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村上春樹による小説論(小説家論?)です。
本人が言うように語り口調で書かれているで大変読みやすかったです(まぁ小説も大抵読みやすいのですけれど)。
この人は思慮深いし、また人を攻撃するような性格じゃないところが俺は好きなんだと確認しました。
あと、敬愛してる土田世紀と同じことを言ってたのにも共感がもてました。
「何もないってことを書く」
と。
そして表紙がやっぱりイカしますな。
アラーキーとは対談しなかったのかなぁ…
結論としてはお薦めの本です。
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第三回
文学賞に対する距離の取り方がおもしろい。とってない人が言うと負け惜しみになるところを最大限に正当化できる文章に素直に感動した。
第四回
オリジナリティーをさまざまな芸術のジャンルで考えていて個人的に大変興味深かった。私の好きな音楽ではしばしば「~っぽい」といった印象が出てくるが、それはオリジナリティーである難しさを表すと同時に本書で書かれていた時間の経過によって古典となりつつある一例なのかも。人々のサイキに取り込まれるって目には見えないけど信じてみたいなぁ。
第五回
小説の書き方。世代間に優劣や上下がないからこそ、朝井リョウさんの『何者』は直木賞をとれたのかな。無理な経験は必要ないってのは脚本家の尾崎将也さんも言ってたなぁ。そして記憶の自然淘汰。うーん、おもしろい。
全体を通して村上春樹さんがいかに人格者であるかが窺われた。これからも人生に迷ったときにはこの本に助けてもらおうと思う。
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独特の文体が、どのようにできるのか。
優しく語りかけるような、自伝的エッセイ。
ハルキストでもないし。
たくさん読んでる訳でもないけれど。
ココロに留めておきたい言葉にあふれ、
付箋がいっぱい。
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素早く結論を出すことではなく、マテリアルをできるだけありのままに受け入れ、貯蓄すること。
まずは、自分の解釈を加えずに受け入れること(受け止める、というと既に自己意思が入ってる気がするから、ここはやっぱり受け止める、なんだなと)は、とても難しい気がする。だから心掛けていくことが大切なんだと実感。
まずは、うんうん、という事。
なるほど、ふむふむ、と聞く事。
自分の実感を何より信じる。
実感にまさる基準はどこにもない。
意志をできるだけ強固なものにしておくこと。同時に、意志の本拠地である身体もできるだけ健康に、頑丈に、支障のない状態に整備し保っておくこと。
本を読むということは
視野がある程度ナチュラルに相対化されていくこと。
様々な風景や意見や言葉を自分の身体に通過させることによって、自分の視点が多かれ少なかれ複合的になっていく。
つまり、今自分が立っている地点から世界を眺めるというだけでなく、少し離れたよその地点から、世界を眺めている自分自身の姿をも客観的に眺めることができるようになる
本はカスタムメイドの学校
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本の表紙が白黒のポートレイトというのが何よりも驚いた。
(それにしても、アラーキーのかっこいい写真)
顔出しNGとあれほど言っていたのに、こんなご時世になってしまったのだから今更NGとかきれいごと言ってられないヤケクソの覚悟みたいなものでしょうか。
いやしくも腕時計を凝視してしまったが、ピントが浅いので判別できず。
肝心の内容は目新しさこそないものの、一つ一つのテーマをよりわかりやすく時間をかけて語ってくれている印象。
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小説家という職種は(少なくともその大半は)どちらかといえば後者の、つまり、こう言ってはなんですが、頭のあまりよくない男の側に属しています。実際に自分の足を使って頭上まで登ってみなければ、富士山がどんなものか理解できないタイプです。というか、それどころか、何度登ってみてもまだよくわからない、あるいは登れば登るほどますますわからなくなっていく、というのが小説家のネイチャーなのかもしれません。そうなるとこれはもう「効率以前」の問題ですね。どう転んでも、頭の切れる人にはできそうにないことです。(pp.24-5)
ポーランドの詩人ズビグニェフ・ヘルベルトは言っています。「源泉にたどり着くには流れに逆らって泳がなければならない。流れに乗って下っていくのはゴミだけだ」と。なかなか勇気づけられる言葉ですね(ロバート・ハリス『アフォリズム』サンタチュアリ出版より)。(p.95)
