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投稿者:くまる - この投稿者のレビュー一覧を見る
自分の父親へのインタビューを重ねて書かれた本ですが、距離感が上手く保たれています。
過酷な環境で生き延びるために、自らの感情や良心に振り回されることなく淡々と日々の生活を重ねていく様子が印象的。
それは、感情や良心をなくしたことではありません。
後の生き方を知れば、そのことがよくわかります。
多くの日本人がこのようにしてあの戦争をやり過ごし、そして戦後の日本を復興させたのでしょうね。
紙の本
なぜ面白いのか考えてみる
2016/02/10 09:50
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投稿者:カツ丼 - この投稿者のレビュー一覧を見る
学者の父だから面白いのか、日本兵だったから面白いのか。話し手の記憶が構築されているから面白いのか、聴き手が巧みだから面白いのか。恐らくはその両方がかみ合った一冊。記録を残さない(訴訟のくだりでは残すことにこだわるが)一人の人間の生き様を現したものとして、その目を通じた時代の在り方を示すものとして、それを引き受ける後続世代として。一つの大河をなしつつあらゆる読み方が可能になる一冊。
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2015年8月1日、図書館から借り出し。8月16日読了。実質2日間で読み切った。小熊氏の日本語は読みやすいので、頭に入りやすくて助かる。内容的には、父謙二氏の個人史に、当時の生活史と客観的な社会情勢を加えた、新しいタイプのオーラル・ヒストリーといえる。私を含めて敗戦後第一世代が怠ってきた戦争体験を次代に伝えるという作業を、この新書本一冊で果たしている。しかも高学歴中産階級の手による戦争経験が多かったのに対し、これは都市下層階級の、むしろ平凡な市民の個人史を中軸に据えているところが、内容的な迫力を増している気がする。右傾化が進みこの国では、この本が大々的に読まれることは期待しがたいが、着々と戦争準備が進むいま、歴史修正主義に疑問を感じている若い人たちに読んでもらいたい好著。
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あとがきにあるように「戦争体験だけでなく、戦前および戦後の生活史を描いた」ことと「社会科学的な視点の導入」が斬新であり、素晴らしい作品に仕上がっています。筆者が驚いたように、本書の対象である筆者の父の持つ観察力と客観性が、新進の現代史家林氏との共同の聞き取りにより巧く引き出されています。私の亡父は戦争体験はありませんでしたが、幼少時に父を亡くし母子二人で戦中戦後を生き抜いてきました。父からその頃の苦労談を聞いたことはありません。今から想えば残念であります。小熊氏の父を敬っていることが感じられました。
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400ページ近くある。
急がずゆっくり読んだ。
それにしても・・・・、相変わらず「ひどい国・・日本」だな。
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著者の父親のライフヒストリー。この人の歩んできた人生が語られることで、当時の時代が浮き上がってくる。佳作。
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シベリア抑留者の戦前から戦後に至るまでの生活を描写した一冊。戦争がいかに無益で人々の生活を破壊してきたか、一人の人生を通して見えてくる。戦争法案を成立させようとしている自民党のお歴々に是非読んでもらい、本書の感想を聞きたい。
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読む前は一時期話題となったフィリピンの密林から帰ってきた日本兵の話と思っていたが、本書はシベリア抑留から帰還した方の話だった。
私の母方の祖父もシベリア抑留からの生還者であったが、今まで全く知らずに生きてきた。本書を通じてその経験者の生の体験を知ることができ、その過酷さや当時の背景を知ることができた。特に終戦時に関東軍が労務の提供を申し出ていたというのは驚愕したし、憤りを感じた。
