サステナブル社会のためには
2016/03/01 17:23
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投稿者:エログロナンセンスおやじ - この投稿者のレビュー一覧を見る
原発再稼働の既定方針を突っ走る政府と財界。このタイミングで福島第一原発事故での東京電力の隠し事が5年後に判明した。いい加減の極みである。真面目にサステナブル社会を考えるならばハーマン・デイリーの著作は最適である。特に本書はブックレットなので時間もかからず読むことが出来る。
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元世銀のエコノミストで、経済学者のハーマン・デイリー氏が主張する「定常経済」について、枝廣淳子氏がインタビューしたのをブックレットにしたもの。
定常経済とは、成長に必要な自然資本の利用が限界に達しつつある現在、人類の持続可能性のためには、成長神話ではなく、現状に見合った仕組みに変更すべきであるといったもの。
経済成長にも損益分岐点のようなものがあり、一定の限界を超えると、成長のためのコスト(自然資本の消費)が成長のメリットを超えてしまい、不経済な成長となってしまう。先進国では、現在その状態にある。
そこで、可能な限り低いレベルのコストで維持できるシステムに変えていかないといけない。
例えば、地球は閉じたシステムなので、そこから得られる物質もエネルギーにも限度がある。それらの資源を再生産が可能な状態で利用するためには、キャップアンドトレードのような仕組みを活用する必要がある。また他にも、ワークシェアリングや、民間銀行の準備預金の準備率を100%にして公共財の投資を増やす、最高所得と最低所得の幅を制限する、など、ちょっと現実味に欠ける向きもあるが、いくつかの政策も提示している。氏によると、限界が露呈している中で、成長神話にしがみついてこの先行くことを考えると、十分あり得る代替案だとのこと。
少子高齢化や失われた20年といわれるように、ここで話題になっている成長の限界については、日本が先頭に立っているのかもしれない。そこで、日本がどのように、これらの問題にうまく対応し、解決できるかは、ある意味日本のチャンスとして存在しているのかもしれない。そのためには、客観的な現状認識と、多くの人の考え方が変わる必要があると感じた。
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確かに「いっぱいの世界」になってしまっている。それを前提に成果指標を見直すことは大切。まだまだ人間の知恵で解決していけることはある。
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経済の、経済による、経済のための発展なのか。
どこまでも成長しようとするのは勝負事の考え。
「定常」とは冷えも沸騰もない恒温を意味する。
そこで人ははじめて互いにまともに生きられる。
恐竜の如く成長が止まらないならば繁栄は無理。
要はバランスを保つ力とエネルギーの循環再生。
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不毛な「成長」神話をつきすすむ一資本主義人として読む。読み終えてなお、スループットの減少のために自らが何をすればいいのか浮かばず、改めて自分の21世紀性に感じ入る。新幹線に乗りながら。
この読後感には『里山資本主義』を読み終えたときと似たものがある。果たしてこの世界は来たり得るのであろうか。遠すぎて見えない、霞の向こうの話と聞こえる。
いかに自らに引き付けていくか、これからの身体活動が必要になってこよう。
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我々の世界が「空いている世界」から「いっぱいの世界」にシフトした今、経済拡大に頼った問題解決は不可能。
「効率を上げて総量を減らす」ではなく、「総量を減らし、効率改善する」というのがエネルギーや温暖化に関する政策の設計原則。
限界費用と限界便益が等しくなる時点でGDPの成長を止めるべき。
