投稿元:
レビューを見る
いろいろと文献知識は多い著者であるが,冗長過ぎる紹介とカッコ書きや注釈の多すぎる表現にうんざりしてくる.圧縮すれば三分の一くらいのページ数で大丈夫なのではなかろうか.
さて,あとがきにあるように著者は「自分を納得させるための書」と書いている.これを読んでようやくこのスタイルであったことに理解できた.
ただ,著者の納得におけるプラスアルファは大きくないため.文献紹介のための書籍とみるのが良さそうだ.
投稿元:
レビューを見る
目からウロコというか、読書をしていると、これまで当たり前と思っていたことに、実は何ら根拠がないことを気付かせてくれることがありますが、本書もまさにそんな驚きをもたらしてくれます。
ビジネスシーンでも、特に市場に関して「進化」やら「淘汰」やら「適者生存」やら、進化論に由来する言葉が使われ、私たちも漠然と「進化」を良い意味に考え(「進化」=「進歩」とか)、生き残ることには合理的な理由があると思い込んでいます。
が、本書は、進化論には本来、そのようなニュアンスはなく、40億年の生命の歴史の中で99.9%の種が絶滅し、生き残っている0.01%の種についても、いま生きているのは、たんに運が良かっただけにすぎないと、ミもフタもないことを明らかにします。
つまり、私たちが使っている進化論由来の言葉は、まったくの誤解に基づいていることになります。
本書では70年代以降の進化論についての大論争にも相当な紙幅を割いており、それだけなら、(進化論についての)啓蒙書に分類されるかもしれませんが、この本の面白さは、前述したように進化論の言説が意味的な変容をとげて日常生活に入り込んでいる、その理由を説明していることです。
進化論は、大きなインパクトを与えた社会的事件であり、私たちの「誤解」は進化論特有の性質も影響していますが、同時に、私たちの判断が、実は合理性から逸脱した部分で行われていることを教えてくれます。
つまり、「合理的に考えて、こうだろ!」と思っていても、(本人が気付かないところで)合理性以外の要素が決定に関与しているってことで、仕事でも日常生活でも、当たり前と思っていたことが、当たり前じゃないかもしれないし、こわい、こわい。
というわけで、「目からウロコ」なんですが、進化論だけではなく、いろいろなことを考えさせられる本で、それが各誌で本書を科学書としてだけではなく、思想書として紹介している所以でしょう。
ちなみに文章は軽妙、ユーモアたっぷりで、読み物としても非常に楽しめます。理系、文系も問いません。
何かしら得るものがある本なので、機会があれば是非一読してください。
投稿元:
レビューを見る
・僕はダーヴィンの「進化論」とは、外部環境が変化した時に、その変化に適切に対応した生物が生き延びるという「適者適存」の理論だと理解していたが、これが大きな勘違いだと分かったことは大きい。きりんのはなが長いのは、サバンナで遠くに外敵(ライオン)がいるのを見つけやすいと同時に、高い木にある葉っぱを食べられるように、きりんが「進化」したからだと思っていた。
第一章 絶滅のシナリオ
・ビジネスの社会においては、進化論な考え方は僕も含めてみんな大好きで「進化しない企業はつぶれる」「外部環境に適応せよ。さもないと市場から淘汰される。」「わが社のDNAは・・・」といった文脈の中で使われることが多いから、あたかも進化論を自然科学の原理原則のように漠然と考えていたことも大きいと思う。
・絶滅への3つのシナリオは
①弾幕の戦場(field of bullets)
②公正なゲーム(fair game)
③理不尽な絶滅(wanton extinction)
・理不尽な絶滅とは、ある種の生物が生き残りやすいという意味ではランダムでなく選択的だが、通常の生息環境によりよく適応しているから生き残り易いというわけではない絶滅。突然のルールの変更。
で③が最も影響力があるシナリオ(ラウプ)
・地球上の生命体の99.9%は絶滅するのだ。その理由で最も有力なのは③の理不尽な絶滅。
第二章 適者適存とは何か
・適者適存とはあくまでも結果としての適者適存にすぎない。条件は
①個体的に性質の違いがあること
②その性質の違いが残せる子孫の数と相関すること
③それらの性質の違いが次世代に伝えられること
・だれが生き残るのか?それは最も適応したものである。では誰が最も適応したのか?それは生き残ったものである。適者適存はそれ自体にトートロジーの概念を含んでいる。
適者は事後的に定義されざるを得ないということは、自然選択の母集団が(予めきまった方向の変位や組み換えではなく)「ランダムな変異や組み換えでしかない」という積極的事実に対応している。適者を結果論的トートロジカルに定義したことが、ダーウィニズムの最大の経験的テーゼ。
・ダーウィン以前の進化論は、ラマルクであり「用不用説と獲得形質の遺伝」を唱えた。キリンの首が長いのは、先祖のキリンが高所の葉っぱを食べるために首をのばす努力を続けて、その努力の成果が多くの世代に渡って伝えられたため。
