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歴史家の立場で、著者や専門家に発見された歴史学から裏付けされた地震などの前兆・天災による罹災状況を著述し、防災知識として昇華したエッセイ。
読者一人ひとりに語りかけ、被災しても、必ず生存して欲しいという著者の願いが詰まっている。
地震、高潮、津波、富士山噴火など中身が、充実し、防災のための知識として、この作品を、1冊目としていいのではと断言してもいいと思う。
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とても勉強になった。先人のメッセージは古文書の中だけでははなく、神社の位置や地名にも現れている。例えば、南三陸町の防災庁舎。地名は「塩入」という。江戸時代、津波高潮の被害を塩入とよんだそうだ。津波被害が繰り返され、塩入、塩入田と呼ばれる地が何ヶ所もあるという。とても防災庁舎など建てていい場所ではなかった。悔しい事に先人のメッセージは現代人に届かなかった。これを機に、自分でも先人の知恵を学んで生きたいと思う。
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大きな災害で政治生命を失ったのは田沼意次かな?
本当は飢饉とかの情報知りたかった
平安時代末期の飢饉が平清盛にダメージを与えたとか知りたかったですケド・・・
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先祖が経験してきた天災の事実はきちんと学ばなければならないと思った。日本史としてこれまでの歴史を知ることも大事だけれど、歴史を学ぶ意義はこうしたところにあると思うし、多くの人が学ぶべきものとして扱う必要があるように感じる。
磯田先生は若い頃から防災研究を始められ、東日本大震災をきっかけに過去の災害の歴史について多くの人に知ってもらいたいと思い、公表するようになったと本書で述べられていた。歴史はただの事実ではなくこれからの未来に生かすことのできる、とりわけ危機回避の場面においては命を救うことすらある、先祖の教訓である。
私たちは繰り返される災害に対して歴史をどのように生かし、どんな態度をとっていくのか、これは常に考えなければならないことであると改めて考えさせられた。
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秀吉の時代から現代までの天災を古文書を基に検証していく。
はじめの方は歴史の転換期に天災が関係していたりする事例が挙げられてこそいるが、中盤以降は過去の地震に津波や台風、火山の噴火等の天災の被害に遭った人々の日記等の記録からその規模を推し量り、その際の前兆やらその後の惨状、そこから得られる生き残るための教訓がその都度書かれているので読んでおいて損はない。
少しでも頭の片隅にこの様な知識があるのとないのでは、いざって時に生き残れる確率が違うだろうな。
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災害史をかじってみたくて手に取った本。エピソードベースなのでさくさく読めて、まとまりはないですが読み物として面白いです。
宝永地震や伏見の地震、あるいは地震だけでなく噴火や津波、土砂崩れ等の事例がとりあげられており、どの地域にどのような災害のリスクがあるのか分かったのが良かったです。災害の後に何が起きたのか、歴史がどう動いたのかがしっかり書かれているのも歴史学者の著者らしくこの本の面白いところかと思います。
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「宝永四年亥の10月4日、昼の九つ時(正午頃)に大地震。高山がさけ、大地がさけ、自分の屋敷、上の山組屋敷、土蔵が押しつぶされたが、家内の者に一人もけがはなく前の畑へ逃げ出した。しばらく過ぎ、津波が打ち上げてきたので、山へ逃げ上った」(「寿栄公御遺訓 全」1738(元文三)年に今の浜松市西区雄踏町山崎にいた豊田九右衛門という男が、子孫に自分の人生経験を語り残したもの)
これほど臨場感にあふれた記述もない。建物の倒壊からのがれ、さらに津波に追われて坂を逃げ登った恐怖が伝わってくる。(p.39)
「この火炎に土砂が混じり、西風が毎日吹き、これにより、東国へ砂が降り、富士より東七か国が潰れた(甚大な農業被害が出た)。江戸も砂の厚さ4,5寸(12~15センチ)も積もった。火穴近所の村里は砂の厚さ一丈(三メートル)も積もり田畑はもちろん村里が潰れた」(金五郎日記歳代覚書)(pp.40-41)