また、帰還後の生活にも多くの紙数を割いており、あまり知ることの無い庶民の戦後の生活を知ることができる。韓国人や台湾人なども強制的に日本兵として動員していたという事実も重い。昨今の軽々と在日排斥を叫ぶ人達はどのくらいこの事実を知っているのだろう。
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☆5つ評価だが、7つでも8つでもつけたい、すぐれた個人史でもあり、戦前から戦後の日本史、および東アジア史でもある。
社会学者として著名な著者の実父の戦時体験を、その親の生まれからていねいに辿っていったもの。個人の伝記を超えた生々しさがある。著者が当時の社会状況などを丹念に調べた成果が活かされている。
母を失い父と別れ、祖父母のもとで育てられた青年は、きょうだいを続々と失いながらも旧制中学を卒業、富士通に就職するが、やがて終戦直前になって召集が下る。戦争の悲劇のみならず昭和の家族の物語でもある。
満州へ派遣、シベリアに抑留され、原始時代のような苛酷な労働を負わされる。やがて帰国するも、大企業の蜀を失い、療養所送りに。粗末な医療のせいで片肺を失いながらも、極貧の生活でのうちに、妻を得て家庭を築き、高度経済成長の波にのって、事業家になるが…。
実父だからといって、けっして英雄的に脚色して仕立て上げたオーラルヒストリーではない。最終章の戦後補償裁判は、従軍慰安婦や元日本兵の外国人へ補償がされない問題について切り込んでいる。
安倍談話の「いつまでも日本がアジア(というか韓国、中国だろうが)から戦後補償させられてはいけない」という宣言に支持率があがったらしいが、この本を読むと、「戦争被害は日本国民がすべて受忍せねばならない」という行政、立法、そして司法判断からも、日本がまだまだ戦後から抜け出ていないことを思わせる。
もし日本人が米国に占領され、強制的に米国籍にされ、米国の起こす戦争に駆り出され、そして戦後になって「米国人ではないから」という理由で、米国人のみに与えられる戦後補償を受けられなかったとしたら? 戦争に従軍慰安婦は必要だ、と訴える安保反対派の大人たち。彼らは自分の母親や姉妹、そして恋人や奥さんに同じことが言えるのか?
この本は表立って、日本の現在の政治思想に関わっているわけではない。ただ、ひとりの良心的かつ平凡な、しかし、あまりに語るには凄絶な日本人の生き様を辿ったものである。その記述から、われわれ、後から歴史を追いかける者が汲み取る要素はいくらでもある。
この本を上梓してくれた著者と、その父に感謝したい。
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戦前戦後にかけてきた著者の父の人生を日本社会全体の変化も踏まえながら書いた力作。なかなか文字には残らない一般庶民の生活の1部が垣間見えると同時に、やはり歴史というものは個人が生きた人生の積み重ねなのだなと実感させられた。自分のあるいは自分の家族の人生というものを文字に起こしておくのも自分自身の考え方の整理そしてもしかしたら後世の人にとっても有用かもしれないなと感じた。
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良書である。読み進むうちに、今までの歴史書にはない発見の喜び、語り手や著者への驚き、そして尊敬がひしひしと湧いてくる。
語り手は著者の父上、小熊謙二さん(現在89歳)。北海道に生まれ、子どものころは戦前の東京下町で育ち、終戦間際の満州に駆り出されてシベリア捕虜として3年を過ごす。戦後、職を文字通り転々として極貧生活を過ごし、朝日茂と同時期に結核療養所で5年を過ごす。片肺になって出所後に東京で貧乏生活をするも、経済成長の波に上手く乗ってスポーツ店の社長として安定した生活を得る。90年代から2000年代にかけては、ボランティアで環境を守る会や、元兵士のとしての平和活動に参加する。また、シベリア外国人捕虜の補償を求める裁判を支援した。
と、書けば何か特別な一生のように思えるが、要は普通の「都市下層の商業者」の一生であるに過ぎない。そういう人の、詳しく、時代との関連を明らかにした記録は、しかし珍しいだろう。私には新鮮な記述が幾つも幾つもあった。