・ダーウィン以前は進化=進歩であり、進化を予め決められた方向への前進であるとみなしていた。いわゆる発展的進化論。一方で、ダーウィンの考え方には進歩も定向進化の考え方もない。そして、この考え方はスペンサーの社会進化論へと繋がる。社会進化論は産業革命後のイギリスを参考にしている。
・ダーウィンの考え方は、生命の樹(tree of life)。進化の方向性は予めきまっているわけではなく、予見不可能な偶然性に支配されているもの。
第三章 なぜダーウィニズムはそう呼ばれるのか
・素数ゼミ。
・適応主義。適応の目的は、遺伝子の保存およびその増殖のため。でもパングロス主義のように足は半ズボンをはくためにあるのではない。。
・荒野に石がおちており、その理由をきかれたら、ただそこにあるからという。では、精巧な腕時計ならどうか。これは誰かの企みだと思う。そして誰かとは神のことだ。ダーウィンはそうではなく、その理由を過去の歴史に求めた、ボトムアップのアプローチなのだ。本質はエンジニアリングであり、アルゴリズムである。
・ダーウィンの革命性は生物進化が自然淘汰というアルゴリズミックなプロセスの結果であることを見出した点にある。
・進化論とは自然淘汰のアルゴリズムをリバースエンジニアリングにより解読すること
・進化論が行うリバースエンジニアリングによって中心的役割を担うリサーチプログラムが適応主義である。
・遺伝子の保存および増殖の根源的な計画の単なる断片あるいは局面とみなす自然淘汰説。
・スカイフック(神)とクレーン(歴史による実証)
投稿元:
レビューを見る
【超冗長】
洋書によくあるような冗長ぶりです。
内容はいいのでしょうが、読んでいるあいだに何が言いたいのかわからなくなります。
もっと簡潔に説明することができると思います・・・
投稿元:
レビューを見る
大変面白い。タイトルから想像される内容よりも、進化論の周辺をめぐる言説にウェイトが置かれている。
三章以降の議論はやや難解なので、原書の引用や具体例などがもう少し多いと嬉しかった。ドーキンスやグールドの著作を読んでみたくなる。
投稿元:
レビューを見る
進化論解釈の適応主義論争から、理解と説明の違いという哲学的テーマへと解説する。
議論が丹念で、わかりやすく面白い。
最初の絶滅という視点から進化論を見るというテーマがあまりうまく回収されていないように見えるのが少し残念。「絶滅」の中に含まれる思想の深まりを見てみたい。
投稿元:
レビューを見る
「生物の99.9%は絶滅してきた」という端的な事実から出発し、誕生ではなく絶滅から進化を考えてみた生物進化。著者は在野の人文系論客として昨年注目を集めました。非研究者ならではのトピックの選び方が斬新で、とても面白い本です。
ダーウィン進化論の受容の仕方についてのスティーヴン・ジェイ・グールドとリチャード・ドーキンスの論争を論じながら、私たちの「進化」への考え方も揺らしてきます。資本ゲームにおける"弱肉強食"というロジックを見つめなおす意味では、仕事にも役に立つ、かも。(小林)
投稿元:
レビューを見る
専門的に勉強したわけでもないのに進化論をもじったようにセリフは誰もよく使ってしまう傾向がある.実際に進化論でいう適者生存という考え方の根本をみると,理不尽な絶滅が通常なものだと気付かされる.言葉のお守りとして進化論を使うことは欧米でもよく見られる現象で,これを厳しく糾弾したグールドの主張と,それに対抗したドーキンスの反論が述べられている.様々な用語が頻出しているが,現在的有用性と歴史的起源,これが本書での重要アイテムだと感じた.これまで地球に存在したとされる生物が約50億種で,現在生存しているのが500万種.99.9%が絶滅しているのだ.
投稿元:
レビューを見る
生物の繁栄や絶滅は純粋な生存競争の結果ではなく
隕石衝突などの不運=「理不尽な要素」にも大きく左右される。
なるほど言われてみれば確かにそうだ、
面白そうな本だなぁと思って期待して読んだが、
正直言ってあまり楽しめなかった。
古生物学者ラウプの「理不尽な絶滅」という考え方が
紹介されるのは本書の前半だけで、
後半はグールドとドーキンスの論争から
進化論の問題点や哲学的解釈など難解な内容が続く。
全体的に難しい用語や説明の繰り返しも多く
読むのに疲れたというのが正直な感想。
残念ながら終盤は読み飛ばしてしまった。
とは言え、この本でラウプのことを知ったので
そのうち本人の著作を読んでみたいと思った。
投稿元:
レビューを見る
2015年9月20日に開催された第1回ビブリオバトル全国大会inいこまで発表された本です。予選B会場発表本。
投稿元:
レビューを見る
99.9%の生物種が消える?「絶滅」から生命の歴史を眺める!この世は公平な場所ではない?進化論が私たちに呼び覚ます「魅惑と混乱」の源泉を、科学と人文知の接点で掘り当てる、進化思想の冒険的考古学!
