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歴史とは現在と過去との対話である。複雑な諸要素が絡み合って動いていく現代では、過去を視る新しい眼が切実に求められている。歴史的事実とは、法則とは、個人の役割は、など歴史における主要な問題について明快に論じる。
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大学生になって一番最初に読んだ本。歴史的事実を学ぶときは、歴史家を学び、そして当時の世界情勢を学ばなければならない。E・Hカーの名著。
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英国外交官にして国際政治学者のE・H・カーによる歴史に関する講演記録を起こしたもの。
歴史に関し、一般的に陥りがちな誤謬について、豊富な知識を背景に緻密な論理を展開し、歴史の相対性等について説き起こしている。「歴史問題」という言葉は現代においてよく聞かれる言葉であるが、それぞれの歴史の解釈という各論に入る前に一度そも「歴史とは何か」ということを考えるべく、本書を開いてみると良いと思う。座右の書の一つ。
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E.H.カーが、1961年、ケンブリッジ大学で行った講演“What is History?”の翻訳。
話が多岐にわたり、知識不足ゆえにほとんど理解できなかった。
それでも、歴史とは「現在と過去との対話」であるとし、過去を見る目が新しくなければ現代の新しさは掴めないとした視点は示唆に富んで勉強になった。
また、歴史家もまた、現実を生きる個人にすぎず、流れの中にいる限り、「なぜ?」「どこへ?」と問う立場や社会的歴史的背景にも目を向けなければならないという指摘も重要だ。
だから、いかなる事実も、歴史家の決めた順序、文脈に規定され、解釈されるために、「本当の事実」は成り立ち得ないが、カーはガリレオの言葉「それでも、地球は動く」に倣って、次のように講演を締めた。
「それでも−それ(歴史)は動く」と。
歴史学の新たな展開、追求の可能性を拓いて見せた。ゾクゾクするね!
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混迷の時代には古典が光を指して
行先を暗示してくれることもあるだろう。
E.H.カー著、清水幾太郎訳『歴史とは何か』を読む。
1962年に岩波新書として出版され、現在まで75刷を数える。
岩波新書創刊70周年記念雑誌「図書」臨時増刊
(2008年11月5日発行;非売品/表紙は宮崎駿。写真下)で
218人の各界知識人に「自身の岩波新書ベスト3」を問うたところ、
8人の推薦があり、第3位にランクされた。
(ちなみに第1位は、14人が推薦した丸山真男『日本の思想』。
第2位は、鶴見良行『バナナと日本人—フィリピン農園と食卓のあいだ』)
『歴史とは何か』から引用する。
歴史とは歴史家と事実との間の
相互作用の不断の過程であり、
現在と過去との間の尽きることを知らぬ
対話なのであります。(p.40)
過去は、現在の光に照らして初めて
私たちに理解出来るものでありますし、
過去の光に照らして初めて私たちは
現在をよく理解することが出来るものであります。
人間に過去の社会を理解させ、
現在の社会に対する人間の支配力を増大させるのは、
こうした歴史の二重機能にほかなりません。(p.78)
けれども、歴史家と物理学者とは、
説明を求めるという根本の目的でも、
また、問題を提出し、
これに答えるという根本の手続でも同じなのです。
他のすべての科学者もそうですが、
歴史家も「なぜ」と尋ね続けるところの動物なのです。(p.126)
250ページの新書であるが、内容は決してやわではない。
そもそもこの本は、著者E.H.カーが
1961年1月から3月までケンブリッジ大学で行った連続講演を
書物として同年秋に出版したものの全訳である。
翌1962年3月には岩波新書の第1刷が出版されているから
実にスピーディに世に出た書物だったのだ。
それだけ翻訳を急ぐ内容であると当時判断されたに違いない。
清水幾太郎がこの書を訳すきっかけをつくったのは
岩波書店常務取締役、
雑誌『世界』初代編集長だった吉野源三郎である。
どの道にも少数ではあるが目利きがいて、
そうした先人たちの努力の集積からこうした仕事が生まれる。
そして、その仕事が古典として評価されているのは
必ずしも知識人たちだけの支持でなく、
市井の、無数の、学び考える人たちの支持があったからである。
混迷の時代と人が声高に叫ぶときこそ、
ときにはこうした古典と対話することで
未来の扉を開く鍵が見つかるかもしれないと僕は思うのだ。
清水幾太郎の「はしがき」から引用する。
われわれの周囲では、
誰も彼も、現代の新しさを語っている。
「戦後」、「原子力時代」、「二十世紀後半」……
しかし、遺憾ながら、現代の新しさを雄弁に説く人々の、
過去を見る眼が新しくなっていることは極めて稀である。
過去を見る眼が新しくならない限り、
現代の新しさは本当��摑めないであろう。
E・H・カーの歴史哲学は、
私たちを遠い過去へ連れ戻すのではなく、
過去を語りながら、現在が未来へ食い込んで行く、
