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戦前、戦争、戦後を生き抜く1人の人間・小熊謙二のリアルな生活録。
謙二の息子であり本書の著者である英二が、謙二に対するインタビューや、様々な資料を基に描いた、純然たるノンフィクション戦争体験記であり、社会科学的な視点も随所に盛り込まれている。
「脚色のない、生きた歴史」を知ることができる。
文章も流れるように読みやすい。
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戦前、戦中、戦後と生きた男を、その驚くべき記憶力をもとに、「ドラマ」としてではなく「ノンフィクション」として描き出した作品。
筆者はその男の息子であるわけだが、父の客観的な言葉を踏まえつつ聞き取った内容に社会科学的な分析を加え、当時の一人の人間や家族の暮らし、考え方、政治・経済・社会制度などに具体性をもって迫っている。
一庶民をこのような形で詳細な具体性と考え方を含め息遣いを持って描き出した作品は稀有であると思う。
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とある一人のシベリア抑留者がたどった軌跡から、戦前・戦中・戦後の日本の生活模様がよみがえる。戦争とは、平和とは、いったい何だったのか。著者が自らの父・謙二の人生を通して、「生きられた20世紀の歴史」を描き出す。
シベリア抑留の過酷な体験談かと思ったら、引越と転職をそれぞれ10回前後繰り返した復員後の過酷な体験がメインだった。昭和天皇の戦争責任、横井庄一さんや小野田寛郎さんへの思いなど、意外な心境も綴られていた。戦後昭和史も大局観に立ったものだけではなく、こうした個人の体験を通して語られる歴史もあるのだと再確認させられた。
(B)
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今、国内でもっとも読まれている社会学者の著作から選んだ。個人史に焦点を当て、日本社会を問う。
(松村 教員)
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小熊英二さんが、シベリア抑留を経験されたご自分のお父様から聞き書きされたもの。
おもしろくないはずはない(「おもしろい」とは不適切か⁉︎)と思い、読んだ。
シベリア抑留について、もっと知りたいと思い、読み始めたが、その前後の人生にもじっくり触れられていて、その部分がまた良かった。
本の中にも書かれていたが、大体の体験記が、学徒兵など、ある程度知的にものを考える層によるものが多く、「庶民」の体験記が少ない。その「庶民」の体験記を小熊さんという知識人がうまく1冊の本にしてくださり、大変良かったと思う。
どうしても時代に流されざるを得ず、でも食べていくためしたたかに生き、数々の困難を乗り越えてこられた。そして、年をとられてからは、頭でっかちでなく、自分の体験を踏まえて、意識高く、社会と関わっておられる。さすが、小熊さんのお父様だ。
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本屋でたまたま手に取ったのは帯に小林秀雄賞受章って書いてあったから。引き込まれて読んだ。戦争のことはあまり知らない。でも世界は確実にキナ臭くなっていて戦争に近付いているような気がする。この作品を小説じゃないけど、小説みたいに読んでた。主人公は作者の父で満州からシベリアに抑留される。シベリアから帰ってきて苦労をしながら、戦後から現在まで、とにかくまっすぐな感じで生きていて、何をしているのか、自分がどこに立っているのかきちんと見てまわりに流されず意見をもっているところがとても素敵だと思ってしまった。シベリアから帰ってきた人たちが冷遇されたりとか、日本はあかんとほんまに思った。間違った方向にいかないようにしっかり意見を言えるようになりたいと思う。
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http://blog.goo.ne.jp/abcde1944/e/dc893cc6fa3f14a69ea2f67ca1ad05e2
