投稿元:
レビューを見る
受け手の存在が贈り手を育てる。
コール&レスポンス
特定多数
もう少し複雑な情報のやり取りが可能な、人を通じて、ネットを通じて、直接、間接に声が届く距離にある人たち。
159どんな仕事にも、それをつくる人の[存在]が感じられるものづくりをしたい。
最終的には、技術や知識ではなく、哲学や価値観ですらなく、それを作り届ける人の存在だと思うから。
作り手の存在をいかす。
人に仕事をつける
168それぞれの領域での改善をやり尽くしたら、
その先は互いの領域に手を伸びし合うことが必要。オーバーラン。
支援は相手中心の行動様式。
221存在を傾けた、手間ひまのかかった仕事をちゃんとすること
182地方都市にに大型ショッピングモールができ、個人商店がなくなる。
まちから、生産は失われ消費一色になる。個人同士の関わり合いもなくなり、全てはサービス化する。ますますお金が必要になる
投稿元:
レビューを見る
2018年24冊目。
ことあるごとに立ち返りたいと思える大切な一冊になった。目の前の仕事や関係する人たちと向き合う姿勢が良い方向にぐっと変わりそう。そんな予感を持たせてくれる、とても素晴らしい本。
「1杯650円のコーヒーを買ってもらう」。たとえ同じやり取りのなかでも、「お金を取る=Take / 取られる=Taken」の姿勢なのか、「良いものを贈る=Give / 受け取る=Given」の姿勢なのかで、育まれる関係性はきっと大きく違う。著者の影山さんはそれを「利用し合う関係」ではない「支援し合う関係」と呼ぶ。お客さんの「消費者的な人格」ではなく「受贈者的な人格」を刺激することで、「いいものを受け取ってしまったな」という「健全な負債感」を抱かせ、そこからその人が、次の人に何かを贈るようになる。そんな連鎖・循環から、よい社会や経済が生まれてくる。実体が見えないような「社会」や「経済」は、そういう一つひとつの交換の集積から成り立っているのだから、きっとその積み重ねには意味がある。
仕事のなかの一かき一かきを、研鑽を積みながらも、ゆっくり丁寧に、一生懸命積み重ねる。支援し合う関係を一つひとつ築いていく。それは目的へと急ぎ過ぎたビジネスが一度立ち止まり、本当に豊かな経済を生み出していくための近道なのかもしれない。影山さんがその想いを一つのお店のなかで確かに実践していることを知り、自分も自分の場所でその姿勢から行動を起こしていきたいと素直に思えた。こうやって価値観が伝わり、一人ひとりの行動が変わっていくのであれば、「ローカル」な小さな活動は、決して非力ではないはず。
投稿元:
レビューを見る
影山さんの周りの人たちの顔、クルミドコーヒーを居心地よさ、いろんなことを思い浮かべながら、幸せな気分で読んだ。ゆっくりいそいで、私も生きていきたい。
投稿元:
レビューを見る
少しスケールが小さい(小規模/ある意味ニッチ)感じは否めないです。
が、大企業でもその中の一つの「チーム」として参考になる部分はあるかもしれません。
文章的に自信なさげな言い回しがちらほらあるところが、少し気になりました。
投稿元:
レビューを見る
不特定多数 特定少数 特定多数
3つの内クルミドコーヒーは特定多数を想定している。
そんな中で
『50年続く店にしたい』という決意には
何にもできない自分を受け入れて、正しい交換(支援し合う関係)が行われるように
自分という主語を
自分たちにするために
毎日毎日を積み重ねる。
投稿元:
レビューを見る
この時代に自分で何かを開く、小商いについての本はいろいろ出てて、けっこう多くを読んできたつもりですが、ここまで共感する本はこれまではじめてやったな。このひとの商売のやりかた、商売をやる上でのひととのかかわり方もそうやけど、あとがきもまた、いい。すごくまっとうに思えた。
投稿元:
レビューを見る
カフェにまつわる話がメインかと思いきや、いやもちろんそれもあるのですが、行きすぎた資本主義経済に対する打開策の一つを提案していると思います。
テイクの関係の危険性には確かに思い当たる節があったのでハッとしました。
特定多数、支援や贈与・ギブがキーワードになりそうですが、そのためにもゆっくりと時間をかけて丁寧に仕事をすることが、回り回っていそぐこと、もしくは成果につながることになるのではないかと。それも豊かさを伴って。
投稿元:
レビューを見る
開高健さんが好んで色紙に記した言葉に「悠々と、急げ」というのがある。きっとどこかの古典から引いたものだと思うのだが、このタイトルははラテン語の「festina lente(フェスティナ・レンテ)」からの引用だという。同じ根をもつものと思われるが、このタイトルが気になって手に取った。
JR中央線で乗降客数最下位の街、西国分寺で高い評価を得る「クルミド・コーヒー」の店主による自伝的な書だが、単なるカフェの経営のみならず、経済というものを深く考え直させられる一冊である。
このカフェで出す一杯のコーヒー、テーブルに置かれた長野県東御市産のクルミ、クリスマス時期に供される特別なビーフシチュー、そして地域通貨やボランティアへの取り組み。すべてにストーリーがある。
ブランディングというマーケティング用語では語れない、それ以上に根本的な思想がここにはあるような気がする。是非とも尋ねてみたい店である。
投稿元:
レビューを見る
書かれていることがこの現実社会になじみすべての人たちがその考えを身に持てるのならば世界は変わることだろう。
しかしすべての人間がその考え方に同調してくれるわけではない。無論著者もそのようには考えていないだろう。まず小さい世界自分たちの周りからゆっくりと少しずつという気持ちとても大事。
