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「毎日新聞」(2014年11月9日付朝刊)で
養老孟司先生が紹介しています。
(2014年11月10日)
「読売新聞」(2015年01月18日付朝刊)で、
池谷裕二先生が紹介しています。
「この本は昨年の私的ベスト5に入る良書です。
科学書ではなく、「進化論」という老樹を権に冠り、
思索に遊ぶ粋な哲学書です」
(2015年01月18日)
アマゾンに注文しました。
(2015年03月10日)
届きました。
(2015年03月12日)
【誤解を理解する】(94ページ)
いや、この本、ほんとうに面白い本だわ。
(2015年03月16日)
力があるな、この著者は。
(2015年03月18日)
堪能しました。
ぜひ、ご一読を。
(2015年03月30日)
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書名や帯の文言からは進化論の解説書のような印象を受けるが、本書は進化論そのものではなく、我々のような門外漢が進化論を語る際の独特の心象の持ち方にスポットを当てたもの。例えば著者は、我々が進化論を現実の社会に持ち込むとき、適者生存という語をある時は検証可能な意見の表明として、またある時は検証を拒絶するトートロジーとして任意の命題の主張に用いるという、いわば「いいとこ取り」をしているとする。そして、それがかえって進化論の本質とは異なる前時代的な結論を導く可能性があると警告する。
また中盤以降では、現在主流とされる進化論がその根幹に適応主義を持つがゆえ、経験的事実(因果)と歴史(意味)を同時に視野に納める連続性を有することに触れる。そして、前者が後者を侵食することに耐えられなかったスティーヴン・ジェイ・グールドという進化生物学者が挑み脆くも敗れ去った「すでに決着済みの論争」に新たな角度から検討を加えながら、グールドが負け戦を挑まざるを得なかった理由を推論し、そこから我々が科学一般にどう「距離感」を保つべきかを問うてゆく。
こうしてみると、進化論というのは必然と偶然、主張と表現、説明と理解、方法論と存在論等々、互いに相手を自分のうちに取り込もうとせめぎ合う概念が、たまたま強烈な在り方で出会う場所なのだということがわかる。そしてそこから進化論という一分野を超えた、極めて守備範囲の広い言説が取り出せるのだ。経歴からは特に進化論が専門領域ではないと見える著者が特別の関心を払うのは、進化論そのものの中身にではなく、それが科学一般の大きなフィールド内で有するこうした独特のポジションに魅了されてのことではないだろうか。
従ってこの本も、題材こそ進化論ではあるものの、最後には目眩がするほどに総括的・分野横断的な様相を呈しつつ、科学と人間の関わりという遠大な領域に踏み込んで行く。そこではハイデガーやサルトル、ウィトゲンシュタインまでが当然のように顔を出すが、その都度僕のような哲学オンチでも理解できるような簡明なパラフレーズが随所でなされているため、見当識を失うようなことはないだろう。400p超と結構な分量がありラストは若干の駆け足感あるも、衒う所のない文体のお陰で全く長さを感じさせない、満足の一冊。
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電子書籍が安いのは印刷代など諸々の出版にかかる費用や中間利益がないからだと思うのですが、作者の純粋な著作権ってこれぐらいの値しかつかないんだなぁとも思います。
「進化」と聞いてあなたはどんなイメージを思い浮かべるだろうか。
優劣、前進、成長、改良etc...多くの人がポジティブな意味合いの事象を思い浮かべるだろう。
そんな認識からすれば、『理不尽な進化』というタイトルには違和感を覚えるに違いない。
しかし、本書を読めばその違和感こそが偏見そのものであることがわかってもらえるはずである。
前提として、決して持ち運びに適したページ数と文量の書籍ではありません。
全体構成は、種の絶滅について述べた後、世俗的な進化論への偏見について触れ、進化論を取り巻く論争の歴史を紐解いた上で「進化」の本質を検討しています。
特に、進化論について書かれた本でこれほどまでに相対すると言ってもいい「絶滅」への考察を丁寧に行っているものはないでしょう。
進化論の基本的姿勢は「何故生き残れたのか」ですが、「何故生き残れなかったのか」からスタートするあたりが非常に印象的でおもしろかったです。
自分の理解力が足りていないせいで、後半に用意されていた進化論をめぐる専門家の間の論争に関するトピックを楽しく読みすすめることができなかったのは残念ですが、再読していつか理解したいなと思える興味深い本でした。
