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東京に行くため仙台駅の中の本屋で、読みかけの本含め2冊がリュックの中に入っていたにも関わらず衝動買いしてしまった。
サラリーマンという生き方やバブル期以降の企業の変遷について考えさせられる本でした。
なぜこれを手に取ったのか。
読み終えて敢えて理由を付けるとしたら、3つある。
①サラリーマンの生き方の尊さに対する憧れ
いわゆる大企業のサラリーマンになりきれなかった人間として、サラリーマンとしての人生の送り方にある種の憧れや尊敬の念を抱いている。会社に対する誇りや家庭や上司や大切な人を守り支えようと、時に自分を殺し会社に忠義を尽くす姿勢である。
私の人生が今こうしてあるのも、両親はじめ、先祖代々のおかげであり、今の日本があるのも、全ての積み重ねである。ひとりひとりのサラリーマンが今の日本を作った功績であると思う。
②筆者が清武元巨人軍オーナーであること
清武元オーナーと読売巨人軍との衝突を経て、何をされているのか、どう生きているのか、何を思っているのかが知りたかったからだ。
メディアというのはニュース性が求められることから一連の流れのほんの一部しか報道されないが、実際は続いていく。
それを知りたいと思うようになったのは理由がある。東日本大震災での経験だ。今もなお、東北においては大変な想いをされている方々が大勢いる。しかしメディアへの露出がないため、社会の関心は向かわない。メディアというものがそういったものであるし、もっといえば人間自体がニュース性を求めるのでメディアを一概に批判しても仕方ない。日の当たらない部分にいてそこに真実があるからこそ知ってほしいし、日が当たらなくなった出来事や人のことを知りたいと思うようになった。日が当たらなくなったところに、真実や価値があることを忘れないようにしたい。そこに想いを馳せる、寄り添う意味があるのだと思う。
③幕引きという役目
東日本大震災が発生し、私は2011年3月28日から宮城県で活動している。一瞬戻った事もあるが、結局、ここにいる。震災が起きて色々なことが起きた。支援で来た外部の人間は色々なものを置いて帰った。たくさんのものも生まれた。良い部分もたくさんあったが、それによって辛い想いをしている人、負担に感じている人もいるのではないか。自らの選択の結果であるという責任論では片付けてはいけないように思う。引き継ぎや現地化という言葉は、思う以上に時間がかかる。私が今もここにいるのは、自分自身の反省であり、最低限けじめが必要だと感じているからだ。ごく一部であるが特に関わった方々が、失ったものは計り知れないしずっと続いていくが、震災後の人生を充実していたと思ってもらえるようにしたい。ひとりひとりの復興とはそういった意味なのだと思う。
震災からまもなく5年。環境やそれぞれの事情に合わせて、変わっていく時期である。何より大切なのはまず自分自身の幸せである。結果論として、しんがりのように使命を果たす事で人生を充実したと言えるのであればよいが、まずはそれぞれの生活を第一にしてほしい。
���初から関わった人間として、最低限のけじめをつけたいと思っている。
http://kunihiro-law.com/files/open/writing/555d7e5511jn4cpn563ju_pdf.pdf
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物事は始めるよりも終わらせる方が難しい。日本人はそれを太平洋戦争で学んだ。そして山一の破綻劇でもう一度実感することになるとは誰が想像しただろうか?
