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日本人は、根底の部分での共通意識っていうのが薄いと思った。だから、あおま日本で起こってることに対して、興味が薄いひとが多いのかな。選挙とかも投票率低いし、国の問題は自分の問題でもあるのに、意識低いと思う。アメリカの総選挙とかみてるとすごいもん。サークルにおいても同じな気がする。
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1章「日本の思想」は妙にしっくり理解できる。古代ギリシャから連綿と築かれてきた思想史の必然的構築がつまみ食い的に適宜輸入されてはご都合主義的に援用されてきた日本にはそもそも思想の成り立つ土壌が存在しない。それが日本の思想のおかしなところ、奇形な部分を生み出す源泉になっている。まるで明治・大正期の日本の洋画界と同じだ。思想も芸術もそれらの寄って立つ本来の根幹を理解しないまま都合良く解釈して適当に和製に組み替えて満足する姿勢は、今も昔もあまり変わっていない気がする。2章の、文学におけるマルクス主義は、時代背景が掴めないのでいまいちピンと来ない。34章は講演調で解りやすい。丸山氏の時代を見据える透徹したまなざしが印象的。
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[ 内容 ]
現代日本の思想が当面する問題は何か。
その日本的特質はどこにあり、何に由来するものなのか。
日本人の内面生活における思想の入りこみかた、それらの相互関係を構造的な視角から追究していくことによって、新しい時代の思想を創造するために、いかなる方法意識が必要であるかを問う。
日本の思想のありかたを浮き彫りにした文明論的考察。
[ 目次 ]
1 日本の思想(日本思想史の包括的な研究がなぜ貧弱なのか 日本における思想的座標軸の欠如 ほか)
2 近代日本の思想と文学―一つのケース・スタディとして(政治‐科学‐文学 明治末年における文学と政治という問題の立てかた ほか)
3 思想のあり方について(人間はイメージを頼りにして物事を判断する イメージが作り出す新しい現実 ほか)
4 「である」ことと「する」こと(「権利の上にねむる者」 近代社会における制度の考え方 ほか)
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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読むのには結構骨が折れた。
でも文章自体が難しいわけじゃなくて、考えさせる内容だから。
じっくり読み進めていけばちゃんと理解できる。
半世紀も前の本なのに、内容は今でも全く古く感じない。
特に4章の「「である」ことと「する」こと」はいい。
属性が所与として成り立っていた社会(である社会)から、これからは行為によって評価される社会(する社会)に移っていくべき、という主張なんだけど、主張が明晰で鋭い。
現代でも「である」観が幅を利かせることがあるし、意識せずにそうした思考になってしまうことはある。
半世紀前にはより切実な問題だったんだろう。
最近の新書って、こういう読み応えのある本は本当に少ないように思う。
本当に暇つぶし時間つぶしのため読み物になってる。
本来は新書は教養のためのものだと思うんだけど、ここ何年かで一気に傾変わってきてるように感じる。
それが時代の要請ということなのかもしれないけど、それだとこういう本はなかなか生まれにくいんじゃないだろうか。
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高校のとき、一冊まるごと試験範囲になった。
到底読み解けてなどいないけど、
であることとすること、は今も忘れないほどのインパクト。
またよみたい。
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教科書に載っていた本です。教科書にはこの本の中の『「である」ことと「する」こと』の部分が載っていました。
これから有権者になることにおいて、権利の考え方を改めさせられる文章でした。かなり前に書かれたものですが、古さを感じさせず現代にも通じるものでした。
これから有権者になる人と共に読んでいきたい一冊です。
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論文調のⅠとⅡ、講演調のⅢとⅣの計4章をまとめた本。日本の海外からの思想受容の特徴やそれによって引き起こされた現象などが幅広く述べられていたが、個人的に、日本の中の集団形成がタコツボ型に為されて、その他の社会集団とは交わらずにただ空間的に同時存在しているだけだという考察は今日にも言えることだと思い、大変興味深いものだと感じた。
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この書物の存在は、ずっと前から知っていましたが、やっと読み終えました。今後は著者の「現代政治の思想と行動」を読もうかと思っています。
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かつては、「高校生の必読書」といわれていましたが、とてもじゃないけど高校生には無理。私も大学生になってから読みました。(片岡豊先生)
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西洋の神学派生による統一性のある学問と日本の蛸壺式学問の違いは理解しておいて損はない。
まぁ、学問によらず様々な分野にこれは当てはまるだろう。
日本人とはやっぱり猿なんだよ。
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意外とわかりにくく、よく知られていない日本の思想の根底を捉えようと試みた論評。出版されたのは1961年のことで、古典と言われてもおかしくない著作ですが、読めば読むほど、著者・丸山眞男の指摘が現在の日本にも当てはまるのだと驚かされる。