戦前下町の地方からやって来てあっという間に、生活必需品が間に合う下町が出来る事情と店の経営者の記録。庶民の戦争の受け止め方。シベリア抑留の実態。戦後の生活。「共産主義は嫌いだが、戦争や再軍備はまっぴらだ」という信条。60年安保時の心情賛成派のデモの見方。昭和30年代の住宅事情。高度経済成長の雰囲気。そして、この辺りから私の体験とも合致する所多いのだが、誕生日ケーキやカラーテレビ導入時期、レジャー・娯楽体験、新築の家。
実は謙二さんは去年亡くなった私の伯母の夫、おじさんと境遇がとても似ている。伯父は歳も一歳上。7人兄弟の真ん中で、早くから家を出て様々な職業についた途端に戦争に出て、シベリア抑留。帰って水道管の工員として地道に生活。バツイチの私の伯母と結婚。その後肺気腫を患い、静かな年金生活。晩年は鬱で食事が出来なくなった妻の代わりに家事をこなしていた。しかし、大の共産党嫌いというのは、違っていた。この本にあるようにシベリアは場所によってかなり民主運動や監督官のあり方は違っていたのだろう。私は伯父から何も聞くことができなかった。著者も言っているように、もっと親や親戚から「聴き取り」をするべきだ。そのためにこの本はかなり役立つだろう。
謙二さんの記憶力の確かなことと、その観察力の鋭さには、驚くばかりである。学問的な裏付けがないのに、言っていることは、例えば加藤周一とあまり大差ない。人間を真っ正面から観察していたから出来たことなのかもしれない。これはもう「人間的な能力」と言っていいのだろう。小熊英二さんのルーツをしっかり見させて貰った。
2015年8月13日読了
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戦前に生まれ、戦争を体験し、戦後日本を生き続けている1人の日本人。彼は特に何かを成し遂げたわけではなく、極貧の生活を強いられたわけでもない。平凡な日本人だ。そんなありふれた人間の人生語りが本になるはずはないのだが、息子である著者はそんな父、小熊謙二の人生を明らかにすることで、日本社会の歴史を再現する。
戦争、敗戦、高度成長、民主運動を経た日本の中で、庶民の生活はしょせん庶民。そんな庶民、小熊謙二が考えることは生きることだけ。彼の人生に映画や小説のようなドラマチックなものはなく、東京オリンピックも復興特需も昭和の終わりも関係ない。そして、それが大多数の日本人だったのだろう。
小熊謙二は20歳で軍に招集され、シベリアで捕虜となる。帰国後は肺結核で数年間の療養生活もあり、職や住居を転々とする生活だ。3畳間に妹と同居することもあった底辺の生活の中で、掴んだ一筋の光明がスポーツ用品の販売業。
いくら父とはいえ、なんでもない平凡な男の人生をインタビューにより掘り起こし、それを歴史社会学術本のような、単なる読み物のような不思議な1冊にまとめた著者のセンスに感動。庶民、小熊謙二が生きた各時代の空気感が伝わってくる。
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社会学者の小熊英二氏が、自身の父親である謙二氏の生い立ちから現在までを描いた作品。
謙二氏は1925年に北海道で出生、母親の死をきっかけに東京の祖父母に引き取られ、太平洋戦争ではシベリア抑留を経験し、帰国後は結核を患い5年間の療養所生活、幾度かの転職を経てスポーツ用品販売店を起業、引退後は市民運動に積極的に参加するなどなど。
たまたま息子の英二氏が執筆活動をしていたために、普段は知る由もない一般市民の人生を垣間見る事が出来た。一見すると波乱万丈の人生にも見えるが、もしかするとこの世代の戦争経験者の方にとっては、珍しくない生き方なのかもしれない。
旅先などで車窓から見える街並みには、きっとたくさんの知らない人達が暮らしていて、おそらく自分とは一生涯すれ違うことも無いのだが、そんな一人ひとりにも必ず人生のドラマがあるのだと思う。本書はまさしく、そんな一人に焦点を当てた作品であった。
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「戦争の記憶を経験者から聴く」必要性がずいぶん語られるが、この本は、著者自身の父・謙二から聴いた戦前・戦中の生活、召集と戦後のシベリア抑留、帰国後の苦労・結核での療養生活、そして高度成長の波で成功するまで。苦しみの人生が詳細に語られ、文章化されている。一人の人生を語りながら、庶民生活の目線を合わせた歴史的な記録、昭和平成の社会史でもある。高揚はなく、淡々とした記述の中に戦争の悲惨さが身近な視線で訴えられている秀作である。この著者の書籍はこれまでもその詳細な調査ぶりに圧倒されてきたが、このヒアリング能力の高さ、賢二氏の記憶の量には驚愕。著者を左翼学者と叩く人は多いが、父親の言葉を通して、著者が左も右も嫌いである!ことが自然と伝わる。著者のルーツを知ることができたことも興味深く、この人が今回監督として制作した映画「首相官邸の前で」(脱原発デモ参加者のインタビューが中心)はぜひ観賞したい。