野澤社長の涙の会見はいまだ記憶に新しい。しかし彼らはその後、どのように会社を畳んだのか、その陰にどのような人間ドラマがあったのか、当事者以外知る人は皆無であったといっても過言ではない。そしてこの著書を読んで全てを知った時、人が正しく誇りをもって生きる意味を学ぶことになるであろう。
会社の最期を看取るのは、親の介護と同じ。損得で考える子供はこの世に居ない。
しんがりの「最後の人」は、転職先に選んだ製造業を「実業」と呼び、金融業を「虚業」と呼んだ。これら表現は、単なる対義語としての使い分け以上に重みのある何かを我々に伝えようとしている。
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久しぶりに小説を読みながら泣きそうになった。小説「しんがり」。山一證券の倒産劇。役員なのに責任逃れをする輩たちへの憤りや、しんがりを務めた人々の社会・社員からの憤怒に敢然と立ち向かった姿に涙を感じる。
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山一證券の自主破綻についてのノンフィクション。
大変お恥ずかしい話ですが、この作品に出会うまで興味もなければ、この自主破綻についてほとんど知りませんでした。当時は世の中について本当に無関心というか、別のことに夢中になっている学生でした。
実際に働いていた社員の方々と同じ目線で書かれている作品のため、当時の実情が良く分かるように感じました。
「しんがり」というタイトルですが、負け戦の最後尾の隊員たちではなく、最初から最後まで、隊の中心であきらめずに隊員のために働いたという重要な役割であったと思いました。
このように最後まで隊のために尽くすことは自分には無理だなと思いました。隊の一員という帰属意識が薄いのかもしれません。責任を負わされているというように感じ取ってしまうのも理由のひとつかもしれないです。同じような事件が山一證券の後もあったと思います。他の事件のとき、その当事者はどうだったのでしょうか。
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TV化されて話題になっていたので読んでみたが、思ったほどではなかった。廃業した会社の清算業務として原因究明を行ったしんがりの社員の方々には頭が下がるが、ストーリーとして興味が持てるかというと少々疑問。TVでみると面白いかも。
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結局よくわからないまま終わってしまって…作家さんには大変申し訳ない気持ちです。
山一証券の破たんをリアルタイムで知った時に、自分はいったい何をしていたのか、その陰で「しんがり」を務めた社員たちがどんな時間を過ごしていたのか、本を書店で見た時に知っておかないといけない気がして手に取りました。
でも、登場人物が絶えず入れ替わり、時間も絶えず前後して、正直訳が分からなくて、「しんがり」を務めた人たちが最後には恨み言も言わずに第二第三の人生をただ前を向いて歩んでいらっしゃることだけが伝わってきました。
作家さん、ごめんなさい。
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中学生時分の私には山一証券の破綻は「突然」のことであり、その意味すらわからなかった。本書を読んで、それは「突然」ではなく「必然」であったことを知る。
「しんがり」の面々から見て取れることは我が国におけるコンプライアンスの「萌芽」だ。
組織の中で生きる人間にとって拘るべきことは何なのか、改めて思い知ることができた。
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熱い男たちの物語。フィクションであるため、悪の部分についてはそこまで言及できなかったのであろうが、山一の
債務隠しのスキームにはうなるものがあった。
自主廃業後、一部のメンバーは転々と職を繰り返す。
