくれなかった登場人物達。
彼等は最大の罪を犯しながら、その罪に向き合う者と、罪に潰される者に分かれていく。
そして結論、愛は感情ではなく意志と言う。
私はまだ、意志と同義の愛を知らない。
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あまりに夢中になって読んだので、細かいディティールを読み飛ばしてしまっている気がして、またいつかきちんと読み直したい。
続編は「ゆるすこと」に焦点を当てている。
東京のホテルでの夏枝の謝罪には、なんとなく言い訳がましく悪い意味で彼女らしさがあるものの、もし飛行機が墜落したら陽子にきちんと謝っていないことを後悔するという言うところに夏枝なりの良心が表れていて目が潤んだ。
その後のシーンで、夏枝の父が彼女を甘やかしすぎたと話すところからも、これが彼女にできる精一杯の謝罪の仕方なんだろうと思った。
達哉はちょっと勝手すぎて、こんなやつをいちいち相手にする陽子や北原は優しいなあと思って読んでいた。わたしが陽子だったら絶対相手にしないけどな〜と浅はかなわたしは思うけど、育ての親に憎しみを向けられていた過去を持つ陽子が、初めて肉親に会ったときに感じる愛情の深さなんて到底分かりっこない。
三井弥吉は全てを知ったうえで恵子を許していた。むしろ救われたような気持ちさえ持っていた。このシーンでは涙が出た。経済成長期の日本では、もはや戦後ではないと、明るいムードが漂っているイメージだった。その中にも戦争で生き延びた人たちが当然いたわけで、三井弥吉の手紙によって、その人たちがどんな思いで過ごしていたかを垣間見た。
人生は何を集めたかではなく何を与えたか。
陽子は結局、自らに足を与えてくれた北原の恩に報いるために、足を無くした彼の生活を支えるべく、彼を選ぶということなのかな。確信が持てない。
最近ちょうどベン・ハーを観たけど、やはり宗教とはなんなのかよくわからない。
自分の罪を他の誰が許してくれなくても、神というそれを許してくれる存在がいるということ、そしてその事実に支えられている自分は、同じように他者を許す存在であろう、さらには、その良い輪が広がるように、自分の罪を許してくれる存在を教えよう、そういうことなんだろうか。(他者に教えなくても、自分ひとりの心で信じていればいいのかもしれない。)
祖母はキリスト教徒だったけど、どんなきっかけがあったんだろう。
いまわたしは自分の将来が不安で、この世界の行く末が不安で、子供を持つことに前向きな感情を持てない。「何かを与える」ことは子供を持たなくてもできる。頭ではわかっていても、わたしが今まで関わってきた人から受けた愛情を、最大限で他者に与える方法は、自分の子供を持つということなんじゃないかなあとも思う。
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許すことに焦点を当てている。
誰もが持っている人間の様々な感情を巧みに表現されており、自分の今までの行動、考えを振り返ざるを得ない。
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氷点上から引き込まれ、あっという間に読んでしまった。
人間というのは欲深く、醜くくて、人の心も自分の思い通りにしたい生き物。「赦す」とはなんなのか、マリアに石を投げれる人がどれだけいるのか、自分は投げれるのか。
自分の持ってるものがどれだけたくさんあるのか、人と比べちゃいけないのを再認識した。
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テーマが原罪 らしいが、許す という点に重きを置くと、夏枝の言動も達哉も許せるのか?と考えさせられる話だった。
全体(続 じゃないほうの氷点も含め)を通して 陽子の人柄は恵子の娘だなと思うし、きっと北原と陽子はこれから何があっても明るく前向きに生きていくのだろうと思う。
三浦先生がもうお亡くなりになっているので、続の続はないが、思いを馳せてしまう。