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戦後しばらくしてから書かれた本であるが、その内容は現在にも通用する。
しかし、それは戦前の思想家を想定した批判がなされているものであり、現在にも通用するということは、日本の思想や思想家、また活動家などが成長していないことを示している。
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機能集団の多元的な分化が起こっているのに、他方においてはそれと別の次元で人間をつなぐ集団や組織がないと、各組織がみんなタコツボ化してしまう。
そうなると、会社であれ、大学であれ、組合であれ、当然うち同士だけで通用する色んな価値基準なり、言葉というものが発生し、その集団の内部だけで通用するものの考え方感じ方が発生し、それが段々沈殿してくる。
お互いの間で、そんな事は当然でいまさら議論の余地がないと思われる事が、段々多くなり沈殿が厚くなるということが起こりやすい。
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高校の国語の授業、「である」ことと「する」ことを読んで政治学科にいこうと決めた。
今でも大切な一冊。
最初の論文の章は難しそうで読んでないや(笑)
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丸山まさおすげーってなるけど、結局こうゆう思想家が高説披露したって、何も世界は変わらない気がする
まぁクラシック系は色々読んでおくべきだと思います
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「現代政治の思想と行動」を読んで以来約2年ぶりの丸山真男挑戦だったわけですが、やっぱり難しい。
サッパリ分からないようで、所々うなづけるから面白いよね。
まぁ再読すべきだろうね。
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丸山真男『日本の思想』を読む。
『図書』臨時増刊号で識者218名へのアンケートにより
14名の推薦を得て、岩波新書全出版作品の中で第1位に選ばれた。
僕はこのところ小林秀雄、清水幾太郎といった、
名前も代表的著作(訳書を含む)の題名も知ってはいるが、
本格的には読んでこなかった碩学たちの古典に取り組んでいる。
これもその一冊である。
いまや古典となった岩波新書の一群は
昨今の雑誌的・ブログ的新書と違って、なかなかに手強い。
この書も講演を元にした
「III 思想のあり方について」
「IV 「である」ことと「する」こと」
から読む進むのが入りやすかった。
丸山もその読み方を「あとがき」で自ら推奨している。
しかし、読む込むうちにもっとも僕の心をとらえたのは、
この本の背骨をなす「I 日本の思想」であった。
僕が感心したのは例えば以下に引用する箇所である。
しかし他面において、明治以後の近代化は
政治、法律、経済、教育等
あらゆる領域におけるヨーロッパ産の「制度」の輸入と、
その絶えまない「改良」という形をとっておこなわれた限り、
合理的な機構化にも徹しえず、
さりとて、「人情自然」にだけも依拠できない日本帝国は
いわば、不断の崩壊感覚に悩まねばならなかった。(p.49)
わずか数行の文章を使うのみで
これだけの洞察の深さを表現するとはなんとしたものか。
国家や組織の「不断の崩壊感覚」が
昨日今日始まったのではないことが
この一文を読んだだけで丸山の主張として真正面から迫ってくる。
「あとがき」にこうある。
けれども、私は「日本の思想」でともかくも試みたことは、
日本にいろいろな個別的思想の座標軸の役割を果すような
思想的伝統が形成されなかったという問題と、
およそ千年をへだてる昔から現代にいたるまで
世界の重要な思想的産物は、ほとんど日本思想史のなかに
ストックとしてあるという事実とを、同じ過程としてとらえ、
そこから出て来るさまざまの思想史的問題の構造連関を
できるだけ明らかにしようとすることにあった。(p.187)
具体的事実の集積から抽象的法則を発見するには
洞察力と構築力が要る。
具体と抽象を行ったり来たりする能力を磨かねば
僕たちは日々の出来事に流され、
ただ漂流するだけの無力な存在になる。
毀誉褒貶の激しかった丸山の思索と著作は、
荒波を航海する際の羅針盤として精度が高いものである
と僕は感じた。
1961年11月20日 第1刷発行。
僕が持っているのは2007年12月5日発行の第86刷である。
(文中敬称略)
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『現代政治の思想と行動』を読んだ時、丸山氏が説いた「既成事実への屈服」という言葉を目にした時の衝撃は今も脳に刻み込まれています。新書でありながらも、前掲の本を読んでいた時の高揚感を追体験できるものでした。そして同時に「大学時代に読んでおくべきだった」と思ったのでした。これだけ丸山作品に引かれるのはやはり、丸山氏の描く日本人が読者である私自身の中にも発見できるからだと思えるのです。
読後、すこし考え込んでおそってきたのは不気味な感覚でした。著者が1961年にこの本において主張していた日本人への無思想であることへの警鐘は、発刊から半世紀が経とうとしている2009年においても通じるものであるということ。それ以上に、民主主義国家でありながら「ねじれ国会」という逆説的表現が誕生し、国民の投票率が下がり続け、主権を与えられた国民はその権利を行使せずに諦観をきめて装い責任を政治家に転嫁する安直な方法で現状を腕組みをして傍観してるだけのように見える今だからこそ読まれるべきだと思わせられるのです。
全体で4部に構成された中身にあって一番印象に残ったのはI:「日本の思想」とIII:「思想のあり方について」でした。II:「現代日本の思想と文学」は、その学際性からみて私のような政治学で凝り固まった脳みそには浸透できないまま取りすぎるだけでした(丸山氏のいう通りこういう学際的研究活動が日本の思想をより具体的なものにしていくのだろうという感覚は漠然とは持てましたが…)。IV:「「である」ことと「する」こと」はあまりにも有名な論文で、そのエッセンスは『現代思想の…』にも読み取れます。
