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チェルノブイリ関係の本は今まで何冊も読んだが、この本はドラマチックそして歴史的事実を追ったという点でも秀逸である。
チェルノブイリ事故後、現地で住民と子供達を守るために戦った人々、とくに核物理学者のチェルトコフと解剖生理学者のバンダジェフスキーに焦点を当てて書かれている。
作者のチェルトコフは、ロシアで生まれてイタリアに移民し、フランスでも生活したことのあるドキュメンタリー映画監督で、イタリアやスイスのテレビ局などでも仕事をしたことがある。本人が冒頭に書いているように、ロシア語が母語であることが、ロシア語圏(おそらくウクライナやベラルーシは特有の言語があるだろうが、基本的にみんなロシア語はできるはず)であるこの地域に入って取材をするときにかなり有利であったようだ。また、国連の公用語である英仏語にも通じていることで、国連関係の取材もズムーズであったのではないかと思う。多数言語ができる人間は欧州には五万といるだろうが、西側のジャーナリストでロシア語ができるということはチェルノブイリ取材に関しては大きなメリットだったのだろう。
全体を通してみると、ドキュメンタリー映画の監督が、ここまで詳細に書き込んだ本を記すということに、チェルトコフの執念を感じる。執念とは、執拗なまでのこだわりである。日本風の情緒たっぷりな感じでいうと、情念か。こういう情念があるからこそ、いまや忘れ去られたかのようなチェルノブイリの真相に食い込んでいけたのだと思う。人道に反する犯罪である、という確固たる立場を裏付ける取材の数々。
1990年の最初の撮影取材から今に至るまで、何か引きずり込まれるように、この原発事故に捉えられて、チェルノブイリの悲劇を追わざるを得なくなった、という感じである。
上下巻共に分厚い本であり、インタビューとともに、チェルトコフの取材と調査に基づく様々な情報がぎっしり詰め込まれているのだが、福島の事故の後に私たちが注目すべきなのは、西側(当時の共産圏と対峙する意味での、自由で民主主義的、公正で独立した科学的調査が基本であるはずの西側)の国際機関や研究機関がいかに原子力産業にひれ伏してきたか、チェルノブイリが原子力産業のさらなる発展に結びつくための実験場に貶められてきたか、ということが克明に記されていることだろう。これは陰謀論でも空想の物語でもない。チェルトコフのチームが記録したキエフでの会議の映像でも確認できる。
ベルラド研究所は子供達の被ばく量の測定や放射性物質吸収剤(ペクチンベース)の投与などをめぐり、ネステレンコ博士がベラルーシの保健省に攻撃されるのは理解できる。『放射線防護のための測定は、危険にさらされているグループの被ばく量ではなく、放射された年間実効線量をベースに行わなければならない』(p434)からだ。つまり個人の体内の放射能蓄積レベルを調べてそれに見合った防護対策はとってはいけないということだ。国が完全に事態を掌握するには、科学者に勝手に動いてもらっては迷惑である。特的の臓器に放射能がたまることを突き止めたバンダジェフスキーの弾圧も同様の理由から行われたことである。
ベルラド研究所の���ステレンコ博士は暗殺未遂もあったようだし、バンダジェフスキー博士は投獄と監禁をよく生き抜いたものだと思う。ネステレンコ博士も心労がなければもっと長生きしたのではないか。
しかし、この二人の科学者に対するベラルーシ国家の仕打ち以上に恐ろしいのは、科学者の独立性と自由を重んじているはずの西側諸国の対応ではないか。チェルトコフはドイツの科学者のペクチン剤およびバンダジェフスキー研究の執拗な攻撃について多くのページを割いている。科学者が実際には倫理を捨て置いて自分の利益に忠実であることを選ぶ例として、バンダジェフスキーやネステレンコと対極にあるからである。ま
原子力産業においては、科学は人の命を守ることには利用されない。それだけではなく、西側の国々は放射能とともに生きることを「新しい文化」として人々に押し付けるようなプログラムに金を使っている(エートス・コールプログラム)。被ばくのデータを記録するとともに、ひとたび事故が起こったときに人々を心理的にどのように制御するのかに心を砕いている。
その結果がいまの日本だ。実際、この本にも出てきたフランス人科学者は福島を何度も訪れている。福島はじめ日本でやってるリスク・コミュニケーションの技術はチェルノブイリで実践済みだ。単なる隠蔽や無視から、新しい形でのマス・コントロールの出現。核発電が一般的になったいまだからこそ、チェルノブイリのように広範囲にわたって多数の人間が被ばくした事故での対応を学び、応用する必要があるのだ。
チェルトコフは取材の過程で、西側の科学者たちがチェルノブイリで人々の救済よりもデータを取ることに腐心していることに気付き始める。米国、ドイツ、フランス、日本・・・西側の国の豊富な資金はなぜか治療や防護対策には使われない。住民の治療・放射能防御に関わる様々なプログラムが計画途上で頓挫するが、被ばくの検査に関わる計画は実行に移される。住民は何も知らず、検査を受けるだけ。現実的に貧しくて外に出ることもできない。貧しいから、その地方で取れた汚染食材を食べ、被ばくし続ける。防護対策は行われない。だからチェルノブイリは「核の収容所」なのだ。
私はいま、西側諸国がチェルノブイリで培ったデータと住民のコントロールの成果を、フクシマの事故後に目の当たりにしている。私は日本には住んでいないけれど、メディアなどに登場する科学者や専門家たちの多くが、暗に原子力産業に加担していることを感じることができる。「被ばくは危険だ」と言わないことは、要するに被ばくを受忍させるということだ。また、それは避けられない悲劇として捉えられるべきなのに、まるで自分たちが選んだ生きかたの一つのようにされている。これが、西側での核災害の帰結だ。