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世界中のいたる所で人間は死後の世界を信じており、肉体が機能を停止したのちも、意識をもった人格は生き残ると信じている。
有史以来、人間が死後に持つイメージとは如何に形作られ、どのような変遷をたどって現在に至っているかを紐解くのが本書の目的である。
四千年前にシュメール人によって書かれた「死者の書」からフロイト以降の時代まで、地獄のイメージを中心に解説していく。
アメリカ人である著者の筆致が特に振るうのは、キリスト教の説く地獄について。
古代のキリスト教徒や異教徒に共通した観念は、「太古におけるなんらかの違背が現在の人間の不幸の原因である」という考えであった。
アウグスティヌス(354〜430)は、「創世記」の記述でにある「神、その造りたるすべてのもの見たまいけるに、はなはだ善かりき」とあるのを引きながら、想像された自然の美であり善に対置させるかたちで「原罪」という教義を定めた。
我々が種の再生産をするさいの哺乳類動物としての行為(性行為によって子孫を残す事実)に結びつけられた発生論的な罪というもののせいで、人類のほとんどすべてが永遠の罰に耐えねばならないほどに、破滅的で取り返しのつかない堕落腐敗に陥ってしまった。
アウグスティヌスは、マニ教の世界観が闇の王に支配されているのと同じように、この世はいまや悪魔に支配されているとも主張した。
そこには、彼の生きた時代性というものがある。
410年には西ゴート族がローマを略奪し、異邦人たちはローマの版図のそこここに群がった。
429年にはバンダル族がアウグスティヌスが長年なじんだヒッポの町(現アルジェリア アンナバ)が占領された。
彼は、世界が瓦礫となるのを見ながら、この翌年に死んでいる。
そして、ローマ帝国が世界の終末の合図となった。
ゴート族、西ゴート族、東ゴート族、フランク族、サクソン族、アレマン族、アレマン族、そしてフン族がローマの旧領を席巻するにいたってついに崩壊し、476年には最終的に降伏したのである。
著者は、数世紀にわたって正典として受け入れられて来た「ニコデモの福音書」の記述が、キリスト教の矛盾と宗教改革における重要な論点になったことを示唆している。
イエスは十字架の処刑のあとに起こった偉大なる出来事(地獄の征服)を証明するために、一時的に死者の中からよみがえってきた。
処刑はみじめな失敗に終わってしまったので、地獄はその住民たちを解放せねばならなくなった。
キリスト教という宗教にとって決定的に重要性を持ったのは、それが雄々しく、能力のあるイエスの肖像を伝えたからである。
十字架の上で苦しむとか、貧者に教えを垂れるとかではなく、悪霊どもを相手に戦い、囚われ人を救い出し、非道を正し、そしてあたかも凱旋する勇武の王の如く布告する肖像である。
しかし、この物語にも難点はあった。
もしサタンがイエスの手で打ち破られ監禁されたのであれば、いったいどのようにしてサタンはわれわれのそばを離れないのだろうか。
「もしイエスの死��よってすべてのキリスト教徒の将来の解放が保証されるのだとしたら、いったい免罪金は誰に支払われるのだろうか?
