紙の本
絵本の書き手の、なんと幅広いことか
2017/04/23 08:12
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投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
絵本は、書き手を選ばない。
通常は絵本作家が文も絵も描くことが多いが、時に絵本作家同士が互いに文を担当したり絵を描いたりすることもある。
絵本作家だけが絵本を書くことはない。
特にそれは文の方だが、詩人も書く。漫画家も書く。映画監督も書く。俳優も書く。落語家も書く。アナウンサーも書く。
小説家ももちろん書く。直木賞作家も芥川賞作家も書く。
文学の世界では漫才師が小説書いたって驚天動地していたが、絵本の世界では驚かない。
絵本はとても寛容なのだ。
この絵本の文を書いたのは、『この人の閾』で第113回芥川賞を受賞(1995年)した保坂和志さん。(絵は、小沢さかえさん)
芥川賞そのものがストーリー性よりも文章の巧さに一目を置くところがある文学賞だが、その文体が絵本に合うかどうかは作者次第であろう。
どちらといえば、詩人の、一行一行刻むような散文があっているような感じがする。
この作品の場合、「チャーちゃん」という一匹の猫が主人公だ。
しかし、この猫は死んでいる。
死んでいるのだが、踊っているのだという。
この猫がいる世界は死後の世界であるが、そちらではかつて生きていたものたちが楽しそうに踊っているという。
だから、生きていた世界ではパパもママも泣いているけれど、チャーちゃんのいる死の世界ではみんな楽しく踊っているのだ。
そう思っている(想像している)のは、きっと生きている世界にいるものたちだろう。
こういう深い作品も、絵本は平気な顔をして受け入れてしまう。
紙の本
猫の気持ち
2016/03/28 12:35
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投稿者:しぃしぃ - この投稿者のレビュー一覧を見る
ちょうど買っていた猫の名前が同じなので読んでみました。子ども達も、悲しいおはなしだけどいつかは家のちゃーちゃんもお別れの時がくるよねと、一緒に読んでくれました。そして読んだら、お別れはずーっと悲しんじゃいけないんだねっていう気持ちに変わりました。先日、安らかにお別れの時がきました。私が中学の時から一緒にいたちゃーちゃん。お別れの時は、きっと悲しくて哀しくてどうなるのかと思いきや、私の心は晴れやかでした。子ども達も同じでした。この本を読んで迎えられたお別れの時は、涙、涙ではなく家族みんなをあたたかくしてしれました。ちゃーちゃんの気持ちを代弁してくれたと感じています。
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昨年亡くなった我が家のじんぺちょんぬも、こんな世界で楽しく踊りながら色々な動物たちと仲良く過ごしていてほしいと思いました。
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このところ急に福音館で有力挿し絵画家となった小沢さかえの絵。
保坂和志がチャーちゃんという猫を飼っていたこと、非常に愛していたことは知っていたので、死んだ猫がこんなふうにいてくれたらいいなと願っていることは伝わった。
絵は、油絵のようで、私はこっちの方が『岸辺のヤービ』の絵より好きだ。動きと透明感がある。家がバラバラになって舞い上がっていくのなんか面白い。
絵本としては…。愛する猫を亡くした人は、凄く癒されると思うが、大抵の子どもにはそういう経験がないから、純粋にこの絵が楽しめる感性がなければ、つまらないかもしれない。
個人的には「てか」「飛んでまーす」(坂上二郎か!いや、あれは「飛びます」)という表現に違和感あり。
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小沢さんの空をかける猫の絵、すごく良かったです。
まだまだペットロスから立ち直れない私に、少し慰めになったかな。
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「岸辺のヤービ」の画繋がりで手に取った一冊
・・・が、その見た目とは裏腹?!な始まり
~ぼく、チャーちゃん。
はっきり言って、いま死んでます。~
昔、五味太郎さんが講演で「絵本は小さい子供のモノって誰が決めたの?絵だけで伝えられるから大人も子供も読めるってだけで、子供のために絵本描いてるわけじゃない」みたいなことを言ってたのを思い出した
ある意味、この「チャーちゃん」も・・・深いぃ「大人の絵本」デス
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【2015年交換会】
死ぬことについて、別の目で見ることができます。大切な人を亡くした時に読むのもいいと思います。
