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冒頭から心に刺さることがずばり書かれていた。
「多くの人は、共感とは相手の感じているのと同じ感情を具体的にそっくりそのまま感じることだと考えています。…多くの人は、共感をこのように定義づけた上で、「共感なんて本当にできるのか?」という問いをくり返しくり返し、問いかけ続けます。」
私がこの本を手に取ったきっかけは、友人に何気なく「カウンセラーに向いてそう」と言われたからだ。それと同時に、日頃から「共感」を上の「多くの人」と同じように定義づけていたため、自分が人に共感するなんてできっこないと思っていた。あらためて共感とは、心理カウンセラーとはどんなものなのか知るために本書を読んでみた。
著者は現職のカウンセラーで、説明のための実例も書かれており読みやすい。
医者は体の不調は治せるが、心のわだかまりについてはそこでは置き去りにされる。法律の問題でもそうだ。弁護士は法律の専門家ではあるが、法的な争いにおける心理的なケアまでは行わないだろう。身体的な問題であれ法律的な問題であれ、人間には心の問題というのが同時につきまとう。むしろ、心理的な問題を解決することで前向きな行動をすることができ、心理的ではない問題を乗り越えることもできる。そうした心理的ケアのひとつとして、「共感的な関わり」は欠かせないものである。
心理学については河合隼雄の著作を読んだことはある。大学で精神分析入門の講義を履修したこともある。しかしそれらはいわゆる「学問」の領域で、実際に目の前の人間と対峙するようなものではなかった。学問としての心理学も非常に興味深いのだが、こうした実践的な内容も実に面白かった。
カウンセリングの実例の中で、ふとクライアントの苦痛の核が見える瞬間が、大袈裟かもしれないが感動的だ。傷ついた人間が再び前を向く瞬間は美しく、小説や映画の中では物語のクライマックスにもなるだろう。それを体験できるカウンセラーに憧れを感じた。もちろんその過程には色々な試練があるのだろうが。
私はカウンセラーではないけれども、日常の気軽な会話の中でも共感的に人と関わってみたい。知識として理解するだけではなく、体験して実感したい、そう思った。
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近しい関係の方がとても悩み苦しんでいます。その方が私に苦しみを話してくれた時に、少しでもその方の力になれたらと思って、この本を手に取りました。
悩み苦しんでいる人の話を聞いた時に、自分の経験したことのない程の苦しい物事だった場合、私は、その人の本当の気持ちを心から理解して寄り添うことがとても難しいと感じます。自分の発する言葉がとても安易に感じてしまい、自分の非力を感じ悩んでしまう事もありました。
以下、とても参考になりました。
-誰かと共感的なコミュニケーションを取ると決めたならその時間はただ相手の気持ちを受け止めることだけをするように心がけます
-人は基本的に物事を自分中心に考えてしまいます。共感的なコミュニケーションをすると決めたなら、相手中心に考えるのです。相手の気持ちを感じとるのです。
-自分の意見は脇に置きます。共感できない自分の思いは放っておく心構えが必要です。自分自身の評価や気持ちから離れるのです。
-その人のありのままを「受容」し「共感」し「変化促進」を促します。
-正解のない道のりです。結局自分で答えを出すしかありません。それを踏まえた上で一緒に悩んでくれ、孤独な道のりを共に歩んでくれる人が、悩んでいる人には必要なのです。
-「反射」の受け応え。悲しいんです、に対して、悲しいんだね、と返すことで、悩んでいる人はさらに発展させて話すことができます。
-悩んでいる人の、まだ話していないこと、話せないでいることを聴く方がもっと大事です。声、視線、姿勢などにおぼろげに現れた影に、気づき、言葉を与えること、それが深い共感です。
-相づちは調子を合わせる行為です。ダンスのステップを踏むように。
-人は常に矛盾や葛藤を抱えて生きています。また、人の気持ちは時間とともに変化します。性急に白黒つけようとしてはいけません。悩んでいる人が持つ、葛藤や相反する気持ちがある辛さを共感し受容するのです。
学ぶことの多い本でした。
最後に。一番大事なことは、相手を信じきること。悩んでいる人のありのままを信じきること。だと思いました。
実践できる人間でありたいと思いました。
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【気になった場所】
共感には感受性が必要
・相手の気持ちを感じる感受性
・自分の心を感じる感受性
共感とは
→人と人とが関わり合い、互いに影響し合うプロセス
→相手とまったく同じ気持ちになる必要はない
例)
男性の自殺率が女性の2倍である理由
→人に気持ちを打ち明けない傾向が強いため
→心理相談やメンタルヘルスの相談に自発的に現れることが少ない
共感の手順
・感じていることに注意を向ける
・相手の立場に立ち、価値判断抜きの態度で感じる
・共感する気持ちを表現する
共感は訓練や経験によって開発できる
共感に必要な能力
=観察力+想像力+表現力(+忍耐力)
反射≠オウム返し
→相手の気持ちをそのまま繰り返すこと