幸福度の自己評価は、一人あたりのGDPが年二万ドルまでは一人あたりGDPと共に上昇し、そこで止まる。幸福度にとって、実質所得の絶対額は充足ラインまでは重要だが、それを超えると自分自身のアイデンティティを構成する人間関係の質の影響が大きくなる。
量的な増加ではなく、質的な向上へ。成長(Growth)から発展(development)。
今の我々のエコロジカルフットプリントは 1.5。つまり地球が1.5個必要。これを1以下に下げる事。
持続可能性の3条件
1. 「再生可能な資源」の持続可能な利用速度は、その資源の再生速度を超えてはならない。
2. 「再生不可能な資源」の持続可能な利用速度は、再生可能な資源を持続可能なペースで利用する事で代用できる速度を超えてはならない。
3. 「汚染物質」の持続可能な排出速度は、環境がその汚染物質を循環し、吸収し、無害化できる速度を上回ってはならない。
未来世代にとっての「必要なもの」は、現世代の「ぜいたくなもの」よりも上位に来るべき。
「社会が手段(経済成長と個々の利益の追求)ではなく、目的(幸福)に注力できる日はそれほど遠くない。」John Maynard Keynes
効率改善の限界に達した後も経済を成長させようとするならば、エネルギーを含む自然資本の使用量を増やすしかない。そして、自然資本には限りがある。
働く人が自ら出資し、運営し、働くワーカーズコレクティブが増えている。
これからは、人手をかけても資源の消費量を減らす事、つまり、労働生産性よりも資源生産性を重視する時代になる。
経済は、「独立して交換可能な業界がゆるやかに集合しているもの」としてではなく、「統合された全体」として成長する。
経済成長が失敗する2つの理由。
1.「いっぱいの世界」でプラスの成長が不経済になる。
2. 物理的な限界を超えて膨らんだ金融バブルの崩壊によるマイナス成長がじきに自己破壊的になる。
定常経済にシフトする為の10政策
基本的な資源に対して「キャップアンドトレード」の仕組みを設ける。
環境税の課税基盤を「労働と資本」から「廃棄物」へとシフトする。
最低所得と最高所得の格差を制限する。(米国の行政、軍、大学での格差は、20:1。企業では500:1。日本は15:1。他先進国は25:1。豊かな人々と貧しい人々は殆ど別の生物種であるかのように、共通の経験や関心がなくなる。)
就業日、週、年の長さを縛らず、パートや個人の仕事の選択肢を増やす。
国際貿易を規制し、自由貿易、自由な資本の移動性、グローバル化を制限する。
WTO、世銀、IMFを降格させる
民間銀行が中央銀行に預け入れる準備預金の準備率を100%に引き上げる。
希少なものを希少でないかのように、希少ではな���ものを希少であるかのように扱うのをやめる。
人口を安定させ、「出生数+移入者数」=「死亡者数+移出者数」にする。
GDPを「費用勘定」と「便益勘定」に分ける。
我々一人一人が「成長しない地球に暮らしている」事を再認識し、未来世代も含めて、持続可能で本当に幸せな暮らしとは?経済とは?社会とは?をじっくり考える事。
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ジョン・スチュアート・ミル
「資本や人口が定常状態にあってもそれが人間の進歩
向上をも停止状態におくことを意味しないのは言う
までもない。あらゆる種類の精神的教養や道徳的
社会的進歩の余地は従来と変わらず大いにあり
「生活の技術」を改善する余地は大きい。
したがって人類の心が経済的成功の術策の熱中する
ことがなくなればいっそう向上するだろう」
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ウルトラセブンの言葉を借りれば、血を吐きながら続ける悲しいマラソンに終止符を打とう、ということか。
無闇な成長で自らの首を絞めるよりは、発展や成熟に変えて行くべき。
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付箋をペタペタ貼りながら、そうだよねーそうだよそうだよ、と共感を持って読み進めていたが、Ⅲ章になって少々違和感が発生。広告を「『必要ないものを、持ってもいないお金で、知りもしない人に対する見栄のために買う』のがよいと人々を説得するための」支出とするのは、どうなのか。その定義がまず違うのでは?人口数を安定させるのに「出生数+移入者数=死亡者数+移出者数」とするって、そりゃそうかもしれないけど、出生数や死亡数を管理するの?どうやって?結局移民を制限するってこと?…などなど、どうもね、最終的には腑に落ちずに終わった。