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「ワンダフル・ライフ」に心躍らせ、「パンダの親指」に唸った経験の持ち主は多いことだろう。そんなグールドがどこで誤り、それをどのようにドーキンスが超克していったのか、それを素人でもわかるように解きほぐして解説している内に、進化論そのものがはらむ現代性や問題点など(いや、逆か、われわれが進化論に対して抱く問題点か)についても語り、大きなうねりとして科学の一つの分野を物語ってくれる本。400pはあっという間。でも、文体に多少好き嫌いはあるかも。
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島田雅彦の書評を読んだ。そのあとに柄谷行人の今年の三冊に紹介されていて読んでみることにした。
なかなか良かった。
人間の認識とは悟性的人間、理性的人間、学者となるとカントが言っている。私はそれは反省に依っていると考えている。反省から帰納的に見て取り認識が有り得る。演繹的なものの認識もこの反省からのプロセスや手続きを経なければならない。
こういった人間の認識(反省から帰納的にみてとる認識)を超えてあるもの、例えば演繹的思考等は理性の越権行為であるという。帰納的に見て取るのならいいが人間の認識を超えてあるような学説は暗愚学に落ちているのではないかという。理性の越権行為は良く言えば教条主義・独断論、悪く言えば暗愚学であるという。
そういった理性の越権行為がダーウィニズムの中にあると指摘されている。ダーウィン自身は帰納的な人だったらしい。 何が理不尽ってそれが一番理不尽にみえた。
凄く明解で解りやすく参考になった。良い本です。
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豪華著名人の帯文と書評に惹かれて読み始めたのですが…
ビジネス用語でもある「適者生存」という言葉はトートロジー(同義語反復)であることだけを学び、あとは理不尽な長さに参りました。半ばでギブアップ。
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理不尽に絶滅させられた生命史の敗者たちにスポットをあてた科学エッセイ。専門的な学術書ではない。
期待して読んだが、引用が多くて論文調の体裁を整えようとしてるわりには、地の文が軽くて違和感があった。途中で挫折。
進化論の大家であるところのドーキンスと比べると、どうしても、文献だけよく読みこんだ素人はだしの散らし書きという感じが否めなかった。どうしても。
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進化研究そのものというよりは、進化論が人々の間でどう受け入れられているか/いったか、に関する本。
学説史の話ももちろん面白いんだが、よく言われるとおり、一般の人々の間での進化論の誤った理解(適者生存、は、生存したものが適者なんであって、優れたものが生き残る=弱肉強食みたいなことは意味しないし、進化は目的があって起こるものではない、そういう意味ではダーウィン以前の進化理解に人々はとどまっている)の話は「おお」と思ったり。
これ読むと比喩的に進化使いにくくなる。
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タイトルから進化論の解説書かと思って読んだら、進化論を取り巻く状況を読み解く人文書だった。「進化論」という言葉が持つ幅広さと怪しさとを400ページの長文と膨大な参考文献から考察。哲学的なややこしい言葉遣いなのに文体は今風なので読みやすい。ただ読みやすいのと内容とは別で、進化論の持つ科学的な懐の深さでもあり解釈としてファジーなところを念入りに解こうとしているが、理不尽な絶滅とか適者生存の歴史解説を適応主義的に扱うことの絶対的な優位性とか(じゃあなんでアナバチは巣穴の真の価値がわかる群が生まれなかったの?生き残らなかったの?という歴史的なところとか)真理の扱いとか、わかるようでわからないところもある。それがまた考え方を帰るように促されているようでおもしろい。
グールドって今はこういう低評価なんだ、ということを知ったのもこの本であれば、その再評価もこの本で知った。
そのグールドが提示した議論、「説明と理解」による回帰する擬似問題というフレームが人間性に依るものであるならば、人間性に近い領域、機械知能の問題やサイバネティクスなどの領域ではまた避けて通れない問題となるのだろうな、そしてそれをうまくやらないとグールドのように混乱してしまうのだろうな、と思うと、そういった工学系研究者も読んでおいて良い一冊かなと思った。