共感に対する誤解
・相手の気持ちをピタリと当てる必要はない
→相手の気持ちを感じたままに伝えること
・相手の話を遮っても良いことがある
→相手との間に十分な間を設けること
・相手の気持ちに賛同できなくても良い
→相手に共感できないと感じることが重要
深い共感とは
→相手が言葉にできないことを聴き取ること
→相手の振る舞いから違和感を感じ取る
例)
特徴的な言葉の選び方、不自然に力みのある考え方、声、姿勢、視線、態度や素振り等
相槌の打ち方
・相手の声の調子に合わせる
→相手の声のトーンに注意を向ける
建設的な愚痴の聞き方
・まずは話を聴いてあげる
・その時に相手がどう感じたかを尋ねる
→回答が曖昧なら、さらに相手の気持ちを深掘ってみる
→自分の気持ちに注意を向けていない人は多い
家族への共感は難しい理由
→家族に無自覚のままに共有している不自然で無理のある暗黙の了解が、家族に苦しみやストレスをもたらし、互いへの共感を妨げる
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共感とは何かを、心理学の学問としての説明から、実際どうやってするかを例を挙げて説明しています。
実際共感に問題を感じている方の対処法の本です。
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価値観が多様化し、1つ1つの価値観の重要性が相対的に薄れていく現代でこそ、『自分の価値観を明確にした上で、価値判断を含まない関わり方』をする重要性が際立つのではないでしょうか。もし人々が、自分の価値観が大切だという世論を持っていなければ、自分たちを導いてくれる答えを求めるように感じます。
「ある一定の価値観によって、啓蒙されない状況」つまり、「1つ1つの価値観が尊重される状況」に対して、自分がどのように感じるかに敏感になるところから、始めようと思います。
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p46 あなたは共感しようと努力する必要は少しもありません。ただ、いつの間にか共感している自分に気がつくだけです。
p56 誰かに共感するためには… 観察力、想像力、注意のコントロール力、表現力
p62 価値判断を留保した態度で、そのままに、ありのままに受けとめる態度が受容であり、そこで感じられることに注意を向けて感じ取ることが共感なのです。
p108 葛藤の両面をつなぐときに、そして、それと同時に、その一方でといった接続詞を使ってその二つを穏やかな関係でつなぐ。コメント全体を穏やかな声で言う。
p155 自分の気持ちに注意を向けることをしない習慣を長年にわたって発展させてきた人の場合、単にそのときあなたはどんな風に感じましたか?という質問をシンプルに尋ねるだけでは、いったいなにを尋ねられているのか、質問の意図がピンときてないことが多い。
p178 悪意のある話の背後に、必ず傷つきの体験があると保証できるわけではありませんが、私の経験からはしばしばそうだと言えます。悪意そのものよりも、その悪意の背後にそうした傷つきが感じられるかどうかがら、その人と共感を深めていけるかどうかの重要な分かれ目だと思います。
p185 率直に謝ることは強さであり、それ自体が大切な教育です。
p186 共感があからさまに失敗したこうした最悪の瞬間を修復する作業が、共感を深めます。共感は、「共感の傷つき」を共感自体で癒し、それによって太く育つのです。
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共感とは、ということについてとても詳しく書かれている。対人サービス職、マネジメント層の人は1度読んでおくと良いかも。
memo
共感は、「人と人とが関わり合い、互いに影響し合うプロセス」のこと。互いの心の響き合いを感じながら関わっていくプロセスであり、それを促進していくための注意の向け方や表現のあり方などを指すものである。
共感は「感じたままに受け取る」で終わるのではなく、感じられたものは〝表現される、伝えられる〟必要がある。
誰かに共感するためには〝観察力〟〝想像力〟〝注意のコントロール力〟〝表現力〟が必要。
本人にしか解決できないことだから、一人で取り組ませておけ、というのはあまりに冷酷な姿勢。一人ではできないことを、一緒に考えてくれる人が必要なのです。(=カウンセラーの役割)
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他人に共感する技術について書かれたものですが、自分への共感も大事なんだなと気付かされます。他人に対しても自分に対しても、共感は、同じ空間にいることを全身で感じるものということも、大事だということ。とするとコロナ禍という同じ空間にはいない中で、今後はどんなふうな共感ができるのかな、とも思いました。
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共感というテーマに絞られており、細かな技法が沢山提供されるのがよかった。
たとえば反射のやり方にもさまざまなパターンがあるというのはとても示唆的で、そのような細かな掘り下げはカウンセリング的な対話術全般を扱う類書には見られないものだった。
