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<目次>
第1章 「心がけ」では何も変わらない!
第2章 「日本人らしさ」という幻想
第3章 日本人の正体は「個人主義者」だった⁉
第4章 日本人は正直者か?
第5章 なぜ、日本の企業はうそをつくのか
第6章 信じる者はトクをする?
第7章 なぜ若者は空気を読むのか
第8章 「臨界質量」が、いじめを解決する
第9章 信頼社会の作り方
第10章 武士道精神が日本のモラルを破壊する
<内容>
「日本人」の特許である「武士道」。これはいい意味で使われることが多いのだが、著者は「武士道」はダメだという。それは統治者の論理から作られているからだ。そういう意味で現在の政治家が好んで使うのもわかる気がする。そして、キーワードの一つが「安心社会」と「信頼社会」。日本人は「安心社会」であり、その社会は様子を見ながら行動をするので、一見優しい社会に見えるが、心のなかでは他人を信じない「個人主義」のしゃかいである。一方欧米は「信頼社会」であり、個人主義に見えるが、新しい場所や人と交わっていくためには、多少の犠牲を蒙りながらも「信頼」を勝ち取れば深く信頼し合える社会なのだという。グローバル社会となった今、必要なのは「信頼社会」。それは江戸時代の「商人道」にも似ており、各個人がしっかりと信頼し合える社会が作られないと、21世紀の世界では生き延びられないかもしれない…
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日本人とは、日本人的だ、日本人の精神だ、という皆が持ってる体感を社会科学で検証していく。「うそ」というほど、体感とのギャップが少ない。つーか、言い換えてるだけのような感覚。しかしサイエンスで追及していく手順が面白い。
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日本人の多くが、「私は個人主義だけど他のみんなはこうしているよね」と思っていることが何だか滑稽だった。
著者が指摘しているように、日本人は他人に対する信頼度が低いと思う。多くの人がみんな他人を信頼していなかったら、そりゃ冷たい社会になるわな。
集団主義が成り立っていたのは、そこに安心の提供があったから。社会的に安全だから、結果的にみんな集団主義のように振る舞う。悲しい社会だなあ。
結局、日本が安心社会から信頼社会に変わるのは無理そう。
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『日本の「安心」はなぜ、消えたのかー社会心理学から見た現代日本の問題点』(集英社インターナショナル,2008年)を改題。
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こちら、途中まで読んで「何か既読感あるな…」と思ったら、以前に読んだ『日本の「安心」はなぜ、消えたのか』の改題文庫化なのですね。
…しかし、再読ですがグイグイ引き込まれてもう一度全部読みました。いや、この、山岸敏オトコ先生の、社会心理学からのアプローチによる「日本は「安心社会」から「信頼社会」への移行が上手くいっていない」という見方でいまの日本を見ると「なるほど、そういうことか!」と腹落ちします。
先日の「今どきの大学生新入生の服装ってむしろ30年前よりも画一化してない?」という私の疑問にも、答えてくれます。なるほど…確かに。
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人類には二種類のモラル体型がある
統治の倫理:基本的に人を信じず、他人はウソを付くという前提で、身内だけの集団を作る安心社会。
市場の倫理:基本的に人を信じ、他人とも協力する信頼社会
日本人は、安心社会の倫理体型で生きてきた。なので、主観的には個人主義者が多く、会社は嫌いで、働くのも嫌い。
この2つの倫理体型は、混在できない。
武士道精神は、安心社会の倫理体型なので、市場を目指す社会には適合しない。
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氏曰く、日本人の「和の心」とは、他人の気持ちになって、互いに協調しあう関係を好むというよりは、
周囲から、自分が、どう思われるかを気にして、周囲との間で波風を立てないように、始終ビクビクすることだと指摘しています。相互監視をしている間だけですが。
かなり日本人の行動原理の本質に迫った指摘です。
人に嫌われることを極端に恐れ、
嫌われないないようにする。なぜかというか、この行動が日本社会では「合理的」だからです。この環境を抜ければ、好き勝手な事を、平気でします。
また、私達の人間関係が、基本、歪な関係性≒ハラスメントになってしまうのもよくわかります。これが、基本だからです。
X(旧Twitter)における、日本の誹謗中傷が世界一で、匿名率も世界一で、開示請求も世界一という事実からも、よくわかります。
氏が指摘する、日本社会独特の相互監視、相互規制システムは、明らかに、私達の「個人主義≒利己的な振る舞い」をコントロールするのに役立っています。この仕組みがなければ、Xと似たような環境になり、無秩序化します。
自分の主張を、押し殺し、みんなと協力するというよりは、自分のしたいことを遠慮をする。
したいことをすると、仲間はずれにされてしまう可能性が出てくるからです。そうしないと、無限に自己中野郎が生産されます。
「私」を知っている人の前では、決して「私」の主張をしてはいけない、これが、日本社会における合理的な行動です。「私」の主張は、あくまで、「私」を知っている人がいない環境でないと出来ない。
しかし、今、企業(仲間内)がリストラが当たり前のようになりました。外の世界に投げ出されることがあたり前になりました。日本人の所属意識は、所属することで、少なくなくない対価・そして賃金が得られるからでしたが、その前提が今崩れ去っています。
その中で氏は、仲間内を超えてどこでも通用する「良い評判」を確立することが、これから、最も合理的な行動だと言っています。非常に、示唆に富む良書だと思います。