自分の思ったこと、正しいと思うことを上司に堂々と
ぶつけるからだ。
最大のテーマは、巨大勢力に向かっていく面白さだと思う。
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1997年、100年続いた大手証券会社、山一證券が、
多額の損失隠しをきっかけに経営破綻。
突然の自主廃業となり、
1万人とも言われる社員全員が解雇されることに。
恐慌状態に陥る中、かつて社内で「場末」と揶揄された業務管理本部で
最後まで、事態の原因究明と顧客への補償のために奔走した12人の社員たち。
多くのスタッフが再就職を急ぐ中、会社にとどまり、信念を糧に無給で働いた
彼らの奮闘を描くノンフィクション。
非常によく取材してあって、事実誤認の無いよう過剰な演出を廃し
理性的に書かれた文章にかえって凄みを感じます。
自浄作用を失って暴走する組織犯罪の恐ろしさがよくわかります。
誰も明確な責任意識を持たないまま、都合の悪い問題を先送りにし続けて、
どう考えてもいつか破綻するはずの事態の進行を止めることができない。
集団であるがゆえの思考停止。
大企業なら多かれ少なかれこういった病理を抱えているのではないか。
そして、そういうものと戦えるのは出世の道から外れた、叩き上げの者達だけ。
カッコいいけど、それはすべてをきちんと終わらせるための戦いで。
やはり帰るところを失うのは寂しいものだなあ。
しかし、いきなり2000億円超の帳簿外債務が発覚して会社がぶっ飛ぶって、
想像を絶するわ。
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1997年に、巨額の簿外債務が表面化し、自主廃業を余儀なくされた山一證券。
その簿外債務は、役員を含む一部の法人営業部門、本社・国際部門のみが関与し、多くの社員が働く国内営業部門等その他の部門には、まったく知らされていないものだった。
それが、自主廃業を発表する野澤社長の「社員は悪くないんです」という号泣会見につながった。
社長は、社員はじめステークホルダーたちに、何が山一證券で起こったかを明らかにすると約束た。
その業務にあたった業務管理本部長以下12名の戦いの記録。
誰のために戦うのか、彼らは法人の山一では神域とされていた法人部門、そして、その商いを眩ます為に利用された国際部門に突入する。そして、当時、神のように絶対視されていた、元会長、元社長、そして多くの役員、元役員等に担当直入に質問をぶつけ、社員でしかもぐりこめないような隙間に隠された資料を捜し、山一證券が廃業するその日までに、報告書をまとめあげ公表する。
そこには、山一證券の隠された取引、自らの責任を認識せず会社のそして時には自らの優先し、決済を与えた役員たち、さらに問題を隠ぺいし先送りにした経営陣。さらに、金融機関に対する検査で問題を把握していたにもかかわらず、その後調査を行わないばかりか、損失を隠蔽する企業への配慮すら暗に要求する大蔵官僚たちの姿が、事実を元に、実名で書かれていた....
もう一つの隠ぺいとの違いを考えた。
東京電力福島第一原発事故については、いくつかの調査が行われている。しかし、その調査内容が食い違っていることについての調査は行われているのだろうか?
一つの調査が真実を書き、ほかの調査は嘘を書いているのだろうか?
おそらくその調査は、調査を依頼し、行うものの視点からは、正しい内容のものなのだろう。
しかし、その調査を依頼し調査を行うものが、事故発生当時もそして将来にもわたって存在する、東京電力という会社また、監督官庁、政府、国会議員などの意思を忖度して行われるとしたら、その調査結果にはバイアスがかかってしまうことは容易に想像できる。
山一證券の調査は、その経緯を明らかにすることのみが優先されるものであったのだろう。
将来にわたって生活を保障してくれる会社は、もうない。
護送船団をまもってくれる大蔵省からは見離された。
そうなって初めて、真実を明らかにしようという働きが、社員のなかにも生まれるのではないだろうか?