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序章までは良かったが、期待とは違った内容になった。自分の読みが足りないこともあり、上手く噛み砕けていない。
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最後の章はちょっと難しかったけど、偶然と必然をめぐる議論はとても刺激的で、危険性を含めて理解がやっとできた気がする。今までは、進化論というのは学問ではないみたいなことをいう人が居るんですよくらいの知識だったので。理不尽だと感じるのは人間だけ、進化論というキーワードに対してポエムとかを書くのも人間だけ、ってのを解き明かすのがこの本の主題と感じたんだけど、確かにそれがいうほど簡単じゃなくてこの本の厚さが必要だったんです。
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私たちが常識と思っている「進化」に関する知識の大半が間違っているという衝撃(例キリンの首はなぜ長いのか)。ダーウィンの理論を巡る科学者たちの知的格闘とその背景。進化と絶滅では圧倒的に絶命が多い(1:1000)など。筆者の文書構成がとても巧みで400ページ以上の分量だが楽しく読める。私たちは地球に対して好意を抱きすぎている。絶命の3要素、弾幕の戦場、公正なゲーム、理不尽な絶滅。適者生存のトートロジー。アナバチのコンコルド行為。
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著者の思い込みに対する解説やエクスキューズが多過ぎる感じがして、まだるっこしい。痒いところに手を届かせるまで、うんと時間がかかるような。半分くらいの頁数で、ずばっと書いてもらいたい。
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いろいろと文献知識は多い著者であるが,冗長過ぎる紹介とカッコ書きや注釈の多すぎる表現にうんざりしてくる.圧縮すれば三分の一くらいのページ数で大丈夫なのではなかろうか.
さて,あとがきにあるように著者は「自分を納得させるための書」と書いている.これを読んでようやくこのスタイルであったことに理解できた.
ただ,著者の納得におけるプラスアルファは大きくないため.文献紹介のための書籍とみるのが良さそうだ.
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目からウロコというか、読書をしていると、これまで当たり前と思っていたことに、実は何ら根拠がないことを気付かせてくれることがありますが、本書もまさにそんな驚きをもたらしてくれます。
ビジネスシーンでも、特に市場に関して「進化」やら「淘汰」やら「適者生存」やら、進化論に由来する言葉が使われ、私たちも漠然と「進化」を良い意味に考え(「進化」=「進歩」とか)、生き残ることには合理的な理由があると思い込んでいます。
が、本書は、進化論には本来、そのようなニュアンスはなく、40億年の生命の歴史の中で99.9%の種が絶滅し、生き残っている0.01%の種についても、いま生きているのは、たんに運が良かっただけにすぎないと、ミもフタもないことを明らかにします。
つまり、私たちが使っている進化論由来の言葉は、まったくの誤解に基づいていることになります。
本書では70年代以降の進化論についての大論争にも相当な紙幅を割いており、それだけなら、(進化論についての)啓蒙書に分類されるかもしれませんが、この本の面白さは、前述したように進化論の言説が意味的な変容をとげて日常生活に入り込んでいる、その理由を説明していることです。
進化論は、大きなインパクトを与えた社会的事件であり、私たちの「誤解」は進化論特有の性質も影響していますが、同時に、私たちの判断が、実は合理性から逸脱した部分で行われていることを教えてくれます。
つまり、「合理的に考えて、こうだろ!」と思っていても、(本人が気付かないところで)合理性以外の要素が決定に関与しているってことで、仕事でも日常生活でも、当たり前と思っていたことが、当たり前じゃないかもしれないし、こわい、こわい。
というわけで、「目からウロコ」なんですが、進化論だけではなく、いろいろなことを考えさせられる本で、それが各誌で本書を科学書としてだけではなく、思想書として紹介している所以でしょう。
ちなみに文章は軽妙、ユーモアたっぷりで、読み物としても非常に楽しめます。理系、文系も問いません。
何かしら得るものがある本なので、機会があれば是非一読してください。