これはあくまで僕の個人的な意見ですが、もしあなたが何かを自由に表現したいと望んでいるなら、「自分が何を求めているか?」というよりはむしろ「何かを求めていない自分とはそもそもどんなものか?」ということを、そのような姿を、頭の中でヴィジュアライズしてみるといいかもしれません。「自分が何を求めているか?」という問題を正面からまっすぐ追求していくと、話は避けがたく重くなります。そして多くの場合、話が重くなればなるほど自由さは遠のき、フットワークが鈍くなります。フットワークが鈍くなれば、文章はその勢いを失っていきます。勢いのない文章は人を―あるいは自分自身をも―惹きつけることができません。(p.102)
情報収集から結論提出までの時間がどんどん短縮され、誰もがニュース・コメンテーターか評論家みたいになってしまったら、世の中はぎすぎすした、ゆとりのないものになってしまいます。あるいはとても危ういものになってしまいます。よくアンケートなんかで「どちらともいえない」という項目がありますが、僕としてはむしろ「今のところどちらともいえない」という項目があるといいなと、いつも思ってしまいます。
まあ世の中は世の中として、とにかく小説家を志す人のやるべきは、素早く結論を取り出すことではなく、マテリアルをできるだけありのままに受け入れ、蓄積することであると僕は考えます。そういう原材料をたくさん貯め込める「余地」を自分の中にこしらえておくことです。(pp.113-4)
時間を自分の味方につけるには、ある程度自分の意志で時間をコントロールできるようにならなくてはならない、というのが僕の持論です。時間にコントロールされっぱなしではいけないそれではやはり受け身になってしまいます。「時間と潮は人を待たない」ということわざがありますが、向こうに待つつもりがないのなら、その事実をしっかり踏まえた上で、こちらのスケジュールを積極的に、意図的に設定していくしかありません。つまり受け身になるのではなく、こちらから積極的に仕掛けていくわけです。(p.158)
どんな時代にあっても、どんな世の中にあっても、想像力というものは大事な意味を持ちます。
想像力の対極にあるもののひとつが「効率」���す。数万人に及ぶ福島の人々を故郷の地から追い立てたのも、元を正せばその「効率」です。(p.212)
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小説家としての今の考えを色々なテーマで語ったものです。タイトルにもあるように職業小説家の本分のようなものを真摯な文章で綴られています。特にオリジナリティーや文学賞についてのテーマは面白かったです。
初版10万部のうち9万部を紀伊国屋が買い取りアマゾン等のネット販売に対抗したことで話題にもなった著書です。
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自伝的エッセイ。芥川賞や文壇の話など、ここでまとめて記録に残しておこう、といったような箇所は多少くどく感じる。でもどんな風に小説を書いてきたのかという歴史が面白い。覚悟を感じる。
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私は村上春樹さんの熱狂的なファン、いわゆるところの「ハルキスト」ではありませんが、彼の重要な著作は全て読んでいます。
本書は、村上春樹さんが小説家としての自分自身と、どのように小説を書くのかを綴った自伝的エッセー集。
実に、実に、実に面白かったです。
平易な言葉でどうしたらあのようにまるで音楽のような文章を紡ぎ、独自の(全く独自の)小説世界を立ち上げることができるのだろう。
恐らく村上作品を読んだほとんどの人が抱く疑問の大半が氷解するでしょう。
本書で村上さんは云います。
「僕は思うのですが、小説を書くというのは、あまり頭の切れる人に向いた作業ではないようです」
と。
私は、ああ、やっぱり、そうなんだ、と思いました。
私は下手くそな小説を書いて人生の大事な時間を浪費していますが、自分がもっと頭が良くて何につけ論理的に物事を説明することが出来れば手短に済むのにと思うことがしばしばあります。
小説という表現形態は実にまどろっこしいものです。
村上さんはそのあたりを端的に「基本的にはずいぶん『鈍臭い』作業」と書いてます。
本当に頭のいい人なら、やりませんよね。
村上さんが初めて小説を書いたエピソードも興味深いものでした。
村上さんは大卒後、喫茶店を経営して生計を立てていたのはよく知られていることだと思います。
その頃、神宮球場で広島対ヤクルトの試合を観戦したのだそう。
