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<目次>
序
第1章 伝統からの脱却
第2章 17世紀前半の日本像~交差する流れ
第3章 江戸時代中期の日本図~流宣図インパクト
第4章 地図を正す
第5章 新たな日本像の展開
むすびに
<内容>
日本人の「日本」の地図表記の変遷を、江戸時代(一部それ以前)に限って分析したもの。
当初は古くからの「行基図」。これは「国」を連ねた塊として、「日本」が描き出されるのだが、江戸中期に石川流宣が出て、「絵図」ながら細かい情報をその中に盛り込もうとしていく。江戸時代後期に森幸安が正確さを求めようとし始め、長久保赤水がそれを実現化し、伊能忠敬が完成させる(ただし、忠敬の狙いは地球だが)。
それが市井に人々に評価されるのは、人々の関心が、自分の身の回りから徐々に地域、国家、地球(江戸時代にはここまで来る人は少なかったが)へと広がっていったことを示している。そこに「日本」や「日本人」へのアイデンティティも確立されていったのではないか?という分析である。
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著者は私より年下の地理学者。お会いしたことは何度かしかないのだが,律儀に抜き刷りを送ってくれたり,彼が京都大学総合博物館に在籍中に開催された企画展の冊子『地図出版の四百年』も送ってくれた。そんな彼がちくま新書で単著を出したというので,購入することにした。
ちなみに,なぜこういうテーマの本に今このタイミングで手を出したのかは一応理由がある。ここ最近の読書日記で書いているように,廃藩置県に端を発する明治期に形成された地方自治体制の勉強をしているわけだが,そもそも地図全体で日本を描くという行為がいつ頃から成立したのかということが素朴に気になった。地図の歴史といえば織田武雄という人がいて,その人の『都市図の歴史 世界編』は随分前に読んでいて,彼の著作に『地図の歴史 日本編』があることも知っていたので,これを手始めに読もうと購入したのだが,その直後に本書の存在を知った次第。まずは目次から。
第一章 伝統からの脱却
第二章 一七世紀前半の日本像――交差する流れ
第三章 江戸時代中期の日本図――流宣図インパクト
第四章 地図を正す
第五章 新たな日本像の展開
本書のタイトルだけでは私が求める内容が書かれているかどうかは分からないのだが,目次をみれば分かるように,本書の中心は「日本図」ないし「日本像」というものにある。つまり,本書は単に江戸時代の地図について考えるのではなく(素朴な知的好奇心だったらかつて読んだ山下和正『江戸時代古地図をめぐる』NTT出版,が満たしてくれる),江戸時代において「日本」という存在にどんな感心が向けられていたのかということについて,地図を通じて考えるものである。
本書の議論は断片的に『地図出版の四百年』にもある。このカタログを読んだ際にも納得し,いろいろ学んだつもりだったが,この企画展自体は副題に「京都・日本・世界」とあるように,かなりテーマ的には広いから,きちんと頭に残っていない。そういう意味でも,本書を読み,他の本も読み直すと学ぶことは多いかもしれない。
本書は単なる地図の系譜ではなく,しっかりとしたテーマがあるため,多少単純化し過ぎではないかという議論の展開もあるが,その分しっかりと説明された内容が頭に残る。しかも,本題の江戸時代に入る前の話もかなり丁寧に押さえているので,私のような歴史に疎い人間に対してはありがたい(まあ,新書だからその辺の配慮は当たり前だが)。
結果的には,本書には私が求めていた問いにしっかりと応えてくれるものであった。私の拙い歴史的知識でも,おそらく江戸時代にも令制国を単位とする地図は作られただろうが,日本の国土を俯瞰するような地図がいつ頃から作られたかということが疑問となる。そして,その令制国と日本国との関係がどのように理解されていたのか,ということは地図史の分野が一つの答えを与えてくれるのではないかと期待したわけだ。
本書によれば,江戸時代以前からいわゆる日本全国を描く「日本図」が存在するという。その主たる系譜である「行基式日本図」は令制国(本書では「くに」と表記される)の積み重ねとして描かれるのだという。日本列島の海岸��を描き,その内部を「くに」の境界で区切るのではなく,「くに」の隣に別の「くに」を描いて,全ての「くに」の集合として日本ができあがるというのが「行基式日本図」である。そしてこの系譜は17世紀前半まで継続するという。
その後登場するのが石川流宣によって,あらたな日本図が登場するというのだが,そこで著者が着目しているのが木版画による地図の出版化である。本書ではアンダーソンの『想像の共同体』が参考文献に挙げられており,アンダーソンの主張する出版資本主義の議論を援用する形で,出版地図によって急速に普及した石川流宣による日本国全体を俯瞰するような日本図によって,日本という「想像の共同体」が形成されたのだという。まあ,この議論はちょっと飛躍がある気もしないではないが,もちろんそれを出版地図だけに帰するのではなく,当時の徳川幕府による政策との同時代性として把握している。
この辺りで私の知りたいことはほとんど得られたわけだが,その後の系譜として,流宣の美しさを優先した地図から,徐々に近代的な精確さを優先した地図への移行が語られ,次なる人物として長久保赤水が登場し,誰でも知っている伊能忠敬へと続く。本書では,幕府主導による政治的地図(それはまさに日本を司る支配者による視点であると同時に,製作された地図は一般には出回らない)と民間による出版地図の両方に目配りがされ,特に後者については版元についての考察などが他の地図史研究にはない著者の独自の視点である。しかも,これは恐らく単なる独自な視点ではなく,日本に留まらない世界的な地理学の動向を見据えたものであると想像できる。
かなり長くなったので,とりあえずこの辺にしておこう。
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「地図」「江戸時代」
こんなキーワードを並べられるとついつい引っかかってしまう。だがしかし、「地図」はともかく、「江戸時代」は、近頃ヤバいキーワードになっているから要注意だ…なんて勘ぐっていたが、大間違い。
まず日本という国が、いわゆる日本、という「国」と、駿河国とか摂津国とか、そういう「くに」があることを説明される。まあ、わかっている気になっているが、深く考えたことはない。日本地図を書く、と言ったら、大抵は海岸線を書いて、必要に応じて県境(くに境)を書くのが今の感覚だろう。だが「くに」がまとまりあって「国」をつくる、というスタイルの地図もある。海からの視点と、陸からの視点、と言い換えられる。つまりは誰をターゲットにしていた地図かもわかる。江戸時代というのは、海からの視点がなかった時代なのだ。
地図の技法だけを語るものではない。江戸時代にはもう出版業があったし、そこが流行を作っていた。「正しさ」「美しさ」を、時流を見ながら売り出していく。
江戸の地図、というと伊能忠敬が主役と思うだろうけれど、彼は最後にちょっぴり出てくるだけだ。彼は江戸の地図の「正しさ」にある意味とどめをさし、そしてまた「陸」から「海」の視点に転換していく役割を果たす。
地図はやはり社会の縮図だ。ただ事実を表すだけでないものがある。現代の地図は概ねカーナビ用、という趣で楽しくない。だがそれが時代に即した地図、ということだろうか。ともあれ、新書だけれど、大変濃密な本で良い。