紙の本
徹底的にまじめな高橋源一郎
2015/12/23 10:20
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:まなしお - この投稿者のレビュー一覧を見る
高橋源一郎はいくつかの小説は読んでいる。競馬エッセイも読んでいる。こういうまじめな本は昔は書かなかったように思う。それで、今回読んでみたわけだが、徹底的にまじめに考えたことをすごくわかりやすく書いてある。高橋源一郎がこういうものを書くというのは、それだけきな臭い時代になってきたということかもしれない。
投稿元:
レビューを見る
読み終わったのだけど、まだ、終わった気がしないのは?
これまでの歴史、経緯は未来に続いていくことは、
必然的にあると思う。
深く知ることによって、わからなくなることもあると思う。
自分自身が深く考えることができなくなっている、
つまり、新しいことを始めることが難しいと感じることもある。
視点、今を未来に繋ぐための。
まず、必要で考えないといけないことだと思う。
投稿元:
レビューを見る
①覚えておきたい良い言葉
②掘り下げれば広い世界が広がってそうな新しい知識・単語
に出会うと付箋を貼る習慣がありますが、この本は読み終わった後付箋だらけになりました。
投稿元:
レビューを見る
この連載が始まるひと月前に「東日本大震災」が発生した。あれから4年。当時の気持ちが「揺れる」実感とともに鮮明に蘇る。
とにかく今は生きている。絶望ばかりしてはいられない。考え、動き続けなければと切実に思う。
投稿元:
レビューを見る
毎月最終週の木曜日に掲載される論壇時評を楽しみにしていました。そして、これって本になっていないのかなあと探して見たりもしていました。
今回のこの本が、初めての書籍化だったようです。
旬のテーマを扱う時評を、少し時間が経ってまとまった形で読むと、新聞で読んだ時ほど楽しめないかも、と実は心配していましたが、本当に全くいらぬ心配でした。
目を開かされる論評や引用が、次から次へと現れて、自分にとってとても貴重な一冊に思えます。これから時間をかけて、引用元に当たって行きたいと思います。(そんな楽しみも与えてくれる!)
投稿元:
レビューを見る
「反原発」「デモ肯定」が読み終えての印象。あと一人称が〝わたし〟〝ぼく〟〝おれ〟が使用されてて妙に違和感を感じた。無知なのでこの人が小説家と知らずに読んだが、この人の本は今後読むことはないと思う。
投稿元:
レビューを見る
ブログに掲載しました。
http://boketen.seesaa.net/article/419515538.html
おだやかなユーモア、民主主義への揺るぎない信念。
投稿元:
レビューを見る
朝日新聞に月に1回掲載されてきた高橋源一郎の論壇時評を集めたもの、現在も連載中だが、まずは2011年4月から2015年3月までの4年分が新書の形で出版された。最近はうっかり連載日を忘れないかぎり読んでいるが、本書の前半に収められた文章はほとんど読んだ記憶が無い。実のところ高橋源一郎の小説は苦手な方なので、最初の内は、むしろ彼の書いたものだからと言うことで読んでいなかったのだろう。
どの文章にも共通するのは、視野の広さと、分からないものに対する謙虚さ、そして何らかのイズムに偏ることなく、人間としてのごく素朴な感情に基づいて社会を見通す目だ。大人の知性と子どもの純真さを兼ね備えた目と言ってもいいだろう。そんな高橋の視点に触れると、目の前の混沌に満ちた光景がすっとクリアになる。そう、現実はどうであれ、ものの考え方としては、こんな単純な思いを基点にするだけでいいのではないか。
しかしそのような文章を48編まとめて読んだとき、ある種の限界を感じたのも確かだ。確かに基本的な考え方はこれでいい。しかし、こんな馬鹿馬鹿しいほどまともな考え方が何故社会のスタンダードにならず、現実はそれと逆行するようなことばかりなのか… その解答や解決策は、本書を読んでもほとんど分からないからだ。たまに解答に当たるような部分があっても、どこか文学的な修辞に逃げている印象を受けた。
