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槇文彦氏が新国立競技場問題を早くから指摘していたのは多くの人が知ることだろうが、なぜそういう姿勢をとっていたのかはあまり知られていない気がする。
建築は都市にあって、都市性の増加という役割を担う。ある建物を作り、その附近が良くなる。人々が美しいと感動する。人が集まって何かが起こる。そういう都市性の増大が、建物を作るときに絶対的重要な評価基準であるべき、というのはかねてからの槇氏の論だ。
ザハ・ハディド氏の案は、都市性の破壊に繋がる、と危惧した槇氏は「新国立競技場案を神宮外苑の歴史的文脈の中で考える」と題したエッセイを発表する。この施設規模は、プログラムから生まれており、そのプログラムを見直すべきで、新しいプログラムが決まれば、コンペ当選者たるザハ・ハディド氏が設計者として候補になるとも述べていた。
東京五輪が決まった高揚感でそんな言葉はかき消され、そして今度は政府のオウンゴールで白紙に戻った。この二年ほどの不毛な歴史は、しかしそのまま進んだ後に遭遇したであろう次の半世紀に渡る慟哭の歴史よりはるかにましだ、と本書で述べられている。
こんな風に書くと、新国立競技場についての本に見えてしまうかもしれないが、そこへの言及は多くはない。都市性、の説明のとおり、建築はクローズなものではなくて、都市を育てるものだし、都市と建築は同時に計画されるのがよい。そういうことが理解できる本だと思う。
地方都市には、サードプレイスといえるような場所も全然ない。建築に公共空間がつくりだせなくなっている(これはクライアントの問題が大きいが)。まあ、メタボリズム建築は失敗だといわれるが、都市とともに代謝を図ろうとする、ということ自体は決して失敗ではないと思う。