投稿元:
レビューを見る
今日私がしんみりしているのは、ペコロスの母の玉手箱を読んだから。
いつかは分かれていかなければならないのが親子です。
それがわかるからこそ、ペコロスさんとみつえさんのかけあいをずーっと見ていたくなっていました。
なのにみつえさんは91歳で車いすを卒業。
みつえさんが、今はどこかで、自由に飛んだり跳ねたり毬つきしたリしておられますよう、ご冥福を祈ります。
投稿元:
レビューを見る
読んでいると涙が心に染み入ってくるように感じた。
過去と現在、現実とファンタジーが交差している。
みつえさんの認知症の進行、体力の衰えと、胃ろうの話……
現実はしんどいはずが、マイルドなって読んでいると切なさがこみ上げてくる。悲壮感から涙をさそうものではない。
前作『ペコロスの母に会いに行く』から生まれたであろう交流も垣間見れる。
ゆっくりと死に近づきながらまるで赤子に戻るような、みつえさんの姿の描写。それは次の世代への移行なのか、来世なのか――
死についての描写は、ホームからの連絡と面会、その後が淡々と描かれる。生も死も、老いも若きも共にある。
みつえさんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
投稿元:
レビューを見る
認知症の母とのエピソードを、これだけ自然体に、そして穏やかに描いている作者の立ち位置や視点が、読む人の先入観をそぎ落とし、温かい読後感をもたらしてくれる作品。
果たして自分が介護する側となった時、同じように振る舞える自信は全くないが、こういう見方もありだよ、と、そっと教えてくれているような気がする。何年後かにもう一度読みた直したい。
投稿元:
レビューを見る
介護等の心配は、その期間が全く分からないものだけに、自身が著者の立場になったとして、現在の会社の勤務環境の中で何をどこまでできるのかを考えると、厳しい現実に直面する。したいことと、できることについて、改めて考えた。
投稿元:
レビューを見る
前作と同様に、ほんのりとした読後感と同時に、涙無くしては読めない秀作。過去と現在を行き来する認知症の人の言動や行動。あらためて若い時のその人ととなりや生活を知っておくことが、認知症の人の言動や行動を理解することに大事であることを再認識。当然のことながら認知症は進行し、会話はなくなってくる。そして身体も弱ってくる。その経過の中で邂逅する家族の気持ちがほんのりと表されているので、涙は出るものの悲しさは感じられないのは著者のユーモアや絵のタッチによるものか。
投稿元:
レビューを見る
ブログに掲載しました。
http://boketen.seesaa.net/article/410962755.html
死者と生者、過去と現在が混然一体となった不思議空間
映画化もされた『ペコロスの母に会いに行く』の主人公、岡野みつえさんが8月に亡くなられた。享年91歳。合掌。
ペコロスシリーズ第2弾『ペコロスの母の玉手箱』は、みつえさんの大往生までの日々を描いた作品。
週刊朝日の連載に、多くの書下ろしを加えた。グループホームでの淡々とした日常の中に、死者と生者、過去と現在が混然一体となった不思議空間が現出する。
投稿元:
レビューを見る
認知症の母を、かわいい絵柄で一見ギャク調、けれど全体的にノスタルジックかつ、幻想的に描いている。そして、作者の優しい目線がある。
1冊目の「ペコロスの母に会いに行く」は、友人から「感動するから!」といって借りたためか、かえって感動はしなかったのだけど、今回は地味にじわりと涙がこぼれた…。やはり長崎弁は重要ポイントだ。
ゆりさんが出てくるところはおもしろかった。動きがイイ。
時間がゆっくりと混ざりあう人達。それは混沌じゃなくて、またひとつの世界なのだ。
投稿元:
レビューを見る
認知症の母親を見守る息子さんが描いた優しいタッチの日常風景。
