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う~ん、ちょっとイマイチよく解りませんでした。
最初から「何のこっちゃ?」と疑問のまま読み進め、でも何故かラストは、何となく良かったのかな?と、これまた疑問符が付きながら読了しました。
本当に何が言いたかったのか、平凡な私では解りませんでした。
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献本企画のプレゼントに当選して頂いた一冊です。
『小説の主人公が作者の意図しないところで亡くなってしまう』という出だしが凄く魅力的に感じたし、小説に出てくるトカゲが原稿用紙の中から這い出てくる場面では《ああ、この小説はこんな幻想的なシーンを沢山見せてくれるんやなあ》とワクワクしながら読み始めました。
全体に漂う《死の匂い》に、ラストはきっと大きな破滅・死が待っているんだろうと、少しビビりながらページをめくっていたけど、しかし、主人公が書いていた小説の主人公(ややこしいなあ)が亡くなった後は何か起こりそうで、結局最後まで何も起こらない。僕の期待は肩すかしに終わりました。
緊張感のある文体は、仕事を失って中途半端なモラトリアム期間を過ごす事になった主人公の心理を表現するために、金子さんが意図的に書いているのかと思ったけど、読み終えてみると単に金子さんの力不足なのかなとも考えます。
あと個人的に、もう少し主人公にユーモアが有ってもよかった。仕事もしないでトカゲのコオロギを与える男。書き方を変えれば、かなり奇妙でおかしい男になるのに、大学院に合格して普通の社会に戻ってきてしまう。トコトン無茶苦茶に動かしても誰も文句言わないのに。
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献本企画にていただきました。
突拍子のない始まりから続くリアルの物語。正直あらすじを読んだ時からこれはどういう意味だろうと思っていたのだけれど、本当にそのままの意味だった。作中で死ぬはずのなかった人物が死ぬという不可思議な事態に陥るのは面白い。現実にはありえない非現実性が逆に魅力に思えた。
固有名詞に少し引っ掛かりは覚えたが、文章は読みやすい。アルタッドに対する思いが溢れていて、思わずトカゲ飼いたくなった。
しかして現実にはありえない現象である。不意の出来事で筆は止まり、書くことは頓挫した。その代わりにアルタッドの世話を焼くがそれでは前に進まない。やる気がうすく、現実を直視したくなくて逃げる言い訳を探している。
「書くこと」それ自体は少しでもしたことがある人なら完結させることの大変さがわかるかと思う。言い訳を探して書かないことなんざ、日常茶飯事。気分が乗らない、夢見が悪い。箪笥の角で小指をぶつけた。さまざまな言い訳ができる。けれど書き上げることができたなら、そこには奇妙な高揚感がうまれるだろう。主人公は書くことではなく描くことで、その気持ちを思い出したように思う。
迷子たちを再び物語のなかに帰してやる、という表現がなんともその気分の高まりを表しているようにも思える。
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若い、若いなぁ。
というのが一番の感想。
書いていた小説の主人公の少年がある日、勝手に死んでいた。原稿用紙の上に血のようにインクの流れる左腕だけ残して。物語を書いていた本間が腕と原稿を埋葬しようとした時、そこから這い出てきたのは作中で少年が育てているトカゲのアルタッド。
ファンタジーとしか思えない粗筋と出だしだが、驚くことにファンタジーではない。
大学院浪人の本間の、アルタッドとアロポポル(同じく作中のサボテン)の飼育・栽培の毎日と、「死」と「生」、そして「書くこと」についての彼の想いが延々と書き連ねられるのだ。
人は生を受けた瞬間から死に向かっている。
なのになぜ生きていかなければならないの?
歓喜や恍惚の境地を書き表したいという欲求と、それゆえの不安と問い。
「書くこと」についてそれにあたるものは人それぞれだろうが、誰もが一度や二度は考え、思考の迷路に迷い込んだことがあるのではないかと思う。
自分や近しい人の死を想像しては、涙したり恐ろしくなったりした子供の頃。
生きる、ってなんだろう。死ぬ、ってどういうことなんだろう。と繰り返し考えてため息をついた日々。
自分の存在意義について考えては、虚しくなったり斜に構えて周りに知ったような口をきいていた思春期の頃。
読んでいると、甘酸っぱいよりも、香ばしいな(フッ)となってしまう若かった自分を思い出してこっ恥ずかしくなってしまうのだ。でもって「(作者さん)若いんだなぁ」と呟いてしまうのだ。
もちろん自分は、本間(金子さん)のように小難しい言葉をこねくりまわすのではなく、もっと粗野で単純な言葉や思考だったけれど。
大学生活を終え、大学院受験までの1年間の意味を「書くこと」に求めたが、求めるところが高すぎて(なんといっても“天上”だもの)止まった手をアルタッドとアロポポルの世話に費やす。
結局のところ、モラトリアムの延長を描いただけの物語、なのかもしれない。
だけど、真っ向から「書くこと」論をぶつけてきた作者に、気恥ずかしさを感じながらもいっそ潔さも感じる。
モラトリアムの終わりが近いと予期させるラストシーンは朝の光のように明るく、読後感はよかった。
献本企画でいただいたプルーフ版にて読了。
Booklog様、河出書房様、ありがとうございました。
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それは、予言されざる死だった——著者の意図せぬ主人公の死、その少年に託された「アルタッド」という名のトカゲとの生の日々。選考委員の保坂和志氏、大絶賛! 衝撃の第51回文藝賞受賞作。
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一行目から勝負をしかけているのはいい。