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読む本は全部図書館で借りて、洋書なら、OpenLibraryかProject Gutenbergで読むオレが、この本は買った。
いちおう図書館にも予約してはあるんだけど、25人待ち、かなんかだし。
小熊英二先生のお父さんって、客観的な見方ができる人なんだね。
日本の結婚式は、本来、無宗教で、神道の結婚式なんか天皇家がやった後付けの創作だ、っていうのも、歴史学者ならではの、ホントの話。
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小熊英二慶大教授の父の体験を子供である著者が聞いて再構成した、戦前から戦後にかけて、大きな戦争という時代の渦に巻き込まれた一個人の話。当たり前の庶民目線から見た歴史書といえる。その時の庶民がどのように時代を知り、あるいは知らずに、巻き込まれていたかわかるし、過去を美化する人たちが、事実は違ったりすることがわかる、貴重なオーラルヒストリーと思える。著者も肉親からの話を聞いてまとめる作業であり、感情を引いて淡々と記述しているが、時に愛情がほとばしる場面もある。淡々としながら、時に感動という、戦前戦後史を別の側面から知る良書と思う。最後に「希望だ。それがあれば、人間は生きていける」という言葉が印象的だった。
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400ページ弱、新書としては厚い方だろう。
「生きて帰ってきた」というタイトルの通り、ひと言で言えば、シベリア抑留を体験して帰国した元日本兵の一生ということになるのだが、本書はそれだけには留まらない。
地味な体裁、淡々とした語りの奥に、昭和初期以降の庶民の暮らしが詳細に活写されている。
大上段に振りかぶらず、地に足がついた、そして激情に流されることのない、一市民の人物史である。
主人公は著者の父。息子がインタビュアーとなって父の語りをまとめている。
このお父さんという人は、学があった人ではないのだが、観察眼があり、記憶力にも抜きん出たものがある。加えて、冷静で、自分に酔うようなところがない。
著者は歴史社会学者である。父の語りを補足する形で、その時々の政治状況、国際情勢の流れを解説する。
主体は庶民の生活ぶりを詳細に捉える「虫の目」、ときに社会全体を眺め渡す「鳥の目」といったところである。
父・謙二の生まれは大正14(1925)年、北海道常呂郡佐呂間村(現・佐呂間町)である。その父の雄次は新潟県の素封家に生まれたが、家が零落して半ば流れ者のようにして佐呂間の旅館に入り婿となった。やがて謙二の祖父母は旅館を手放し、東京に出てきて零細商店を営む。謙二もそこに引き取られることになる。
故郷に確たる根を持たない、上流階級でも知識層でもない、「表」の歴史に残りにくい庶民史が非常に興味深い。
昭和初期に各地に建設された公設市場。「月給取り」と「零細商店」の子供たちの間にあった見えない壁。娯楽としての紙芝居や映画。地方出身者が増えて以降、目立つようになった盆踊り。
時代は戦争へと向かい、経済状況が悪化していく中、物資の流通が滞り、人々の暮らしにも影響が出てくる。そうした社会情勢と庶民の肌感覚が複眼的に昭和初期という時代を捉える。
進学率が上がりつつあった時代にあり、中学への進学を果たす。しかしさほど向学心に燃えることもないまま卒業・就職。時代が時代ならばそのまま「サラリーマン」人生を送るところだったのだろうが、ここで召集。父の本籍地だった新潟に配属され、満州に送られる。初年兵としてこき使われるうちに終戦。
このあたりの内側からの軍隊生活の描写も、一兵士の実感と観察眼が生きていて興味深い。いわく、軍隊生活ではとかく連帯責任が問われ、あるはずの備品が足りないと隊が罰せられるため、余所の隊からの盗みやごまかしが横行していたとか、「軍人勅諭」といったものを暗誦させられるが、大意を汲んでもダメで一字一句暗記していないと殴られる等。
敗戦時、体をこわしていた謙二は部隊から切り離され、あぶれものの集まりとしてシベリア行きとなる。この際、命を落としたもの、辛くも日本に帰ったもの、シベリアに行ったもの、収容所で帰国を待った年数は、それぞれの境遇でさまざまだったが、ちょっとしたことが運命を分けたようである。