1回の裏に高橋(里)が第1球を投げると、ヒルトンはそれをレフトに弾き返して二塁打にしました。
ぱらぱらぱらとまばらな拍手が起こったその時、村上さんは「そうだ、僕にも小説が書けるかもしれない」と思ったのだそうです。
天啓というやつでしょうか。
それで何か月かかけて書いたのが「風の歌を聴け」。
ただ、そうして書き上げたものの、どうも出来栄えが感心しない。
村上さんはそこでどうしたかというと、いったん英語で書いた自分の文章を日本語に翻訳するというかなり迂回した経路をたどって書き直すという作業に当たりました。
そうして完成したのが現在の「風の歌を聴け」、群像新人賞を獲得したデビュー作です。
村上さんの今の文体の原型はこのように出来たのですね。
もっとも、村上さんはこのせいで「おまえの文章は翻訳調だ」などと、現在も続く批判にさらされることになります。
思えば、村上さんはデビューからこっち、ずっと文壇(と呼ばれるものがあるかどうか分かりませんが、まあ、守旧派ですね)から批判を受けてきました。
ただ、村上さんでなければ満足しないファンを着実に獲得していった。
このあたりの村上さん自身の思いもまた実に興味深いものでした。
小説家志望者にとって大いに参考になる書ですが、人生指南の書としても読むことが出来ます。
春樹ファンなら必読でしょう。
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著者の職業観や小説とは何かを巡る自伝的エッセイ集、氏のストイックな職業観はとても心を揺さぶるものがあります。もし小説家にならないでジャズバーピーターキャットのマスターのままであったとしたら、とびっきり美味しいビールを注いでくれそうです。それにしても、小説の書き方がなんとも地味な推敲作業の繰り返しであったことには驚きですが、良い仕事とはそんな地味な作業の繰り返しなんだと思うと、つい2ヶ月程前地味にデバッグしていた自分に重ねて少し安心しました。
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特に販路をアメリカに向けた部分、それに対する挑戦の日々についての記載は、グローバル社会を生きなければならない我々にとって参考となるだろう。
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村上春樹さんの2015年の新刊エッセイ。
書かれている内容は、既刊のエッセイに書かれていることと重なる部分も多かった気がするが、2015年現在の春樹さんの考えなども加わり、補足説明、あるいは、より深く説明している。
エッセイとはいえ、書名通りかなり、「職業としての小説家」について、書かれている。全12章と「あとがき」からなるが、その構成の仕方もうなるものがある。
個人的には、「文学賞について」「学校について」「誰のために書くのか?」「海外へ出て行く、新しいフロンティア」がお気に入り。
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村上春樹が小説を書くこととか、小説家について書いたエッセイ連載+書き下ろしをまとめた本。
芥川賞などの文学賞について書いているところとか、かなり面白い。どんなに言ってもそのままは受け止めてもらえないんだろうなあと思いつつでもこうなんだ、って言ってるところか、それでもそのままじゃ受け止められないんだろうなあと思うと・・・うーん。
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2016.6月
村上さんのエッセイ。小説もいいけれどエッセイもいい。小説について、小説家という職業について、本音で正直にまじめに書いてくれているのがとてもとてもよくわかる。小説家としての村上春樹の考えや思いをこのエッセイで知ったことで、今後ますます物語を読むのがおもしろくなりそうだ。期待以上。手元に置いておきたい本。村上さんもそうだけど、自分をよく見せようとせず、自分に正直で、でも強い芯を持った人が、私は好きみたいだ。
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本の表紙に自分の写真をでかでかと載せるのが、自分が抱いていた著者へのイメージからはありえないなと感じた。
村上春樹が小説を書く上で、常に新しい試みを行ってきて自分の技量を向上させ続けていることがわかる。
結構簡単に語っているけど、これを30年以上続けるのは並みじゃない。最初の一冊はのびのび書ける。それがたとえ世間から高い評価を受けることになっても、それだけではいけない。
長きにわたって作品を出し続けることができることが、職業的に作家といえる。その点で村上春樹はやはり非凡な才能があるのだと思う。
今後の作品が待ち遠しい。