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狂言。能の幕間に演じられると聞かされ、児童の頃、学校巡演の大学生が演じて見せてくれた記憶がある。
庶民の喜怒哀楽を、風刺をこめて形にする物語り性に魅了されたけれども、狂言師が解き明かす技術や細かな発声の配慮について紹介があり、それはプロの技として奥ゆきを感じさせてくれる。
「狂言の世界は、横の社会と縦の社会の二つに大きく分けられ」(22p)。主人と家来、元気な女房とさえない夫(49p)、珍解釈を開陳する僧(66p)などなど。
そのなかで「附子(ぶす)」のように、結末がどうなるのか、説明のないストーリーも、うける不思議さがある(32p)。
三味線の伝来は永禄年間(1558-70年)、明・琉球を経て伝来、音曲の構造をリズムに加えて旋律の世界を切り開いたとする(148p)。 一方で、政治権力に支援された「式楽」としての地位。代替わり、世嗣誕生などの祝いに演じる形で、庇護をうけ芸としての成熟を果たしたとする。
江戸時代の士農工商、生活様式の類型化が庶民にも波及する点を「制度化」と、とらえる(149p)。
狂言と言う芝居が、庶民に普及は「暮らしのゆとり」かも知れないが、力あるものの支援は、そこにそれなりの背景がモノ言うのかとおもうが。