投稿元:
レビューを見る
ものすごく、言い回しが冗長。
もっと短く言えるでしょと何回思ったことか。あーこれが研究者の書き方かーという感じで、慣れない人には苦痛。
引用が多いので、読む勢いがそがれるというか、語り口が異なるので、読みづらくなる。
進化って言葉は、自分もそうだが、成長の意味で使っているように思う。
会社の進化、人財の進化など。
とはいうものの、進化論的には、適者生存がその意。
環境や時代に合わせて、生物は適応する。
そこで隕石など突発的な事象が発生しても、生き残った種が、子孫を残すことができた種が優れているとする。
飢えに強くても、肉食であっても、光合成ができたとしても、隕石にぶつかって種が滅んだらそれは生き残れず、進化と呼ばれない理不尽さ。
もちろん、同じ環境下において、食料の奪い合いなど行われており、その中で生き残らないとそもそも生き残れないので、優れたものが生き残っているのはもちろんのこと。でも、そのうえで、理不尽なこと、自分ではコントロールできないことが起きても生き残った生物を、後付けで進化と呼んでいる。
んー、今までの見方が変わったなあ。
生物界にもコンコルドの誤謬があるっていうのは面白かった。
注釈にある系統樹曼荼羅、なぜなぜ物語(キプリング)は読んでみたい。
投稿元:
レビューを見る
生物の進化に関してダーウィンの進化論を軸に考える話。
進化論の捉え方の異なる学者たち(ドーキンスやグールド、スペンサーやラマルク)の意見を考察しながら生物の進化に関して考えていく。専門書ではなく一般の人向けに書かれているので進化論界隈の知識を得るにはとても良い本。また、参考文献を丁寧に解説してくれている。これを読んでから進化論の導入としては星5つ。
投稿元:
レビューを見る
これは進化論を扱っているのですが、理系の本ではなく、はっきりいって哲学書のようなものです。しかもユーモアに富んでいます。不思議な本です。
これまで地球上に出現した生物種の99.9%までが絶滅している、しかも絶滅した生物は遺伝子が悪かった(適応能力が劣っていた)のではなくたまたま運が悪かったのだ、従って生物の進化というのは自然淘汰(=適者生存)だけでは説明できないのだということから話が始まります。
ここで著者は「適者生存」という言葉がトートロジーではないかという疑念を持ち出します。この言葉は「適者が生存する」ということだが、では何をもって適者と判断されるのか? それは生き残ったことをもってではないのか? であれば「適者生存」とは「生き残ったものが生き残る」という同義反復であり、いわば「独身者は結婚していない」というのと同じことではないかと断じます。その後、進化論主流派のドーキンスと反主流派のグールドの争いを通じて、議論は進化論に留まらず「科学とは何か?」という方向で深まって行き「宗教・芸術論」や「人間論」にまで達します。
本書には重要な示唆がちりばめられています。
① 私たちが日常出会う「進化論」は、単に科学的な進化論のアイデアを「言葉のお守り」として用いた誤解に満ちたものである。
② ダーウィンの登場によって進化論が社会に普及したが、それはむしろダーウィン以前の「発展的進化論」の蔓延であった。
③ 適応主義をめぐってグールドが「なぜなぜ物語はいらない」といったのに対してドーキンスは「なぜなぜ物語こそ必要だ」と反論した。ところで、進化論における適応主義はパングロス主義のような盲目的信仰ではなく入手しうる最善の科学的方法論であった。この点でグールドに論争での勝ち目はなかった。
④ 進化論のハードコアは自然淘汰と生命の樹という二つの仮説でありこれらが連動しているので、自然淘汰説は必然的に生命の樹という歴史理解の領域に足を踏み入れざるを得ない。
⑤ ガダマーは「説明と理解」の枠組みを破棄し、それを「方法と真理」という別の区分をもって代えた。何故なら、「理解」とは「説明」と対立するような学問的方法論ではないからである。
などなど。これだけだと何のことだか分からないでしょうけど、本書を読むとよくよく腑に落ちます。
全体を通じて、著者の読みの深さに驚かされました。著者は膨大な量の文献をしっかり読み込んでいます。著者が微妙な概念を的確な言葉で表現することで、不明瞭なイメージにはっきりとした輪郭が与えられていきます。ただ、全体の纏めに相当する「私たちの『人間』をどうするか」という最後の節だけはあまりにも観念的・形而上学的な論の運びについて行けませんでした(著者のいわんとすることは理解できるものの、大風呂敷の過剰な議論に感じてしまう)。
著者が「本書の主目的は進化論を解説することではなく、私たち自身の進化論理解を理解するという点にある」と書いているとおり、本書は「進化論」の本ではなく「『進化論』論」の本です。少々難解ですし、「ええっ? それはちょっと飛躍し過ぎでは?」と首をひねりたくなるような強引なところもなきにしもあらずでしたが、「科学とは何か? その人間との関係はいかにあるべきか?」ということを多面的に考えるうえで一読の価値はあると思います。
投稿元:
レビューを見る
http://www.asahipress.com/rifujin_web/ ,
http://asahi2nd.blogspot.jp/search/label/%E5%90%89%E5%B7%9D%E6%B5%A9%E6%BA%80%E3%80%8C%E7%90%86%E4%B8%8D%E5%B0%BD%E3%81%AA%E9%80%B2%E5%8C%96%E3%80%8D