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対談形式で60ページ余りのブックレットだが、聞き手が細かい点まで丁寧に質問しているため、デイリーが考える経済成長の問題点や定常経済の姿がわかりやすく説明されている。
私たちの世界は、「空いている世界」から「いっぱいの世界」に変わった。「空いている世界」の制約要因は人工資本だったが、「いっぱいの世界」の制約要因は残っている自然資本になる。漁業では、かつての制約要因は漁船だったが、今では海の中の魚の数とその再生能力になっている。原油生産では、かつての制約要因は掘削装置と汲み上げポンプだったが、今では地下に残る原油量やCO2を吸収する大気の能力になっている。
今では、環境問題を含む経済の成長のための費用の方が、生み出される便益よりも大きくなっている。財やサービスを新たに1単位生産するのに必要な費用である限界費用は、GDPが成長するごとに増加するが、1単位生産することによって得られる限界便益は減少する。その理由は、社会は最も切迫したニーズから満たしていき、最も利用しやすい資源から用いるが、次第にニーズの低いものを対象とし、利用しにくくコストの高い資源を利用することになるため。GDPの中身を費用と便益に分けて、環境汚染の経済的な損失を考慮に入れた持続可能経済福祉指標(ISEW)や、それに人の幸福に影響を与える項目を加えた真の進歩指標(GPI)は、アメリカや他の先進国では1980年頃から横ばいになっている。また、様々な研究において、一人当たりのGDPが年間2万ドルになると自己評価による幸福度の上昇が止まることが示されている。充足ラインまでは実質所得が幸福度の重要要因だが、所得が高い国々では、人間関係や社会の安定性、信頼、公正などが幸福の決定要因となる。すなわち、GDPの成長は幸福度を増やさない一方で、枯渇、汚染、ストレスなどのコストを増大させている。
アダム・スミス、J.S.ミル、J.M.ケインズといった古典派経済学者たちは、労働や土地によって価値が決まるという客観的価値論をとり、将来は定常経済に向かっていくと考えていた。1870年代に新古典派経済学が台頭して、効用や満足をどう感じるかによって価値が決まるという主観的価値論をとるようになり、資源や土地などは押しやられてしまった。新古典派経済学者たちは、経済成長がなければ、貧困問題への解決策は再分配しかなく、人口過剰に対する解決策は人口抑制しかなく、環境の修復のためには消費を減らすしかないと考える。経済成長のイデオロギーは、国家の力と栄誉の基盤であり、経済成長が続けば誰も犠牲にすることなく、すべての人が繁栄でき、再分配をしなくても済む。経済成長が続くと信じるのは、その方がややこしい問題に立ち向かうよりも楽だからに過ぎない。経済は生物物理システムの中にあり、物質に依存しており、熱力学の法則が存在していることから、経済成長が長期的に続くことはあり得ない。
定常経済とは、一定の人口と一定の人工物のストックを持つ経済。より良いモノやサービスを求めることには変わりがなく、物質やエネルギーの投入量が一定になるので、技術の進歩が質の向上を生み出す源泉になる。定常経済における競争力の源泉は、より少ない自然資本で質の高��モノやサービスを生み出す能力となる。また、労働生産性よりも資源生産性を重視することになる。より重要になるメインテナンスや修理は、労働集約的な産業であり、海外移転もしにくいので、多くの雇用を提供できる。成長は量的な拡大であるのに対して、スループットあたりの経済維持力を改善し、暮らしを向上させることは発展になる。自然資本の維持のためには、キャップ・アンド・トレードのシステムが最も良い。税制の基盤を現在の労働と資本から、自然から取り出す資源と自然に戻す廃棄物にシフトする。