シベリアでは極寒の地で厳しい収容所暮らしを送る。最初の冬は極限状態で、栄養失調から、人としての感情もなくすような日々だったという。その後���生活状態自体は徐々に改善されていくが、一方で「民主運動」が起こってくる。ソ連人に気に入られようという狙いもあってか、「アクチブ」と呼ばれる共産主義礼賛者が幅をきかせ始めるのだ。こうした運動に心底熱中していたものもいたが、冷静に距離を置いているものも多かった。
先が見えないと思われた収容所生活だが、帰国できる日がやってきた。
しかし、帰り着いて父の故郷・新潟を訪ねたが、極貧の暮らしで、食べるものも満足には食べられなかった。職を転々とするうち、戦中戦後の無理と栄養不足がたたり、謙二は結核になってしまう。当時、結核は非常に恐れられた病気で、特効薬も出てきてはいたが、貧しいものに行き渡るほどの供給はなかった。金がなかった謙二は病巣に冒された肺胞をつぶす、苛酷な外科手術を受ける。もう少し前であれば死んでいたかもしれないが、もう数年後であれば、薬の供給が改善され、大手術を受けずに済んだかもしれない。その境目にあったのが、1950年代前半だった。
何とか病棟を出た後、高度経済成長の波に乗り、謙二はスポーツ店の営業として、徐々に頭角を現してくる。時代の波に乗ったことに加え、冷静な観察眼が営業職には向いていたようだ。後には自身の会社も興している。
現役を引退した後は、ふとしたことから戦後補償裁判に関わることになる。このあたりの経緯も非常に興味深い。
全般として地に足のついた昭和・平成の庶民史で、読み応えがある好著である。
時代に揉まれたとも言える人生、シベリア収容所や結核療養所など先の見えないときに、何が一番大切だと思ったかとの息子(聞き手)の問いに謙二が答える言葉は重く深い。
必ずしも表の歴史に残ることはなくとも、人は生きていく。そのことの強さを思う。
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1925年からの現実に生きた歴史。祖父から親、姉弟の死、学校と仕事、軍隊、満州、シベリア抑留、民主運動、帰国、仕事の流転と結核療養、高度成長、結婚、事業拡大、引退、戦後補償裁判。
慰安婦もそうだけれど、更に多くの兵士がひどい境遇にあったということを再認識。世の中の状況と切り離せないことだということも。
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とある一人のシベリア抑留者がたどった軌跡から、戦前・戦中・戦後の日本の生活面様が
よみがえる。戦争とは、平和とは、高度成長とは、いったい何だったのか。戦争体験は人
々をどのように変えたのか。著者が自らの父・謙二(一九二五‐)の人生を通して、「生
きられた二〇世紀の歴史」を描き出す。
第1章 入営まで;
北海道から移住。高円寺で天ぷら屋を開く。戦争で材料がなくなり閉店。兄弟が結核で死んでいく。早実に進み。卒業が早められ軍需工場富士通信機に勤務。会社員となる。月給は全て家にいれる。徴兵され出兵。初めての空襲直後だったので送別会なし。たった一人の生き残りである息子をとられ祖父が号泣。中学卒なので幹部候補生試験を受けたが不合格。満州に送られ終戦。シベリアにおくられた。
第2章 収容所へ;
第3章 シベリア;
第4章 民主運動;
第5章 流転生活;
会社は闇市がらみ。一時はいいが、すぐおかしくなる
早実卒、富士通信機経理勤務のため、みてられない
第6章 結核療養所;
4年間の闘病。肺を半分切るが治らず。
以後、現在まで、重労働は無理
第7章 高度成長;
立川スポーツ株式会社
前の会社が不当たりを出す際に迷惑がかからないように
対応。銀行から信頼されていたので出資してもらった
三ツ藤に一戸建てを建てるが、連れ子の義理の息子が
事故死。マンションに引っ越す。妻は教育者の家だった
ので息子の教育はしっかりしていた
第8章 戦争の記憶;
戦争の話はしない。愛国を書く時に初めて父をヒアリング。シベリアで死別した若者の親戚を会ったのがきっかけで戦後裁判の原告側に加わるようになった
小野田さんの時は、妄想につきあわされた部下の死に憤りを感じていた
第9章 戦後
裁判が負けた。国籍と戦争は違う。ドイツは国籍に関わらず軍人補償はしていた