しかし、タイトルが弱い。バカにされているが、ラノベはタイトルの時点からすでに勝負をしかけている。小説など今やマンガや映画に押される立場で、「恍惚」だの「告白」だのいうタイトルでドンと構えていれば売れるという時代ではないのだ。一行目にかけた熱量の1/10でも、タイトルに分けてやって欲しい。「アルタッドに捧ぐ」ではどんな話だかわからない。
しかしこれだけいいスタートを切っておきながらあとが続かない。まるで300ページ一つのテーマで書ききれないから、100ページ目あたりからどんどん関係ない話して水増しする新書の類のようだ。
10ページくらいの短編だったら、ユアグローっぽくていい話になったんじゃないかと思う。
もしくは阿部和重的ユーモアがあればもっとよかった。
それ以外の点については、なんかもう語るのもバカらしいって感じです。
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なかなかおもしろかったよ。
細かく分けられていて考える時間を与えられてる感(勝手に思ってるだけやけど)、よかったね。
作者は慶應か。羨まし。
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人はパンのみで生きてるわけではないがパンよりも理想を追い求めればさぞ苦しかろうとも。
理解できなくても想像は少し。
アルタッドは殺せない美しい記憶で理想とか現実とかに関わらず素朴に生きていく象徴かしらと思ったんだけど、それが他人の目にも見えるならさぞかし凝り固まった理想なんだろう。
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応募したらもらえた「文藝賞受賞作」(未校正)に載ってた2つのうちの1つ
もう1つと対をなすような生の話って感じだった
書くという行為にあれこれ理由がいるのかー大変だなーと
読む側の自分はちょっとよくわかんないなーと思いつつ
不思議な世界観が気に入ったので
立ち止まりつつも読了
他のも読んでみたいので
星は3つ
ギリ3つじゃなくて迷うことなくの3つ
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1ページ目でぐっと引き込んできて、あとはチョットしりすぼみだったかな。設定をそのまま書いているような説明的な文章、死生観も唐突だし、もうちょっとうまく書けたのではとどうしても思ってしまった。
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架空のような村の民族の話しから始まり、現代社会へとそれがリンクしていく。実は村の民族の話しというのが小説の中での出来事だった……。
普段知ることのないトカゲの習性、生態がわかった小説でした。
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勝手に死んでしまった小説の中の少年からトカゲとサボテンを託された作者。
あらすじだけではさっぱり意味のわからない不条理小説のようなのに、内容はむしろ現実的であわあわとしている。
小説を書かなければいけない、まだ書くべきではないとせめぎ合い、1年もの何者でもない期間を、トカゲとの生活に費やす。
ひいてはなんのために生きるのか、と。
モラトリアム期の鬱屈を陰鬱に書くでなく、ユーモラスに書くでなく、ただ淡々と、ありのままに書いている感じ。
面白いけど、あともう少し、何かが欲しい。
最初の数ページの、アルタッドが現れる辺りが一番面白かった。
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ブクログの献本企画でいただいたもの、読むのにこんなに時間がかかってしまったのは、これら二作のタイトルに気負いしかなかったから。
読める気が、しなかったから。
やっと読了しましたので感想をば。
お話の中のお話が、正直よく分からなくて、ふわふわしてるままいつの間にか終わってしまっていた。彼は、書き上げられるのだろうか。(きっと纏まるのだろう。)
本当にしっくり来ない作品だったのだけど、ラストだけは好きだった。ラストだけで、読んで良かったとほっとした。
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大学を卒業したが、進学も定職に就くこともせず、バイトと小説の執筆だけで日々を過ごす主人公の本間。ある日、その小説も自分の意図に反して主人公・モイパラシアが死ぬという展開に陥り、書くこともやめてしてしまう。本間は原稿用紙と「死んだ主人公の腕」を庭に埋めようとするが、そこからは小説内でモイパラシアが飼っていた、トカゲのアルタッドが現れるのだった。同時期に庭に現れた同じく小説内のサボテン・アロポポルもアルタッドもある意味「普通の」動植物だが、ともに生活し彼らを見つめるうちに、本間は少しずつ変わっていく。(続
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この小説に歓喜や恍惚が存在していないことを非常に残念に思う。カーヴァーの「大聖堂」のようなものを書けというのは非常に酷なことではあるのだが、それを期待させるような小説だった。
とはいえ、体験的にではなく、技巧的に書こうとしていたように読めるので、「詩的」から離れたところで恍惚を描こうとする試みだったのかもしれない。もしくは、「詩的」に憧れつつも棄却せざるを得ないなにかがあったのかもしれないが、そこまで読めなかった。
アルタッドの存在が、あるいはフィクションを書く/読むことが私たち(本間)の生活に必要なのは、フィクションが私たちを形づくっているからだ(というのも私たちは言語世界に生きているから)。
だからなぜ書くのかという問いには、生きているからだ、と答えるほかなく、それを真っ向からこの小説は描いているのである。