1680(延宝八)年閏八月六日の台風による高潮はとくに激烈なものであったという。
この時の台風は江戸時代最大ともいわれ、江戸でも被害が甚大であった。『玉露叢』という記録に、このような記述がある。「(この台風が)江戸市中で吹倒した家は三千四百二十軒余。本所・深川で溺死七百人余。濡れた米が二十万石余。本所・深川・木挽町・築地・芝へ向って高潮があがった。所により家の床より四尺(1.2メートル)、五尺、或いは七尺、八尺(2.4メートル)である」。
床面から測って2.4メートルの浸水だから、海抜三メートルを越える高潮が、現在の東京にきて、江東区深川から中央区銀座・築地、港区芝を浸けたことがわかる。東京都心の低地では、津波がこなくても高潮で海抜三メートルまでは繰り返し浸水してきた歴史があることは知っておきたい。(p.96)
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日本に住む以上、災害は切っても切り離せない。とは言いつつも、平時からどのような備えをしておけばいいのか。具体的で分かりやすい事例を紹介しながら教えてくれる本だと感じた。旅先でも避難場所、経路を確認する、自分の住んでいる地域の過去の災害を調べるなど、できることは沢山ある。
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古文書の読み解きから、災害から命を守る先人の知恵を抽出する啓蒙の書。地震、台風大国日本に住むからには必需の知見であることに疑いはない。とすると浮かぶ疑問はこの知見が何故に定着していないのか?ということ。歴史における自然災害の知識はその土地の所有者にとっては価値を下落させる情報であるし自治体にとっても人や企業の誘致にマイナスの情報である。情報の非対称性による便益が成立している時に情報公開を促す力はどこから生まれ得るのか。とりあえず自身による情報武装が必要なことは自明である。
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天災は忘れた頃にやってくる、昔の人の言い伝えは言いえて妙ですね。私に関するものでは、1995年の阪神大震災、それを忘れた頃に実際に18階の勤務先で体験した、2011年の東日本大震災です。
この本では天災という視点から、磯田氏が日本史を解説してくれています。日本史という一つの流れを色々な切り口で眺めてみると、また違った面白さを発見することが出来ます。
以下は気になったポイントです。
・江戸時代の大名時計の目盛りは、一刻(約120分)を10分の1に刻んだものが多い、聖職者が鐘をついて時刻を下々の者に知らせる時間知識のエリートの地位を失った時こそが、近代社会の到来である(p3、4)
・天正地震が起きなければ、徳川家康は二か月後に豊臣秀吉の大軍の総攻撃をうけるはずであった、兵力は秀吉のほうが圧倒的に有利、長久手の戦い(1584)で一勝したものの、再び秀吉が大軍で攻めてくれば難しい情勢にあった、滅亡の可能性もあり、屈指者であった、石川数正が裏切った(p11)
・1596年の伏見地震でほとんど死にかけた、伏見城は台所一棟を残して全壊した、秀頼を抱いて一生を得た。真っ先に駆け付けたのは細川忠興であった(p18)
・京の大仏が壊れたのは、秀吉が金をケチって金銅仏に造ってあげなかったため、のちに秀頼が莫大な費用をかけて大仏を、金銅仏にして大仏殿も再建した。しかもこの釣り鐘の銘に難癖をつけられて戦争をしかけられた。この大仏を鋳つぶして、寛永通宝にして全国に流通させた(p28)
・富士山が噴火するときは五年前から軽い地震が増え、二か月前から富士山中だけの火山性地震が毎日続く、前回の宝永噴火のときはそうであったと古文書からうかがえる(p44)
・1946年に昭和南海地震が起きたが、その時の津波の高さは70センチであった、それで現在の大阪は津波の恐ろしさを実体験した人が少ない、これは恐ろしいことである、防災は前回に起きた災害の記録に影響されてしまう(p69)
・日本書紀から現代までに、10回の南海地震が起きている、最近南海トラフが動いたのは、1944年と1946年である(p79)
・1680年(延宝8)の閏8月6日の台風は、江戸時代最大の台風といわれる、江戸の雰囲気を一変させたもの。