だが本書の幾つかの文章を読めば分かるとおり、傑出した才能が解答を出して凡夫を導くのではなく、圧倒的多数の凡夫が玉石混淆の意見を出し合いながら解答を見いだしていく、極めて不合理なプロセスこそが「民主主義」なのだ。自分自身で解答を見つけ出す労を厭い、面倒なことをリーダーに丸投げしようとする人々の精神構造こそ、現在の閉塞した社会を生み出した元凶だろう。その意味では、『ぼくらの民主主義なんだぜ』というタイトルの本に「解答がない」という不満を持つこと自体、自らを反面教師として、今の社会の問題点を見事に映し出しているとも言える。
投稿元:
レビューを見る
皇太子の移動のための交通規制で足止めを食った堀江貴文が「移動にヘリコプターを使えば」とツイートした。それに対して、皇室への敬愛が足りないと批判が殺到した。皇太子のことを何だと考えているのかという質問に、堀江は簡潔にこう答えた。
「人間」
この本の主張は全編に渡って、視野を広く持つこと、物事に対して考えることが大切だと主張している。
広い視野を持たなくてはいいけないのはなぜなのか。
「人々が攻撃的になるのは、視野を狭くしているからだ」
先日、「日本人には内ゲバがよく似合う」と感想をつけた本があったが、その言葉が自分のなかでひどくしっくりくる。
海外でよくある移民排斥、人種差別とか日本人にはそういうのが当てはまらない。
あくまで、日本人同士で罵倒しあう構図しか見えてこない。しかも、参加しているのは、たいてい普通の一般市民がだ。
あいつは自分たちよりもいい思いをしているはずだ。俺たちが手に入れるはずだったものを奪っている。ルサンチマンの負の力は大きい。
なぜそうなっているのか原因を考えることができない。他人の思考を考えることができないから他人に対してどこまでも非道になれる。
考えることは重要だ。しかし、この国では思考停止を強要される。
かくいう自分も本を読んでいる間、旅に出かけている間、日常を離れている間はいろいろ考える。
しかし、月曜日の朝になれば朝飯を食べて、スーツに着替えて、いつも通りに出勤する。ゆるやかに思考をシャットダウンしながら。
投稿元:
レビューを見る
おだやかなおじさんそのいち。
こうやって現実を語りながら、希望も語れる人の存在がどれほどありがたいか。
投稿元:
レビューを見る
夏目漱石は自身への戒めとして「真面目に考えよ。誠実に語れ。摯実に行え。汝の現今に播く種はやがて汝の収むべき未来となって現わるべし」という言葉を残したと聞いている。本書での高橋源一郎氏の実践は、まさにこの漱石の言葉を地で行くものではないだろうか。
そしてこの本と出会えたことを感謝するなら、僕たち自身が「未来」となれるように「考える」「語る」「行う」という動詞を大切にしていくことが求められるのではないだろうか。
そんな風に思った。
投稿元:
レビューを見る
政府与党のゴリ押しによって憲法の解釈変更という姑息な方法で他国の戦争に首を突っ込む法整備を進める今の日本。そこには民主主義の精神は既にない。
そんな息苦しさの中、筆者は「絶望はしない」と決心する。
様々な人との丁々発止の絡みは深く刺さるが軽妙で面白い。
投稿元:
レビューを見る
2011年4月から2015年3月まで、朝日新聞に連載された「論壇時評」に加筆して新書化したのが本書。
原発、憲法、嫌中・嫌韓、ヘイトスピーチ、格差社会、特定秘密保護法、従軍慰安婦、靖国参拝、生活保護…。
これまで論争を巻き起こしてきた様々なテーマを取り上げていますが、賛成・反対だけではない、多様な考え方があることを教えてくれます。
「常識」はしばしば覆され、読む者に知識や教養を与えるだけでなく、考えることを強いてきます。
私の定義では、こういう本を「良書」と呼びます。
たとえば、憲法問題では、熊本に独立国を作り、初代首相に就任した坂口恭平さんを紹介しています。
坂口さんて頭がオカシイんじゃないの?