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あらゆる常識やしがらみから自由になる、という死の要素のひとつを、こんなに伸びやかに描いている絵本があるんだなあ。少し、驚いた。小さいころにこういう風に「死」と出会うというのも良いかもしれない。
(私が小さいころ読んだ本で印象に残っているのは、死を前にした人から残された人に向けてのものが多かったので。『わすれられないおくりもの』とか)
『岸辺のヤービ』の挿し絵の小沢さかえさん、この絵本の挿し絵も、タッチはかなりヤービと異なるけれども、動物や植物がいきいきしているところは共通している。好きだ。
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初めて読んだとき、「わー!なんだか怖い絵本だなー!」と感じました。
再び落ち着いて読んでみると、作者の言いたいことを感じ取ることができました。
文章では主人公のチャーちゃんはネコと特定していませんでしたので、ほかの表現もありかな?と思いました。
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チャーちゃんは踊ってる
あゝ こんなふうに
“踊ってる”んならいいなぁ。
“「死」はおそろしいものじゃない”
“あちらで彼らは穏やかだ”
“いつか会えるね”
そんな絵本が増えているように思う
畳みかけるかなしみのためだろうか
この国に宗教が不在のためだろうか
【ブックカフェ松庵文庫にて】
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チャーちゃんにとっては、生きていることと死んでいることに境目なんてない。
走って遊んでまた走って。いつだって自由で気ままに踊ってる。
悲しいことなんかなにもない。
だっていつかみんなここにきて、一緒に踊るんだから。もちろん、パパとママもね――。
「ぼく、チャーちゃん。はっきり言って、いま死んでます」
チャーちゃんはどこまでもポジティブだ。
死んでしまったけれど、生前となにもかわらず楽しく過ごしている。
水平線を見はるかす丘の上、草の原を駆け巡り、ときには空を飛んで、鳥や獣と一緒にダンス。
世界のどこにだって行けるし、疲れないし、お腹だってすかない。
そう、なにも悲しいことはない。きっとまた会える。そして一緒に楽しく踊る。
だから、泣かなくていい。
あっけらかんとしたチャーちゃんの言葉の数々。それで死はたんなる生の続きになる。魂はあざやかな色彩に満ちた世界で軽やかに踊り続ける。
死別の悲しみを癒し、きっとまた会えるという希望を描く絵本。
それなのに読んでいるとどうしても泣いてしまうのだけれど。
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すごい!笑っちゃうくらいすごいインパクト。絵本ではっきり言って、なんて言われたことないし、てか、なんて言葉もこんな力強く見たことない。「!」も力強いし。さまざまな死の表現をする絵本があるけれど、わたしはこれが好き。死ぬと生きる、の違い?よく分かんないね。
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WOWOWの番組で朗読をしていて、積んだまま読んでないのを思い出して引っ張りだしてきた。
猫のチャーちゃん。
いきなり、「いま死んでます」にびっくり。
不思議な生死感。
不思議でふわふわ軽やかな考え方。
走って飛んで踊って軽やかに過しているんだね。
いつか、おとうさんやおかあさんと一緒に踊ったりできるといいね、チャーちゃん。
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5552さんの本棚に並んでいたのを見て、その印象的な表紙の絵に惹かれて、図書館で借りました。
2年前に癌で亡くなった実家の猫もチャーちゃん同様に最期は痩せていました。
あちらの世界でこんな風に自由に過ごしていたら嬉しいなぁ。
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表紙の、薄ぼんやりとした、発光体のような、チャーちゃんの絵柄に、読む前は不思議な印象をもったのですが、そういうことだったのですね。
保坂和志さんの小説は、全く読んだことはないのですが、この絵本では、独自の死後のイメージよりも、生きてても死んでても変わらないでしょ、という、チャーちゃん流の励ましが、私には印象的で、飼い主冥利に尽きるとは、こういうことではないかと思いました。
また、小沢さかえさんの画も初めてで、序盤の疾走感溢れる絵柄は、とてもきれいだけど、どこか哀愁を滲ませた物悲しさがあるところに、チャーちゃんの死を思わせるものがあったのですが、終盤でガラリと変わる天然色の明るい絵柄(どことなく絵のタッチも変わった?)は、また対照的で温かく、楽園って、こういう場所なのかもしれないと、読んでいる私の温度まで変えさせるような、表現の幅の広さが印象的でした。