紙の本
名護市庁舎すごいよね
2019/07/24 08:32
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投稿者:Yo - この投稿者のレビュー一覧を見る
コンクリートブロックをキーワードに,沖縄の歴史,建築,都市,芸術を概観する本です。あるいは,沖縄におけるコンクリートブロックというモノに纏わる,ほどきようもない因果の糸についての本とも言えます。
こういう,1つのモノを突き詰めることで,いろんなことを見いだす本は大好きです。
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沖縄にはコンクリートブロック造の建物が多い。
なぜこんなに多くなったのか?
その謎と歴史を解き明かす本書は、沖縄建築史を知る良書だ。
沖縄では、1950年代半ばまで、建築の着工件数の大半を木造が占めていた。
1961年に木造とコンクリート造の着工件数が並び、
僅か11年後、沖縄復帰の1972年には、木造の着工は全体の2%しかなかった。
なんと、建物の90%以上はコンクリート造になっている。
沖縄では台風が多い。
台風が発生したら、その3割は沖縄付近を通過する。
少なくて6個。多くて15個。(30年間平均は7.4個らしい)
台風を「個」と数えるかは、まあ気にしないでおこう。
台風に強いのがコンクリート造だから沖縄はコンクリート造が多いという単純な理由では
ないようだ。
その証拠に沖縄に近くて台風が多い、奄美大島は80%が木造だ。
コンクリート造の建物が多くなった原因は、戦後の米軍によるコンクリート需要の増加と
台風とシロアリの他に木材の高騰、融資制度にあったらしい。
沖縄では、建物を建てる時に、設計と施工は分離しているため、
建築設計事務所を通しての相談が多いそうだ。
その理由として戦後アメリカの建設工法が取り入れられて、契約社会の影響が大きい。
沖縄復興の要であった軍施設の工事監理はDEと呼ばれたアメリカ陸軍沖縄地区工兵隊が
担当した。
アメリカ式の建築図面は、細部まで詳細に描き、現場ではその図面とおりに施工するため、
現場でインスペクター(検査員)が厳しいやり直しを指示するシステム。
その習慣を学ぶため、1950年代、沖縄では唯一建築の勉強ができる高校が、
沖縄工業高校(旧琉球政府立工業高校)だった。
当校の卒業生がDEなどで補助役として働いて、アメリカ式を学んだ。
この若者たちが沖縄復興を担う設計者となった。
昔のコンクリート造の建物は木造より安価をうたい文句にしていた。
その理由は現在のように建物全体を鉄筋コンクリートで耐震も考えての施工ではなく、
コンクリートの柱と梁で屋根や床版(スラブ)を支え、壁をコンクリートブロックで造った。
この建物を「スラブヤ」という。
あと、補足すると
最近まで沖縄建築にある習慣として、
水不足の心配から、必ず屋上に水を貯めておく貯水タンクが各家庭に設置して、
断水に備えていた。
現在はダムも多くなってきているので、
その習慣は少なくなっているか詳しくは調べていない。
本書は、その他に沖縄建築と米軍との歴史、デザインの流れ、花ブロックの建築等、
面白い内容が満載の良書である。