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今(令和5年)から8年程前に書かれた本で、状況が変わっている点もありますが、同僚からこの本を紹介されたので読みました。私が以前に勤務していた会社の歴史について、知らなかった事もあり興味深く読ませてもらいました。
この8年間で起きた一番大きな変化は、将来の車は、日本が苦労して開発したハイブリッド車ではなく、電気自動車になりそうな雰囲気にあることです。100年前に一時は殆どのシェアを占めていた電気自動車は、バッテリーの寿命の短さが克服できずに、ガソリン車に駆逐されましたが、今回はどうなるのでしょうか、自動運転との絡みもあって目が離せないですね。
以下は気になったポイントです。
・石油、天然ガスをめぐる世界市場では1)メジャーズ、2)産油国国策石油企業、3)非産油国・石油輸入国国策石油企業という3つのタイプのプレイヤーが重要な役割を示しているが、日本には世界トップクラスのナショナル・フラッグ・オイルカンパニーは存在しない(p38)その理由として、1)上流部門と下流部門が分断されている、2)石油企業の過多性と過小性がある(p42)
・日本の石油産業をめぐる最大の不思議は、上流部門で儲ける、という世界の石油産業の常識が通用しないこと。我が国では、探鉱・採掘という上流部門はリスクが大きい、政府の支援が必要な分野と理解されている。しかし欧米のメジャーズは通常は利益の大半を上流部門から得ている(p40)
・日本は消費地精製主義であり、これは敗戦直後に我が国の石油産業が外資提携を通じて上流部門をメジャーズ系に大きく依存することになった、これは戦前から日本ではメジャーズ系の活動が極めて活発であった(p45)
・スタンヴァックは1949年2月に東亜燃料工業と、シェル石油は1951年6月に昭和石油と資本提携契約を締結した、シェル石油は1985年1月に昭和石油と合併して、昭和シェル石油が発足した、スタンヴァックの親会社である、ニュージャージー・スタンダードは1960年11月に1953年以来審理中であった独禁法違反訴訟において事実上の解体となった。1961年に、エッソ・スタンダード石油とモービル石油が日本法人として設立された(p64)
・1946年1月にGHQが打ち出した原油輸入禁止の方針は、太平洋岸製油所の操業禁止と結びついていた、これは輸入原油による消費地精製を認めず、石油製品を輸入すべきというものであった(p89)この石油政策が変わったのは、1)占領政策全体の転換(東西対立の激化により日本をアジアにおける反共防波堤とする)、2)石油をめぐる国債情勢の変化(中東原油の増産によりメジャー各社が大量の原油を抱えるようになった)による、1946年12月が起点となり徐々に進行した(p91、92)
・1949年4月の時点で、スタンヴァック・シェルジャパン・カルテックスジャパン・日本石油・出光興産・昭和石油・三菱石油・ゼネラル物産・日本漁網船具・日本鉱業が元売業者に指定、そして8月には丸善石油・興亜石油・大協石油が元売業者として追加登録された(p93)スタンヴァックは、1949年2月に東亜燃料工業と資本提携し、これは外資提携の���陣を切るものであった(p95)
・メジャーズと日本石油精製業者との提携は、石油精製設備は有するが、原油供給力と製品販売網を持たない東燃と、その逆のスタンヴァックの相互補完となった(p97)
・1949年の東燃におけるスタンヴァックの資本比率は51%であったが、1960年東燃石油化学設立直前には55%まで上昇していた、それを中原延平は50%に引き下げることに成功した、外資の出資が50%を超す石油会社には石油化学への進出を認めないという通産省の方針があった(p111)
・アラムコ格差とは、1978年12月から1981年10月まで価格統一するまで続いた、割安なサウジ系原油の供給にあずかれる会社とそうでない会社において、原油コストに大きな差が生じた、この格差により東燃が相対的高収益を得ることができた(p118)
・出光興産は外資と提携せずに石油製品の輸入を重視する方針となった(p122)出光興産の元売業者指定に関しては、それに反発した開店以来の親会社(日本石油)が従来の関係を断つ事態も発生した(p142)
・特石法廃止(1996年3月)により石油製品輸入が自由化されて、国際価格体系へ移行した、これにより異業種からのSS事業の新規参入(商社、全農など)が活発化した(p169)競争激化により、元売会社の集約・合併、1996年にはカルテックスが日本石油との資本提携の解消、1984年には三菱石油から外資撤退した(p171)
・2005年の石油公団の解散に伴い、同公団が保有していた資産は、INPEX、JAPEX、JOGMEC(石油天然ガス・金属鉱物資源機構、2005年発足)に引き継がれた(p176)
・2008年に生じた日本の石油業界のあり方を変えるような大きな出来事として、1)2008年12月に発表の、新日本石油と新日鉱ホールディングスによる経営統合(2010年4月)、2)2008年4月に、出光興産・三井化学・クウェート国際石油・ペトロベトナムの合弁会社(二ソン・リファイナリー・ペトロケミカル)がある(p181)
・一次エネルギー構成に占める石油のウェートが発電電力量の電源別構成比における石油火力発電のシェアほどに減らなかったという事実は、我が国において石油のノーブルユース(石油の特性を活かして付加価値を高める用途に使う=化学原料としての利用)が高まったことを意味する(p193)
2023年5月10日読了
2023年5月13日作成