まず著者は日本には自己を歴史的に位置付ける座標軸が遂になかったことを述べています。これは日本には内外のものを含め様々な異なるもの、思想を平和的に共存させる寛容の伝統(=神道の無限抱擁性)によるもの。
こうした例は大陸から流入した儒教や仏教を受容する過程、近代日本人の意識の中にそれぞれ源流の異なる「もののあはれ」の思想、儒教倫理など多様な伝統思想が無時間的に併存した点などに見られる。
これだけならどこかで聞いたことのある日本の思想論だなあ、という感想で終わるが、面白いのは「何物も『伝統化』させない伝統」がある、という記述である。
これはヨーロッパの王朝がキリスト教を、中国王朝が儒教を国教としてそれぞれ位置付け、その権威を重んじてきたのに対して、日本では特定の宗教あるいは宗派が長期にわたって国家(政権)を維持するためのイデオロギーになりえなかったことを表す。
明治以降の日本が「國體」のイデオロギーのもと、富国強兵に邁進して強力な統一国家を築こうした理由は以上のような根底にあるのだと思います。それもあるのでは、と考えた。
だが、同時に「何物も『伝統化』させない伝統」は、特定の宗教、保守主義、進歩主義、国家主義など、決まった一つの思想を絶対化せず、和を尊んで自分たちの独善を排そうする日本人の心の裡にある伝統なのだとも思った。
本書三章の「思想のあり方について」の件も読んだ。ここでは日本が思想や学問において共通の前提や基盤を持たない「タコツボ型」の社会であり、大前提となる基盤があり、そこから多様な分野に枝分かれするヨーロッパの「ササラ型」の社会と異なることが述べられている。
古来、日本は国内が比較的まとまっていて、一方でヨーロッパは中世以降、いくつもの国に分かれていた。それなのに日本で思想や学問において共通の根がないのは、神道が多神教であること、日本に教会やサロンにあたるものがないことが挙げられる。
ここで興味深いのは、日本のタコツボ集団は自分たちをマイノリティや被害者であると思い込む傾向にあることである。保守派も進歩派もリベラリストもコミュニストも自分たちが劣勢であり、対する勢力が強大であることと考える。
ネット上で見られる「麻生太郎は『マスゴミ』の陰謀によって潰された被害者だ」、「我々は国家権力の暴虐におびえる被害者だ」といった言説は、方向性の違いはあれども、そのために自分の側を少数派、被害者である認識しているだと思った。確かにどちらの派もマスコミには批判的だ。
そしてこうしたタコツボ型社会より一段上の社会を目指すには、学問にしろ、思想にしろ自分と異なる派の考え方を拒絶せず、受け入れていく方向に持っていくしかなさそうである。
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「メカニズム」を既製品として受けとる→抽象化された結果が重視される→理論や概念はフィクションとしての意味を失って一種の現実に転化してしまう。(p58)
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日本の思想とあるが、近代日本思想についての書籍である。
もともとは4つの文章を1冊にしたものとのこと。
1 日本の思想
2 近代日本の思想と文学
3 思想のあり方について
4 「である」ことと「する」こと
最後の「である」社会と「する」社会の混交について、夏目漱石を例に示している。
考える視点、文章を書く視点としても有益だと感じた。
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丸山眞男の主な著書のなかではかなり読みやすく、かつ全体的な視野をもった本である。
この本は、Ⅰ日本の思想、Ⅱ近代日本の思想と文学、Ⅲ思想のあり方について、Ⅳ「である」ことと「する」こと、という四章立てで、前二つが論文、後ろ二つが読みやすい講演録の体裁をとる。
Ⅰでは、「伝統的な」日本の思想が無構造で雑多性のものと述べられ、そこに西洋の学科分化した学問が個別に流入し、伝統的精神と対立したと述べられ、前者が天皇制構築のためどのように使われたか、理論信仰と文学の対立などが明らかにされる。その二重構造は今でも引き継がれている。
Ⅱでは、政治、文学(思想)、科学の関係からそれぞれが昭和初期の社会状況のなかでどのような振る舞いをしたのかが述べられる。
Ⅲは講演録で、近代日本の学問や社会には共通の基盤というものがないまま西洋の個別理論を導入したり、論争をしているので、使っている言語の意味の食い違いがあちこちで起こっている。それを乗り越えなくてはいけないとされる。
Ⅳも講演録。儒教的社会では各々の属性や集団に基づいた在り方が社会関係において重要視されるのに対して、今日では個々がなにをするのかで社会関係を判断される。しかし、日本ではそのであることとすることを上手く使い分けられていないので、それを考えていくべきだという論。
維新後の日本の思想のあり方を、批判的に概観した本としては非常に重要で、今日グローバル化の中で日本のオリジナリティが議論されたり、学際的交流などということが流行る時、本書は変わりない輝きを放つ。われわれのよって立つ相対的状況を日本的に解釈したものとして、一読の価値ある一冊。
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日本論の金字塔的作品。日本の伝統的な思想があらゆる外来文化を受け入れてなお根本的な部分で変質を見ないのは、その日本の思想そのものが現在に至るまで客観的に構造化されていないからであると大戦期の「国体」などを例にとって説いている。Ⅰで前提となる知識がⅢⅣに収められているので、後ろから読んだ方が面白いのかも。いや面白かった。ⅢⅣから読めば苦しまずに済んだ。Ⅰは難解と言われていたがⅢⅣから読めばそうでもない。徒労感。面白かったです。