また、自分の精神と向き合う際のやり方についての言及も散見された。こちらは、思い悩んでいる依頼者へのアドバイスとして直裁的に役にたつだろう。
読了してよかった。
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どんな悩みであっても、それが語られるとき、そこで求められているのは相手からの共感です。そういう意味では、すべての悩みはどれも同じであると言えます。悩み相談において最も重要なのは共感であると言われるゆえんです。
現代人は孤独だと言われます。コミニュティが崩壊し、社会はバラバラな個人の寄せ集めになってしまいました。もはや隣人がどんな人物で、何をしているかも知らないし、関心もない、というのが当たり前の社会です。ですから、現代人はみな孤独であり、孤独を癒したいという願望を抱いているはずです。誰かとつながりを感じたいと願っているはずです。
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関わって感じ表現する
相手に巻き込まれて感じ表現する
関わりと観察のバランス
共感とは自分と相手との協会があいまいになる
いつか死ぬことわかってるひと共感たかい
苦しみはわけ会えば半分、喜びはわけ会えば倍になる
共に喜ぶこと共に楽しむこと、ともにわらうこと
青年にとって、恐さを共感してくれた上で、その恐さをどう乗り越えていくかを一緒に考えてくれる人が必要なのです。共感は、その作業のための必須の礎石となるものではありますが、その作業に代わるものではありません。
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平易な優しい言葉で書かれていて、文章の感じがとても好きでした。
共感しすぎてしまう時についての章が、今の自分にとって、とても参考になりました。
高齢だったり、困難な状況で支援につながる方の書類を毎日見たり、聞いたりしていると、私も人ごとではないので、その人になった気がして、その一番苦しい箇所で共感して、ぐっと固着してしまう、そういう毎日があったのですが、文を読んでいて、少し視点が広がり、呼吸が深く安心する感じがしました。
また、認知行動療法を自分でやる時の、見方の広がりの参考にもなりました。
折にふれて、読み返したいです。
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プロのカウンセラーの共感の技術】
教師や子どもと関わったり人と関わったりするすべての人に必須の本です。
私が、誰かと話をしていて「残念だな」というか「悔しい」と思うのが、
しゃべっている時に話を遮られたり、
「それ違う」と否定されることです。
あるいは、
自分の課題に入ってこられて、「つまりそれってこういうことだよね。こうするべきなんじゃない」と頼んでもいないのに解決されようとすること。
全て「善意」なのかもしれませんが、
それをされるとカチンとくる。
絶望的な気分になる。
それは、自分の話を聞かれていないというか、受け止められていないんだな、というふうに感じて哀しいわけです。
抜けない釘が心に刺さったみたいないやーな感じが続き、
イライラが治らず、
心の中で相手を裁いてしまっている心の狭い自分に対しても自己嫌悪が続き、、、となる。
「どうせわかってくれない」。
ここまで書いて、
「うわーーー!これやっちゃってる!自分やわ!」
と思い当たっている方もいるかと思いますが、
そこはどうか自分をお責めにならないでください。
これって、練習と技術でかなりうまくいくものなのです。
結局、問題のヘッドピンはどこか、人が一番求めているのは何かというと、
「共感してもらえること」なのです。
「受容してもらうこと」なのです。
「ジャッジせず、価値判断を交えずに受け止めてもらいたい。」
答えを出してもらえるとか、問題を解決してもらうことは、その後なんですね。
というよりも、「心から受け止められた」と感じることから自動的に変化、変容は始まっていきます。
そのための技術の一つとして、
「ミラーリング」というものを紹介させていただきたいと思います。
例えば、ある人が「もう限界」と言ってきた時に、どう返すか。
「頑張れよ」と励ましたり、
「どうして?」と聞いたり、
「いやいやそんなことないよ。大丈夫」と言ったり、
「そんなこと言っちゃダメだよ」と責める人もあるかもしれません。
それらの反応とは異なり、
「もう限界なんだね」とそのまま反射で返す、ということです。
もちろん単なるおうむ返しではなく、
聴き手は、余分な方向づけをせず、話し手が表現したことを足場にしてさらにそこから表現を発展させるように促しているのです。
◆
ひょっとすると現代人の多くの孤独や悩み苦しみの淵源にはこの
「共感」の欠如が横たわっているのではないでしょうか。
「どうせ誰も自分のことなんかわかってくれない」が満ち溢れている。
伝えてばっかりで、コントロールしようとしがちで、
存在をそのまま受容できない。じっくり受け止められない。
そこから人と人とのほつれが始まり、断絶に至る。
もし、私たちが少しでも、この「共感」と「受容」という態度を身につけるだけで、あらゆることが変化していくのではないでしょうか。