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小熊さんの本は読んだことがないが、ずっと気にはなる人である。本書もだから多くの書評がでる前に買っておいた。本書の「生きて帰ってきた男」というのは小熊さんの実の父親のことである。本書はその父親のシベリア抑留を含む戦前戦後の個人史、オーラルヒストリーを、政治史、社会史、そしてシベリア抑留の記録等々をはさみながら描いたもので、「平凡な」庶民が戦前戦後をどう生きていたかの貴重な記録となっている。小熊英二さんの父親謙二さんの記録である本書をぼくは自分が小さかったころの社会と重ねながら読んだ。謙二さんは北海道で生まれ、小学校へ上がるころ東京の祖父母の家に出される。これは謙二の母が結核で早く死に、父親の雄次には子どもの面倒を見る余裕がなかったからである。その後、謙二は次兄のすすめもあって中学である早稲田実業に進学する。この多少の学歴がその後の人生で役立っている。その後謙二は兵隊に取られたあとすぐ満州へ送られ、敗戦とともにシベリアに送られ、そこで3年を過ごす。シベリア抑留と言えば過酷なものと語られることが多いが、日本人の死者は60万の1割の6万。ドイツの捕虜になったソビエト兵は6割が死に、日本の捕虜になった米英捕虜の死は約3割弱だそうだ。生死の境は、精神力とかそういうものではなく、謙二の送られた部隊が混成部隊で上下の差がほとんどなかったこと、ソ連の待遇改善が早く及んだ収容所であったことが関係していると言う。収容所長次第で待遇が違ったということも読んだことがある。ある意味偶然が支配したのである。抑留時代での民主化運動、アクティブの活動は他の抑留記にも出てくるが、謙二はこうしたものに対しても淡々と語っている。もちろん、戦争に対しては怒りをもっていて、戦後東条が自殺未遂をしたことは馬鹿にしているし、天皇が訴追されなかったことには不満を抱いている。帰国後謙二は当時父がいた新潟にもどるが、その日にでた食事はあまりにふつうのものだったというのが印象深い。その後謙二は仕事を転々とし、引っ越しも何度となくするが、まったく失業状態とか住む家がなかった時はなかったそうだ。家はたいていだれか親戚の家をたよったりしていた。これはぼくの家でもそうで、ぼくが小さい頃は田舎の親戚がたよって出てきて、狭い家に同居したものだ。当時の人々はそういう生活を当たり前としていたのである。謙二は帰国後、25歳から30歳という青春を結核病患者として隔離されてすごす。その時受けた手術もすごいもので、骨を切り取っているから身障者の認定もうけている。結婚後、妻は謙二が風呂から出てくるのを見てぞっとするほどだったという。ぼくの小学校の恩師もそんなことを言っていた。あと少しすれば薬で治せたものを。結核が治癒し謙二は社会に復帰する。苦労はしたが、のちあるスポーツ商に就職することで、生活が上向いてくる。それは日本の高度成長期にうまく乗れたからであった。その後、謙二は子持ちの女性と結婚し、そして生まれるのが英二であるが、このあたり英二さんは淡々と描いている。謙二は最初公営住宅に住んでいたが、のちそこからでて持ち家を建てる。これもぼくの小さいころと重なる。ぼくが住んでいた公営住宅で��、お金を貯めた人たちは少しずつ家を建てて出て行ったからだ。新しく建てた家は上の生活を目指す奥さんのプランになるもので、謙二にはちょっと違和感があったように見える。その後、謙二は友人と自分の会社を持ち、定年後も仕事に少しかかわりながら地域の運動などに関わる。晩年には、日本人にされた朝鮮人の戦後補償にかかわるようになるが、ここはちょっと異質なような気がした。謙二もやむにやまれず加わっただけで、大きな政治運動をしようという気はなかったようだ。長々と書いてきたが、ぼくにとって面白かったのは、やはり戦後の庶民の生活誌である。400ページ近い本だから、読めるかと心配しながら読み始めたが途中からやめられなくなった。小熊さんの他の本も厚いがきっとすらすら読めるような気がしてきた。