きっといろんな辛さや苦労や悩みがあったのだと思うけれど、楽しく面白おかしくそして和やかに綴られている紙面。認知症の方の行動の理由を、こういう風に思えたら楽になるよ、と提案してくれているのだな、と感じました。
幸い私はこの問題に直面していないけれど、心の中にこの本を忍ばせておいて、いざという時に思い出して糧にさせてもらいます。
投稿元:
レビューを見る
当然の事ではあるが
「親がボケちゃって…。」
なんて話に幸せ要素なんかいっこもない。
この世にはまだ特効薬も無く、
ただ静かに(どうか症状が進まぬように…)
と、祈るだけの恐ろしい認知症。
そんな家族の心労を救ってくれる施設も本も世の中にはたくさんあるが、
その中で出会えたら、
(きっと何かが変わる)と、思えるのがこの本だ。
著者ペコロスさんの母、みつえさんは
認知症を患い、施設でお世話にはなっていたが、
息子さんの温かい目を通して描かれた彼女は
ボケ老人でも、
孤独な老人でもなく、
ただの
<この世にいてくれるだけで、嬉しい大好きな人。>
以外の何者でも無かった。
残念ながら
この本の執筆中にお母さんはお亡くなりになったそうだが、
ペコロスさんが不思議な玉手箱を作ってくれたお陰で
誰もが年老いてゆく未来にも
「なんも心配せんともよかとよ。」
みつえさんの優しい声が残された。
本当にありがとう。
投稿元:
レビューを見る
十分な親孝行ができても、
91才という世間でいう大往生でも、
とてつもない寂しさ、喪失感は
避けられないと思い知らされる。
みつえさんが、とても幸せに
ゆっくりゆっくり空に落ちて
いったのが救い。
投稿元:
レビューを見る
泣ける話にはなってるし、確かに泣ける。
前作より"泣かしてやろう感"が強くなってはいるが。
ただ、"介護を実際にはしていない" "男" 目線の話なんだよな。
"介護をしていない"ことに関しては、著者にその自覚がありそれが表現にも表れているので、それはいいのだが、"男"からの視点だということに関しては、ほぼ無自覚。それが無理。
☆1.5
投稿元:
レビューを見る
他人事ではないんだな。両実家の父母もいつか老いが迫り,それを見ている自分にも老いは確実に迫る。不安と思えばそれはエスカレートする。今を丁寧に生きることなんだろうな。1冊目も読んでみたい。
投稿元:
レビューを見る
まさに玉手箱。この状況をユーモアでくるみながら描いたペコロスさんはすごいなぁ。
周りの人たちもすごくいい。特にゆりさんには和ませられてしまいます。実際には関わる方々大変でしょうけれど、ペコロスさんの描き方に愛を感じますね。
それにしてもハゲ雨って…(笑)衝撃の絵面でした。
時には涙を拭いながら描かれたのではないでしょうか。読んでいる方もわかっていながら滂陀の涙です。
さゆりさんの「もっと触っておけばよかった」にはもう、号泣です。
私の両親がそれぞれ亡くなって初めて対面した時のことを思い出しました。
ケン坊とちえちゃんの話も悲しい。
みつえさんはあちらに帰られましたが、出来ることなら玉手箱の中をもう少し見せていただきたい気持ちでいっぱいです。
投稿元:
レビューを見る
胃ろうの手術をして1年 平成26年8月24日91歳 著者のご母堂様がグループホームでお亡くなりになりました。
胃ろうをすると栄養が行きとどき長生きされると世間ではささやかれているのですが…速かったですね…
又、認知になると概ね8~10年で無くなるともささやかれていますがご母堂様の場合は14年ほどでしょうか…
認知症を「認知症」と臆さず名乗れる風潮が出来上がるといいと思うのですが。
投稿元:
レビューを見る
前回読んだのが2年前、その後、年老いて弱って”母”が死んでしまうまでの過程。そう聞くと、悲しいのかと思うが”泣き”を誘う話では別にない。介護というきっと今かいつか直面することが多い話をほっこり書いてくれている。絵もなんだかかわいい。介護に疲れてる人にぜひ読んでほしい。