フェスティナ・レンテ ゆっくりいそげ
受け取っているものが多い返さなきゃという気持ち
負債感
経済の発展お返しのお返しその繰り返し贈る気持ちの連鎖
あなたはお店をいかして、どんなことを表現してみたい。どんなことをやってみたい。
何か一緒にできることあったらいいなと思うから。
人を癒し、鼓舞しうるのは、技術や知識ではなく、哲学や価値観ですらなく、それをつくり届ける人の存在
投稿元:
レビューを見る
経済の形、やり方に疑問をもちつつも、
「生きる」ために何かを犠牲にしている私たち。
その何かを犠牲にせず、
十分に使って、「経済」の本来の形を探っている著者。
理想や絵空事ではなく
=========================
のんびりやればいいかというとそういうことではない。
それがいい仕事に結びつくとは思えない。
一生懸命、時間をかけるのだ。
一生懸命、手間ひまをかけるのだ。 (P235より抜粋)
=========================
と著者がいうように、
自分達ができる”価値の提供”をカフェを通じて、
追求し続けていると思う。
これまでの社会で当たり前に行われていた
日本独自の価値の提供。
この本を読んで、それまで忘れていたこの事を
思い出し、深く知ることができました。
ぜひクルミドカフェに行ってみたいなぁと思いました。
投稿元:
レビューを見る
奇麗事言ってる、と感じる向きもあるかもしれないが、ここまでしっかり考えられた奇麗事を論じる人はそういない。影山さんのマッキンゼー時代とクルミドコーヒーを始めてからの、なんというか、蓄積が感じられた。
例えば、数年前までマーケティングの部署にいた頃は、如何に顧客のテイクのスイッチを押すことを考えていた。ある商品を買うとこんな良いことがありますよと、如何に刺さるメッセージを刺さる顧客層に届けるにはどうしたら良いかとばかり考えていた。
しかし、仕事が終わって同僚と飲みに行くときには違うことを考えている。この商品はこんなにお得だというコミュニケーションではなく、もっと共感が得られるようなコミュニケーションを心がける。毎日多くの時間を過ごす人達と、お互いを利用しあう関係にはなりたくないからだ。
できれば、同僚とも顧客とも近所の人とも、価値観を共有する関係でありたい。そう思いながら、これが仕事だからしょうがないと諦めている人が多いのだろうけど、影山さんは西国分寺でそれを実現している。そのことに少しでも励まされたら、この本を読んだ価値があるというものだろう。
投稿元:
レビューを見る
現在のできるだけ効率よく商品・サービスを生産してお金を稼ぐ経済の在り方に疑問を感じる著者。一方でそういった経済の対極にある「スロー」を目標とした生き方も注目されはじめ、その2つの中間が理想だと感じている。著者が提案する生き方を実現するのは簡単ではないが、少し心に留めておくだけでも日本の経済は変わっていくかもしれない。
投稿元:
レビューを見る
丁寧につくること。
丁寧に考えること。
丁寧に話すこと。
丁寧に聞くこと。
丁寧に人と関わること。
初めてクルミドコーヒーを訪れたとき、
なんて丁寧な場所なのだろうと感じた。
1つ1つのこととしっかり向き合っている。
もっとこの場所のことを知りたいと思い、読み始めた本。
すごく大切だと思えることが記されている。
実践していくのはきっと大変なのだろうけれど、
少し羨ましい。
そんな1冊です。
投稿元:
レビューを見る
お客に対して、「消費者的な人格」を刺激するのか「受贈者的な人格」を刺激するのか。
経済と効率のみを追求し、お客に対してもその点だけを訴求していくことは「消費者的な人格」を刺激することになり、顧客と店は共にいかに「得をするか」のみに注目することになる。
一方、「贈る」仕事ができていれば、お客に対し「受贈的な人格」を刺激し、お客にとって自身の「負債感」を増すことにつながる。そしてお客はその負債を返済するために、また店に対して贈る(来店・購入)行為ををしてくれる。
お金は手に入れるための道具ではなく、何かを受け取るための道具。どんな仕事にもその仕事をなす贈り手がある。「手に入れる/取られる・奪われる」と捉えるのか、「受け取る/贈る」とどちらが幸福感を感じられるか。
スタッフ採用の際「あなたはお店をいかして、どんなことを表現してみたいか」と問う。組織のために人がいるわけではなく、人が組織をいかして自分を表現すること。組織は人を利用するのではなく、人を支援するというスタンスに立つ。
仕事は誰かを支援する。お客を支援し、社員を支援する。
無機質で経済的な目先の利益と効率のみを比較し、ひたすらにそれのみを追求し、そこが成否の基準となっている現代日本に「自分の仕事ってそれでいいの?」と投げかけるような一冊でした。
投稿元:
レビューを見る
東京に長く住んでいる人は共感すると思う。
筆者は西国分寺が地元で、東大を出て、大企業相手にコンサルティングする経験をこれまで積んできている。
だからこそ、「急がなくたっていいんだぜ」という思想や主張をもったカフェを都内で開くことの意義は大きい。
ただ、読んでいて感じたのは、それができるのはこの人だけなのでは、という疑問であった。
それは、能力や経歴をさして言うひがみなどではなく、その仕入れや経営に対して、結局のところニッチだから生き残っているにすぎず、一般的な経済行動に対し解決策を示しきれているわけではない。
この本を読んで共感する人は、おそらく東京勤めで連日の慌ただしい生活に疲れ切った人くらいだろう。本当の農家だとか、自らUターン・Iターンして地方勤務を選んだビジネスマンには、ほとんど共感を呼ばないのではないかと思うのである。