個人的に丸山氏の一言一言は、日本の歴史における常態化(=「である」化)した弱き民主主義への危機感、行動の伴わない「である」的要素を多々内包した戦後日本社会への警鐘、対象と直接触れないままに第三者であるマスコミを通じたイメージが積み重なるとイリュージョンに陥り真実を見通せない壁に囲まれかねない情報の受動的取得に潜むに危険、などは高度経済成長とバブル崩壊などの経済的経験を通じた到達した日本人の脱力感からの脱却を求める声のように響いてなりません。
いつの時代に読まれようとも日本人であれば響いてくるものがあるエッセンスをずばりと突き立ててくる言葉たち。それが丸山氏の著作に働いている磁力なのかもしれません。でも自身が国民主権を頂く主権国家に住まう人間である以上。民主主義を「する」ことの大切さを、選挙のある年に読んで思いを新たに出来たのは良いことでしょう。これはもう一度、前掲の『現代政治の思想と行動』を読み返しておいた方が良さそうです。これは、私が改めて述べるまでもなく名著です。
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Ⅰ 日本の思想
『私達の伝統的宗教がいずれも、新たな時代に流入したイデオロギーに思想的に対決し、その対決を通じて伝統を自覚的に再生させるような役割を果しえず、そのために新思想はつぎつぎと無秩序に埋積され、近代日本人の精神的雑居性がいよいよ甚だしくなった。日本の近代天皇制はまさに権力の核心を同時に精神的「機軸」としてこの事態に対処しようとしたが、国体が雑居性の「伝統」自体を自らの実体としたために、それは私達の思想を実質的に整序する原理としてではなく、むしろ、否定的な同質化(異端の排除)作用の面でだけ強力に働き、人格的主体―自由な認識主体の意味でも、倫理的な責任主体の意味でも、また秩序形成の主体の意味でも―の確立にとって決定的な桎梏となる運命をはじめから内包していた。戦後の変革はこのエセ「精神的機軸」を一挙に顛落させた。ここに日本人の精神状況に本来内在していた雑居的無秩序性は、第二の「開国」によってほとんど極限にまであらわになったように見える。思想界の混迷という言葉は明治以来、支配層や道学的保守主義者の合言葉であった。しかし思想が現実との自由な往復交通をする条件は戦前には著しく阻まれていたことを思えば、今にして私達ははじめて本当の思想的混迷を迎えたわけである。そこから何がでて来るかは何とも分らない。ただ確実にいえるのはもはやこの地点から引きかえすことはできないし、また引きかえす必要もないということである。』
Ⅱ近代日本の思想と文学
日本において政治と思想は孤立していた。しかしマルクス主義とコミュニズムの到来により、自らの居場所を設定する必要に否応無くせまられた。
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最後の「である」ことと「する」こと、を読むべく買ったのに、2の文学史が意味プーで立ち止まり、なんか半年くらい経ってた。
読みたかったところだけ、いいかげんなまとめ。
日本の文化は、西欧学問がササラ型(竹の根元はそのまま残し、先端だけ箒状に割いたもの)として根幹を一にしているのに対し、全てが別個に存在するタコツボ型であり、しかも各タコツボ毎に内側に閉じこもっていく内向的な傾向を持っている。タコツボは内部で自分達だけが知りうる情報・使いうる俗語に甘んじて、外を対抗勢力・自分たち少数派に危害を加えようとする敵とイメージし、コミュニケーションをとろうとしない。総合的に理解する人間が減っていく。
あああもっと中身があったはずなのに、入ってきていない。反省。もう一回読まなきゃ。
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ササラ型かタコツボ型か。
共通基盤があるかないか。
ないとしても伝統的な集団や組織が別のディメンションで人を横断的に結びつける環境があるかないか。
open society or closed society.
もしタコツボ化したら…組織の隠語化が進み、被害者意識を惹起する。そしてイメージの一人歩きが始まる。
ササラになろう。
人の痛みの分かる人にはなれないけど、人の痛みを少しでも和らげられる人になりたい。
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本書のうち「日本の思想」が、S大MRゼミ講読テキストのひとつ。「日本の思想」は、ほぼ半世紀前の論考だが、非常に現代的な課題を多く含む。ベネディクト・アンダソンやボブズボウムよりも前の仕事だ、ということに気づいて愕然。
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私を含め日本人には日本人の思考があるんだと思いました。色んな思考があるのは良いことだと読んで思いました。色んな考えを聞くのは楽しいと思いました。
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1.日本の思想
2.近代日本の思想と文学
3.思想のあり方について
4.「である」ことと「する」こと
あとがき
(目次より)
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やっぱり1、2は難しいけど
何となく言いたいことは分かる。
3、4で充分だと人はいうけれど
やっぱり全部を噛んでみたい。
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THE日本の思想と言うべき一書。
当たり前過ぎて気が付かない日本人の根底にあるものを批判しており、丸山が指摘したにも関わらず相変わらず今も日本人はそのままなのである。それが、今読んでも古くないと感じる所以である。
私自身の日本の思想史に関する知識の乏しさ、また、本書自体が非常に抽象的な表現が多く、論理的展開が複雑なため、大変難解なものに感じた。
本書の読み方としてはタイトルになっている1章「日本の思想」から順に読んでいくのではなく、4章の「『である』ことと『する』こと」などを読んでから始めに戻って読むとより本書の内容を理解することができるのではないかと思う。