悪魔にだろうか?」といった矛盾である。
中世になると教会は、人の死後の罰に対する恩赦を与えるため、最終的に教会は教皇の赦免、つまり「免罪符」を売るという商売をはじめた。
これが貧者への献金というたわいもないものであれば何ら害にはならなかったのであるが、時にはなはだしく常軌を逸するものとなった。
たとえば富裕な人間は貧者に比べて良心に引っかかるやましい点がずっと多かったろうが、彼らは貧しい者たちを雇って自分のかわりに祈りをさせ、断食させ、また巡礼や十字軍やらに赴かせた。
また、苦行用のシャツを着せて自分の身代わりに鞭打ちの難行まで言いつけたのである。
こうした罪滅ぼしの代理の苦行は、それに見合った金銭や財貨の捧げ物とともに教会から承認された。
こうして十二世紀以降、教会に対する不満が弾圧を受けてもなおふくれあがってくる。
十五世紀の中葉に発明された印刷術は、教会に対する抵抗にはかりしれない恩恵をあたえた。
教会は長いこと俗人が聖書を読むのは異端であるという立場をとってきた。
信者の母国語に翻訳されたものはむろんのこと、ラテン語で読むことさえ禁じていたのである。教会はひそかに流布していた写本を厳しく取り締まり、焼却に努めた。
しかし、印刷技術の登場で、そうした処分はとうてい無理になった。
16世紀になると、主義のために命をかけて闘う情熱的な一人の男が登場する。
マルティンルターである。
教会が死後の世界に介入してくる仕組みはすべてまやかしであり、ほかでもない欲得という動機から悪人たちがでっちあげた代物であるとするルターは、「強講座は悪魔の占有するものであり、反キリストの王座であるとみなす」とまで持論を展開した。
最初の覚醒運動は、アメリカの歴史に二つの明白な影響を及ぼした。
第一の影響は、解き放たれた感情というものが、まもなく植民地全体をつつむ革命的情熱を昂進させたこと。
第二の影響は、ベンジャミンフランクリンやジェファーソンといった人々は、フランスの啓蒙運動期における宗教的熱気に嫌気がさし、アメリカを宗教的な党派主義・狂信性から独立させておくためには、宗教上の多元性が保証されなければならないとした。
彼らが起草したアメリカの独立宣言書は「自然の法と自然の神」にしか言及していない。
合衆国憲法の中にも神の名はどこにも触れられていない。
教会は、断固として国家からは分離されたのである。
近代になり、新たな思想は宗教批判を徹底的に行うことで、民衆を地獄(イメージとしての)から解放することに至る。
カールマルクスは、宗教を「気を散らすもの」として一蹴した。
「民衆にとっての阿片」であり歴史的に見ると搾取と専制を維持・推進するための道具であるとした。
フリードリッヒニーチェは進歩を信じていなかった。
とりわけ強制された平等主義に基づく進歩は信用していなかった。
人間というのは、その実情は極めて凡庸で体勢順応型であるから、怪���な超自然的脅威を用いて人間をまとめてコントロールしておこうという卑劣な策略がキリスト教であるとした。
彼の言う「超人」とは、体勢順応性に(組織宗教やナチズムへの順応性)抵抗するだけの意思と力量をもった個人こそが超人なのであった。
文学の世界においても、スヴェーデンボリの「天国と地獄」や、マルキドサド「ジュスティーヌ」「ジュリエット物語」は啓蒙思想の伝統的な延長線上にあるのだった。
もし神というのが存在しないならば、神に対する責務も存在せず、社会契約もなく、他社の理不尽なる抹殺も含めてあらゆることが許されることになるという考えを自らの作品で記した。
その他にも、マシューグレゴリー「修道士」、チャールズロバート「放浪者モルメス」、ヴィクトルユゴー「ノートルダムドパリ」などがその系譜らしい。
また一方19世紀の退廃的なムードの中で、地獄を信仰するグループもあらわれた。
麻薬はとりわけ魔術結社「黄金の暁会」といった悪魔信仰家のグループとしばしば関連させられている。
黄金の暁会は、ウィリアムバトラー、アルジャナンチャールズ、オスカーワイルドも参加していらしい。
我々がイメージする現実と非現実の世界が、宗教の変遷に大きく影響されていることはもちろんだが、そのイメージが如何にかたちづくられてきたかを再考する上で、非常に役立った。
最後に、私が最も興味深かった地獄のイメージである、590年頃に書かれた「対話録」の記述。
そこには、現代の臨死体験ともいうべき内容が記されている。
ステファノなるコンスタンチノープルの商人は、死んだあと、話には聞いていたが信じていなかった地獄というのを目のあたりにした。
ところが、じつは彼の死は間違いで、本当はもう一人別のステファノという男が死ぬはずだったのである。そういうわけでステファノはただちに生き返りってきたのである。
彼が見た地獄とは、汚らわしく耐え難い臭気を放つ、黒煙を出す小さな川とそれにかかる橋。
川を渡った向こうにはきれいな草原が広がり、輝く館がいくつも建っており、うち一つは黄金造りである。
ところがその橋をわたってゆけるのは、罪を知らぬ汚れなき者だけである。橋野こちら側にはサディスティックな教会役員が、この上なく汚らわしい場所に鉄の鎖で縛られている。
ステファノは橋を渡ろうとして苦労していたのだが、滑って転ぶと恐ろしい生き物が川から頭をもたげ、彼の足を掴んで川へ引き込もうとするのであった。
しかし同時に上方から白いものの姿が彼の手を掴んで引き上げようとしていた。
日本における三途の川とイメージが重なるあたりも興味深い。