日本は記念品(謝罪でなない)+10万円
シベリアで知り合った中国系捕虜、英語ができるのですぐに特務のため、いなくなった男に半分わたした
これがきっかけで裁判がはじまった
補償裁判
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戦争の様子を、戦時だけでなくその前後、現代に致までひとりの目を通して語られる自伝。当時の生活がありありと描かれており、重要な資料だと思う。普段、読書しながら気になるところは書き留めて置くのだが、箇所が今までに無く多く、色々な学びが有ったと感じる。
【学び】
戦前は親が「日雇い」「月給取り」かで生活様式が大分違った。
シベリアでの話。空腹時は、配給の雑炊を公平かで争い。
最初の冬は飢えと寒さとの闘い
二年目は共産主義思想に基づきお互いを凶弾
その中でも、人間的な扱いをしてくれる点ではソ連軍は日本軍よりまし
移動を頻繁にすると収容されている人達は団結出来ない。これは管理の常套手段
日本は殴れば終わりだが、反動にされると日本に帰れなくなるかもと精神的な苦痛があり、その方がきつかった。
農民や労働者出身の若くて素直な人が、自分の境遇を解き明かしてくれるものとして、マルクス主義をそのまま取り入れた。
アクチブになると労働免除、食料も左右、それからいじめが好きなもの。ソ連の働きかけがあったことは事実だが、日本人捕虜が過剰反応した部分も大きかった
実際に帰国が始まると反動の人も帰れると分かったが。疑心暗鬼でどうにも
帰国後(一緒に暮らした人、兄弟にもあえず)、「出てきたのは、ごく普通の食事だった。これにも失望した。夢にまでみた帰国がこんなものかと思った。」
天皇は自ら責任をとるべきだ、の意見も生々しい
シベリア帰りだった為に警察に監視されていたて例も少なくない
日本の社会という物は、一度ならず外れてしまうと、ずっと外れっぱなしになってしまう
2012年非正規雇用の人達がどんなに頑張っても駄目な世の中になっている、希望が持てない。使う側のモラルが無くなった。若い人がかわいそうだ。との感想を残している。
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「五色の虹」「模範郷」と立て続けに個人的な話の本を読んで来ました。どれも興味深い本でした。この本は、戦中に特別な地位や役割があった者ではない、表現の能力に長けている作家でもない、著者の父親の戦中・戦後の話の聞き取りという点で個性のある本でした。戦後、著者の父親が戦中のことが書かれた本を読むものの個人的な体験を語る本には違和感を覚えることが多い様子が伺えました。だれが、どんな立場で、どこで、どのように、なにを思って敗戦を迎えたかは千差万別で、歴史の上で、ひとつの出来事でもひとつの思いでもあり得なかった。このような本は脈々と繋がる現在を考えるときに無視出来ない内容であると思いました。
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戦争から「生きて帰ってきた男」の話だと思って読んだのだけれど、そうではなかった。
「男」は社会学者である著者の父親。大戦末期に招集され、満州に送られるが戦闘はせずに終戦を迎え、そのままソ連軍の捕虜になって、収容所に送られた。戦争から「生きて帰ってきた」というよりはソ連の収容所から「生きて帰ってきた」というべきだし、あるいは帰国してから結核になって収容された療養所や、退所してからの職を転々とする食うや食わずの生活から、「生きて帰ってきた」というべきだろう。戦後の話のほうがずっと長いし。
戦争を知ろうと思って読むと目論見が外れる。そういう経験をした一人の男の人生をたどる旅。
人は歴史の断面を経験するに過ぎない。それは歴史というより個人的な経験に過ぎないし、ひとそれぞれ、千差万別なのは当たり前だ。
だが、逆を言えばある時代を生きた人の千差万別の経験は、いずれもその時代の流れに無関係ではありえない。
わずかな期間ながら日本兵であり、ソ連の収容所に収容された経験のあるただの「男」が、戦後を通して政治に冷ややかな視線を送り、無駄と知りつつ元日本兵だった朝鮮人の訴訟に協力する、ぼくはそちらの心情に興味がある。本題ではないらしく、あまり書いてなかったけれど。