そんなことはありません。
国の要件を定めた「モンテビデオ条約」によると、①国民がいて②領土があって③政府があって④外交能力がある―この4要件を満たせば「国家」を名乗れるそうです。
坂口さんは、どうやら本気で国連に加盟申請するらしく、「憲法」もあるそうです。
たったひとつだけの条文は「困った人を助ける」というもの。
政府の安保法制に絡んで、憲法論議が激しくなってきました。
憲法とはそもそも何か。
専門家任せにせず、プリミティブなところへ立ち戻って自分の頭で考えるべきではないかと、坂口さんの話を読んで思いました。
格差社会ということがいわれます。
ニューヨークに突然現れた「オキュパイ・ウォールストリート(OWS)」は、「格差社会の是正」を、デモなどを通して訴える運動。
参加女性の言葉は示唆に富みます。
「意見がごちゃごちゃに分かれて複雑になって、ときには時間がかかることもある……本当に言いたいことっていうのは言葉のニュアンスのなかにあって、とことん意見を交わさないとなかなか出てこない。そして互いに耳を傾けあうような環境じゃないとね」
日本の政治に決定的に欠けていることをピンポイントで言い当てています。
いや、私たちの日常の中からも欠落しているものかもしれません。
著者は簡潔に「ぼくは、ここに、独裁を拒む、もっとも有効な知恵を感じる」と書きます。
従軍慰安婦問題では、朴裕河(パクユハ)さんの『和解のために』を紹介しています。
朴さんは日本の責任を問いつつ、同時に「娘を売り渡した養父」や「日本軍兵士でもあった朝鮮人兵士」による「慰安婦施設の利用」を指摘し、その責任を問います。
従軍慰安婦に関しては、軍が強要したことを示す文書が存在しないことや、人身売買を仲介する女衒が暗躍したことが知られており、私自身もそのように認識しています。
ただ、朴さんの論考を引きつつ、「被害と加害は単純に分類できない」という著者の主張には耳を傾けたい。
朴さんはこう書きます。
「被害者の示すべき度量と、加害者の身につけるべき慎みが出会うとき、はじめて和解は可能になるはずである」
「衆議院選挙東京第25区の候補者に会って質問できるか、やってみた」という動画のエピソードも実に興味深いです。
動画を作ったのは、ひとりの無名の青年。
「た���ていの場合、候補者の事務所は、そんな青年の希望を、時にむげに、時にやんわりと断る。気が弱そうな青年の声、断られてしまった後の徒労感。ある事務所のスタッフは『マスコミじゃないんだから』と冷たく言い放つ。それでも、気を取り直して、青年はまた別の事務所をひとりで訪ねる。」
青年は批評家や小説家として知られる大塚英志さんの昔の教え子で、いろいろあってバイトも辞めて、微妙に引きこもり状態のナベタくん(仮)。
ナベタくんに特別な政治信条はなく、ただ考えるための材料を人々に提供するために孤軍奮闘、動画を作ったのでした。
著者はそこに「どんなマスコミも伝えられなかった、貴重ななにかが含まれている」ことを見出します。
同感です。
美智子皇后が、国際児童図書の大会の基調講演で語った言葉も強く印象に残るものでした。
「読書は、人生の全てが、決して単純でないことを教えてくれました。私たちは、複雑さに耐えて生きていかなければならないということ。人と人との関係においても。国と国との関係においても」
善悪二元論に単純化しようとする言説には、疑いの目を持たなければなりますまい。
必要なのは、自分の頭で、考えて、考えて、考え抜くこと。
ハンナ・アーレントはユダヤ人虐殺の中心人物であったアイヒマンの裁判を傍聴して、彼の罪は「考えない」ことにあると結論づけました。
「彼は虐殺を知りながら、それが自分の仕事であるからと、それ以上のことを考えようとはしなかった。そこでは、『考えない』ことこそが罪なのである」
肝に銘じたい。
投稿元:
レビューを見る
高橋源一郎氏が論壇時評で連載していた記事を、新書としてまとめた一冊です。
原発、慰安婦、ヘイトスピーチなどの問題について、表面的で感情的な議論に囚われずに、社会の本質に切り込んでいます。
どんな問題にも、正解ということは無いのですが、高橋さんは常に弱者のことを考え、なぜ弱いものが苦しむのか、という構造について考察されているようです。
そういった問題を少しでも解決するために大切な事として、何よりも考えること、そして、いろいろな人の立場にたって物事を考えることを強く主張されているのだ思いました。世の中が複雑で多様であることから目をそらしてはならない。
自分も徹底的に、正しく考えられるようになりたい。
投稿元:
レビューを見る
2015.6.16読了
だからこの人の文章が好きなんだ。
右とか左とか、よくわからないけど、この人の話には説得力がある。真実が垣間見える気がする。
ただ、文学者の常なのか、他人事感を多分に感じる点は否めない。