起きてしまった事故の現在の状況を隠さず明らかにする。そして、そこにいたる経緯をあきらかにする。
さらに、それらの事実を踏まえ、次は同じような不祥事は起こさないように、しっかりと事業計画を立て直し、原発を再稼働させる。もしくは、原発をあきらめ廃炉にする。
そのような過程を経ずに、問題を隠蔽したまま、旧来の態勢のまま、突き進んでいく今の原子力行政についても、本書は問題点を突きつけているような気がする。
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小学校以前の記憶はほとんどないが、妙な記憶は残っている。
母親に連れられて行った銀行みたいな場所はATMが並んでいた。その機械に入れる通帳に描かれていたセーラー服を着たペンギンの絵がかわいいな、と思ったことをよく覚えている。
その証券会社が自主廃業したのは1997年、このときは小学校低学年で世の中のことなど分かっちゃいなかった。
北海道拓殖銀行に続き、山一證券が経営破たんというニュースをテレビで見ていて、銀行も潰れるんだなぁ。預けたお金はどうなるんだろう、と疑問が沸いたという覚えしかない。
さて、本書「しんがり」は山一證券が経営破たんした後の清算処理の話である。
社員はおろか、役員にさえも伝えられていなかった三千億円の負債は違法行為から生まれたものだった。その違法性ゆえに会社更生法を適用されず、自主廃業の道しか残されなかったのだ。
なぜ、三千億円の負債が生まれたのか。お茶を濁し口を閉ざす幹部たちへのヒアリングを繰り返し、不正の事実を見つけるために決算書を探し求めた。
すべてを知る権利が社員にはある。最後まで筋を貫き唐須ために、事実上会社が消滅した後も残って処理を続けた十二人の部署があった。
大企業にも終わりが来る。会社が潰れるときに人はどう動くのか、という点も見どころだった。
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2015/1/9読了。
全体像が見えにくい大企業であっても人の集まりという点は不変であり、一人一人の判断と行動が企業の行く末に影響を及ぼすことを再認識。
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以前上司に、会社を愛せるサラリーマンになれと言われたことを思い出した。
どういう意味かずっとわからなかったけど、この本を読んで初めて意味が少し分かった気がする。
サラリーマンの生き方、に対する指南書のような一冊だった。
仕事に対して、会社に対して悩みが出来たらこの本を読み返そうと思う。
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「いまさら山一證券の破綻を取り上げる意味があるのか」と、出版社のベテラン編集者が言っていたそうだ(あとがきより)。いやぁ、まったくそんなことはないでしょう。若干下世話な好奇心からとか、大企業の倒産の裏側に興味があるとか、山一と無関係じゃなかった人とか、理由はさまざまでしょうが。出版まで曲折があったとのことですが、読後は、そのベテラン編集者の言葉は単なる建前であって、違う意味があったかもと思ってしまいます。
山一の倒産時は既に社会人でしたが、まだまだ駆け出しで他人事でした。しかしそれから現在に至るまで、倒産まではいかなくとも、事業終了やM&Aが身近になり、リストラも珍しくなくなり、会社員にとってこういったことは他人事ではなくなってきたのではないかと思います。
そういう意味では、もっと人のぬくもりのある、当時の日本の人々が描写されていて、もはや懐かしさを感じると同時にあの頃はよかったなぁと思ってしまうのは年をとった証拠でしょうかね。
しかしながら、企業に求められる社会的責任というのは今も昔も本質的にはそれほど変わっていないんじゃないかと改めて思いました。
蛇足かもしれませんが著者の清武氏、どこかで聞いたような名前だなと思っていたら、かつての読売巨人軍球団代表の方なんですね。そちらの件はよくわかりませんが、元々こちらが本業ということで。
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今から20年近く前になる1997年に廃業となった山一証券会社の社長の号泣記者会見は今も、鮮烈な記憶があります。
廃業と決まった会社に残り、会社が破綻に至った原因を究明した社内調査委員会のメンバー。その委員会の12名のメンバーの活動の経緯を追った記録ですが、文中に魂の‥とある通り心に響く読み物になっています。何故、倒産してしまった自分の会社の破綻原因調査などというなんの見返りもない後ろ向きの仕事を引き受けるのか、普通はそう考えることでしょう。上層部の聞き取りの過程では抵抗勢力が大勢を占めていました。‥多分会社という組織には馬鹿な人間も必要なのだ…そう考え、その報告書が自分をも不利な立場に追い込むことを知っていながら、調査委員会の長を務めあげた嘉本常務。彼に付いていったメンバーは皆同じ心意気の者たちでした。そこには会社の汚い部分とは裏腹の清廉と言う言葉が当てはまります。
これを読むと未だに絶えない会社などの組織にまつわる不正や組織ぐるみの嘘の構造がありありと浮かび上がってきます。経営者などの権力を握るほんの一部の人のモラルの欠如が如何に重大な影響を及ぼすか。そして、それを質してその企業の良い風土を造るのもそこにいる一人一人なのだということを改めて思いました。