今や、経済成長のための費用の方が便益よりも大きくなっており、幸福ももたらしておらず、資源の枯渇や汚染を増大させているだけであると指摘は重大だが、感覚的にもその通りのように思える。人々も、資本主義の論理や競争原理、所得の金額、モノの所有や消費といったものに踊らされているのが実態なのではないだろうか。物質やエネルギーの投入量を一定にして、技術の進歩によって発展をもたらす考え方には賛成できるし、資源の枯渇や環境の制約によって否が応もなくその方向に進んでいくだろう。しかし、そのれは、資源に乏しく技術によって発展してきた日本人には得意な方向だから、率先して進める有利な立場にあるのではないだろうか。キャップ・アンド・トレードのキャップをどのように決めるかは、温室効果ガスでも長年の議論が続いたことからも難しい問題と考えられるが、トレードについては排出権取引の制度を応用することができるだろう。税制を資源と廃棄物を基盤としてものに変えるのは大きな改革だが、生きている間は大地を借りて、死ぬときには返すという先住民族などの考え方にも似ているように思う。本来のあるべき人間の生き方と言えるのではないだろうか。
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インタビューをまとめたもので60ページ程度ととても読みやすいが、内容は濃密。
「現在の人間活動を支えるのに地球はいくつ必要か」を計算するエコロジカル・フットプリントの最新値は1.5、つまり今の私たちの活動を支えるのに地球は1.5個必要ということ。
これを1以下に下げる前提で、「定常経済」とは、一定の人口と一定の人工物のストックを、可能な限り低いレベルでのスループットで維持するというもの。
それでも経済成長神話から抜け出せないのは…
経済成長がなければ、貧困問題の解決策は再分配しかないが、経済成長を先導している人たちにはデメリットなので忌み嫌われる(しかし、成長しても、豊かな人が豊かになるだけで、貧しい人は豊かにならない!)。
経済成長がなければ、成長によって子供の数が減ることによる人口減が期待できず、人口抑制するしかない(この抑制の意味するところがよく分からんが)。
経済成長がなければ、環境の修復への投資には現在の消費を減らすしかない。
そんなわけで、「それでも成長!」となってしまう。
発想を変えていく政策提言にも踏み込まれている。一市民としてできることは何だろうか。。
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2021.73
非常にわかりやすかった。。。
・今は成長経済が逆機能となった。(空いてる社会からいっぱいの社会となったため)
・成長ではなく、発展へ
・持続可能性を担保するためキャップを設定する
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世界は、すでに「いっぱいの世界」になってしまった。閉じたシステムの地球で成長の余地は少ない。
モノを作り出すにはエントロピーの低いエネルギーが必要。
すでに、成長が不経済になっている。成長の便益が環境負荷その他の犠牲よりも少ない。
古典派経済学では、将来は定常経済になると考えていた。ジョンスチュアートミルなど。客観的価値論=価値は土地と労働で決まる。
限界革命が起きて、新古典派経済学が台頭した。=主観的価値論。
定常経済とは一定の人口と一定の人工物のストックを持つ経済。エントロピーの法則に反しない。ストックの維持にのみエネルギーを使う。新たには作り出さない。
再生速度を超えない、汚染は回復できる限度まで。
GDP成長をゼロにするのではなく、結果としてそうなるかもしれないだけ。
経済学では、どのような物質も希少性は相対的なものであり、代替可能であると考えている。
技術だけでは解決できない。環境負荷が少ないエネルギーが開発されると、その分消費が増える。
熱力学の法則では、生産はエントロピーの増大をもたらす。技術が発展しても、エントロピーを増やすことは間違いない。
定常経済では、人口が安定しているから雇用を増やす圧力がかかることはない。
定常経済=成長できない経済、ではない。成長しない経済。再配分は必要。無理して経済成長をしても豊かにはならない。
ジュボンヌのパラドックス=資源の利用効率の上昇で、資源の値段が安くなり結果として資源消費量が増えてしまう。順番が逆。
無理して成長を図るとバブルの崩壊を招く。
キャップアンドトレードで、資源量を維持できる水準を先に決めて、それを守る。
CO2は、排出量取引制度でキャップをかぶせる。