・1917(大正6)の10月1日、東京を襲った台風は、東京湾の潮位は海抜3.1メートルまであがり、高潮が市街に流れ込んで、500人が溺死した。築地、木挽町(銀座)までも水浸しとなった(p109)
・藩主自ら西洋帆船にのり、その構造を見た段階で佐賀藩は日本中どこにもない異常な藩となった、鍋島茂義は火縄ではなく、火打石で点火する西洋銃を購入、兵の洋式化をすすめた、戊辰戦争まで佐賀藩は他のどの藩よりも軍事技術で最先端を行った、維新の前半戦は薩長だが、後半戦、日本を平定する段では佐賀藩が武力装置となった(p113、124)
・津波被害が繰り返される場所が、塩入もしくは塩入田とよばれているのを何か所もみる(p186)
・巨大津波では、松は根こそぎ抜けて流され、人や住宅に襲い掛かるで危険である(���187)
・仙台平野は、2000年前、1100年前(貞観津波)、400年前(慶長三陸津波)、そして2011年と四回も大津波に襲われて、内陸4キロ前後まで浸水している、次に来るであろう南海トラフの津波も見ておくべき(p192)
2019年5月6日
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古記録に残る天災の資料のいくつかを紹介し、今後の防災に役立てようという趣旨である。わが国は世界有数の天災多発地帯にある。台風は低気圧による季節的な被害に加え、長期的で予測不可能な大地震や津波の害を繰り返し受けてきている。その数は膨大だ。
にもかかわらず、私たちが日々の生活に恐怖を感じることがないのは、私たちの寿命と関係している。大災害が発生しても次に同じ規模のものが来るまでには人生のスパン以上の時間の流れがあるのだ。強い痛みも時間の流れの中で風化してしまう。
それでも、先人の残した記録によって救われる命もあったようだ。本書で紹介されているエピソードの中には、古記録や口碑を尊重した集落が奇跡的に救われたというものがある。歴史に学べとは災害史以外でもよく聞かれる言葉だが、被災時ほどそれが切実に感じられることはないだろう。
本書には災害が起きたときに何をすべきか、してはならないかという事例が先人の残した記録から示されている。これは語り部の翁の至言として記憶にとどめたい。
本書でもう一つ興味深いのは、限界状況を迎えた時の過去の日本人の行動である。津波が来襲し老母と息子のどちらか一人しか助けられない時、我々ならどういう決断をするだろうか。記録では泣く泣く子を捨てて母をとったという。似たようなエピソードは説話文学の中でも見た気がする。儒教的な人生観によるものと考えられる。では、現代人の限界状況を支えるのは何か。それも気になってしまった。
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NHK「英雄たちの選択」の司会をしている磯田先生、本でもテレビ同様に語りが熱いです。
災害を研究するようになると、もう誰も災害で死んでほしくないと思うようになる、というのは自分にも経験がありますが、磯田さんもそんな思いがあるのでしょうな。
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日本史の1つの切り口、災害史。
日本は歴史的に数多くの自然災害に遭遇している。
このため、それを遺した古文書が数多くあるというのが、
磯田氏が繰り返し伝えられている過去の災害の記録である。
東日本大震災から月日が経つにつれて、地震や津波に対しての関心が早くも薄れつつあることを感じる。
しかし、過去の歴史に学ばなければ、将来に来たるべき災害から自らの身を守ることはできない。
改めて、身近な地域から自然災害について考えてみたい。、
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良書。
流石、磯田道史さん。当時の庶民の残した書物を足で探し、読み解き、客観的な感想・意見を元に書かれていて、信憑性がある。
現状、大企業、政府に忖度した都合のよい基準で震災対策、原発推進を行っているように思える。すでに起きた歴史にまなばなければならないのに。
富士山は噴火する。ゴーグルが必要だな。
何も持たずに逃げる。戻らない。
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歴史学者が、日本列島を襲った天災を過去の記録から検証した本。周期的に起こる地震などの被害が、今を生きる私たちに教訓になるかも知れない。江戸時代に富士山が噴火した時の様子には驚かれたし、桃山時代に天災が政治に影響を与えたという話も興味深い。