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かつて猪瀬直樹氏が著した『道路の権力』を想起した。一般有識者委員の立場で官と対峙したストレスは大きいようだ。この社会で「えん罪」ほど防がねばならぬ不幸はない。そのためにも「取調べ全過程の録音・録画」を求める著者らと、それを阻止せんとする警察・検察サイドの攻防が明かされる。一般有識者サイドのエースは村木厚子氏。あの郵便事件ほど検事憎しと思ったことはない。もはや取調べを公開しない理由なんぞあるものか、とも思うのだが・・・。冷静になり、自らを取調べをする者の立場に置いてみるならば、そうもいかない。
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官僚さんたちや学者さんたちは頭がよいのか、悪いのかよく分からないです。頭が良いなというのは自分の省庁の権益を守るための駆け引き上手なところ。頭が悪いなというのはこの検討会議の目的を(わざとなら頭を使ってる?)参加者で共有せずに進めていき、妥協の妥協で落ち着かせてるところ。
日本の悪さがにじみ出ている会議のような気がします。
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基本的人権である「疑わしきは罰せず」の原則が実現されていない実態は、昨今たびたび伝えられる冤罪事件でも明らかだろう。
問題は権力の実行側(検察、警察に加え、場合によっては裁判所も)が確信犯であり、理想と現実は違うと開き直っていることだ。
全取調べの録画・録音、安易な逮捕前勾留の制限、証拠の全面開示といった、人権保護の観点からは議論するまでもなく当然と思われる事項が、不可解な法理議論や捜査実態に忖度して骨抜きにされていく過程は、とても近代的民主国家とは思えない。
国のあり方を考える上で、高校社会科の副読本ともすべき啓蒙の書である。
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2015.9.26市立図書館
映画「それでもボクはやっていない」をきっかけに刑事裁判の不条理に片足を突っ込んだ映画監督が、一般人有識者のひとりとして法制審議会の委員に参加することになった。そこでの悪戦苦闘や葛藤をつづるノンフィクション。内容はハードでカフカ的不条理世界、取材・映画を通した問題意識バッチリの周防監督が果敢にいどんでもなかなか通じない手強い世界。警察、検察、裁判官、弁護士、学者…それぞれに自分の仕事をまちがいなく誠実にやりぬこうという思いは同じなのだとは思うけれど、立場の違いを超えてひとつのルールを共有すること、真に理想とするものをともに構築することってこうもたいへんなのか、とめまいがしてくる。逮捕や取り調べなんて自分には関係のない遠い世界の話、と思って忘れていたいけど…
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政府が主宰する会議はある程度の予定調和があり、それに加担するだけで人の話を聞かない、物事の本質を見ない人たちがいる。既得権益を得た人たちにはおいしい世界。
このような本が出版されなければならない現実が悲しいではある。
払ってもいい金額:1,700円
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周防さん、頑張ったんだなぁと実感させられる本。
「おわりに」に凝縮されているが、そもそもの会議の成り立ちが「検察の不祥事」なのに、新時代の刑事司法、、、と論点がボカされた時点で勝負ありだった。。
10人の真犯人を逃すとも一人の無辜を罰するなかれ
まさしくその通りだが、ここに出てくる刑事、判事、裁判官、法学者は、自分は絶対に被告人にならないと確信しているから、自分が冤罪で罰せられるという感覚がないのだと思われる。。。
こんな感じだから、警察は不祥事を隠すし、冤罪もなくならない。。。
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警察のごやっかいになってはいけないと強く思うとともに、自分も行政側の人間として、こういう役割を演じていたら嫌だな、と強く思う。
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村木厚子さんの「郵便不正事件」に関する著書を読んでから、関心を持つようになった取調べ可視化。法制化されたと言っても、対象事件は裁判員裁判対象事件など僅か2%ほどだと知り、それだけかという思いだったけど、先月開催されたシンポジウムで、村木さんや周防さんの話を聞き、またこの本を読み、これだけでも大変なことだったんだとやるせない気持ちになりました。自らの非を決して認めようとしない者を相手に改革を訴えるのは本当に難しく虚しい事だったでしょう。一市民として、これからの行方を見なければと思いました。