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石川啄木の妻節子と義弟宮崎郁雨の「不倫」疑惑(いわゆる「不愉快な事件」)に対する否定論。この件については、郁雨の「ラブレター」とされる書簡が現存せず、その内容を確実に実見した第三者もないため、そもそも史料批判が不可能である以上、いくら詮索を繰り返しても所詮「藪の中」なのだが、啄木研究者の間では未だ議論の的になっているようである。
「郁雨に節子への精神的な(肉体的ではない)恋情はあったが、不倫・姦通はなかった」という本書の結論は妥当だと思うが、啄木を激怒させ、郁雨と義絶に至らしめた「問題の手紙」の内容について、節子に(啄木が「恐怖」する)実父のいる実家への「里帰り」を勧めるものであったという仮説は、論拠不十分でいささか苦しい。この仮説は、「不倫説」を初めて唱えた啄木の実妹三浦光子が意図的に虚言を弄したことを前提にしなければ成り立たないため、本書では彼女に対する誹謗に近い厳しい見方をしているが、これは疑惑肯定論者の郁雨に対する誹謗と同様の問題を抱えており、より慎重な検証が必要であろう。
本書の著者は老練の精神科医だが、兄弟姉妹の出生順と人格・性格を図式的に関係づけたり、論敵の立論を彼らの成育環境や私生活の問題に還元する(これは非学問的な人格攻撃である)方法論は、いかにも「昔の精神医学」のやり口で科学的ではない。どうにも読んでいて不愉快な本だった。