その尖端に私たちを立たせる。(p.iv)
「戦後」「原子力時代」「二十世紀後半」の代わりに
「百年に一度の金融危機」「自民民主伯仲時代」
「オバマ政権下の新・日米関係」などと
ランダムに言葉を置き換えてみたらどうだろう。
僕たちの過去を見る眼は、
はたして新しくなっているだろうか。
僕たちにいま必要なのは、
現在が未来へ食い込んで行く、
その尖端に立っている自覚と、
未来に肯定的な面を発見し、
尖端のさらに先へと飛び込む勇気であると
カーと清水の本は教えてはいないか。
そのとき、その尖端で、
過去と対話し、「歴史とは何か」と考え続ける行為が
ムダであり無力であるとは僕は少しも思わない。
(文中敬称略)
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今年、いや最近読んだ中でもピカ一の新書。
さすがに現代まで読み継がれていることはあるなぁ、という印象。
歴史とは、現在から過去を投影し同時に過去から現在を投影するもの、この考えを前提に歴史における、様々な要素の役割・位置づけを分析。
歴史に限らず、物事の思考プロセスについて多くを学べる本。
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難解である
事件の原因に対する考え方
複数の原因があっても、何かある一つの原因の働きだけを重視する
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そのへんの事実と「歴史的事実」の違いとは何か。それは将来の世代への貢献度である。著者は歴史について語りながら、ほんとうに大事な価値とは何かについても語る。この本まるまる一冊が「弁証法」の実例になっているすごい本。
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文章が少し読みにくいですが、歴史とはなにかということが分かりやすいと思います。段落が少し少なく読みにくいので時間をかけて読んだほうがいいと思いました。
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歴史を学ぶ者の端くれとして、この本を今まで読まなかったことを深く恥じる。
これほど示唆に富んだ新書は読んだことがない。
巷間で口にされる「歴史」というものが、いかに浅薄で誤謬に満ちたものかがわかる一冊。
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この本は、歴史その物について書いてある本です。歴史とは、何か。みなさんは考えたことがありますか。よくよく考えてみると自分は、その時に起こった出来事としか思っていませんでした。しかし、この本を読んで考え方が変わりました。歴史とは、その出来事が起こる前からその間に起きた会話や人間関係などすべてをひっくるめて初めて歴史になる事が分かりました。みなさんもこの本を読んで、歴史とは、何かを考えて答えを出してみて下さい。
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はしがき
Ⅰ歴史家と事実
Ⅱ社会と個人
Ⅲ歴史と科学と道徳
Ⅳ歴史における因果関係
Ⅴ進歩としての歴史
Ⅵ広がる地平線
原注
(目次より)
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難しい内容だけど、読みやすい。ただ、事例が古いから、感情移入はあまりできない。
いまの自分には、この本を読み解く教養はまだないな。悲しいけど。
それにしても、会計やファイナンス、社会保障にしろ、日本は思想そのものまで輸入しないなと、感じた。
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内容(「BOOK」データベースより)
歴史とは現在と過去との対話である。現在に生きる私たちは、過去を主体的にとらえることなしに未来への展望をたてることはできない。複雑な諸要素がからみ合って動いていく現代では、過去を見る新しい眼が切実に求められている。歴史的事実とは、法則とは、個人の役割は、など歴史における主要な問題について明快に論じる。
目次
1 歴史家と事実
2 社会と個人
3 歴史と科学と道徳
4 歴史における因果関係
5 進歩としての歴史
6 広がる地平線
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『歴史とは何か』のストーリーの中で“難解”と感じたのは問題提起に対して必ずしも答えを提示しているとはいえない箇所があることではないかと思います。
本書は1892年生まれのE.H.カー氏が、1961年1~3月にケンブリッジ大学で行った連続講演を中心に、BBC第3放送での講演を加えて発刊されたものです。
当時の歴史学のトレンドへのカー自身の考察を基調としながら...
【開催案内や作品のあらすじ等はこちら↓】
http://www.prosecute.jp/keikan/047.htm
【読後の感想や読書会当日の様子などはこちら↓】
http://prosecute.way-nifty.com/blog/2009/03/eh47-855a.html