紙の本
丹念な取材と被写体に対する愛情に敬意を抱く
2023/01/22 17:44
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投稿者:ひでくん - この投稿者のレビュー一覧を見る
素晴らしいルポルタージュだ。
先行レビューにもあるが「記憶遺産」ともいべき書だ。著者の八木澤さんが、2000年代のまさに最後の色町としての黄金町の書き留めてくれたおかげで、時がたてば曖昧になってしまう過去がきちんと、引き継がれたということなる。こういう仕事をする人がいるから、歴史の証拠は残されれ行くのだと思う。
それにしても、手間暇をかけた取材だ。読んでて、登場した外国人娼婦の言葉が音声となって飛び出してくるようだ。取材者に対する愛情も深い。タイ、コロンビアへと彼女たちの故郷を訪ねているところは圧巻だ。興味本位や著者としての顕示欲でここまでは、出来まい。そして何よりも写真が美しい。どの被写体も生き生きとそして美しく撮れている。これらの写真もすでに15年近く前のものだが、頁の中からふと、ジェシカが、ダニエラが、ユウが飛び出してきて、往時の思い出を語り出してくれそうである。貴重なうえにも貴重な資料である。
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かつて横浜にあった黄金町という、外国人娼婦が立ちんぼをしていた町についてのノンフィクション。
写真は綺麗。
だが、書き手の男性は彼女ら(彼も居るけど)の性を搾取する側の性に対する己の位置を、どのように考えているのだろうと不思議に思う。
あまりにも他人ごとなのだ。
写真には乳も露わに笑顔を向ける彼女らが写っている。これは事後なの? あなたは彼女の体を買ったの? と疑問を覚える。
文章ではお金は払うが、性交渉を行わず話しを聞くとあるけれど、それがすべてなの? 国を離れて身を売る彼女らに対して思うところは何もないの? 黄金町が男性にとって癒やしと言うけれど、それはホントにずいぶんと一方的でステレオタイプな感想だと思う。身を売って生きる女性のことを考えてなおかつそういうならいいけど、ほんとにそこまで考えてる? 都合の良い女性像になってない?ってなる。
別に男の幻想万歳でいいと思うんだけど、書き手の自分に対する目線がふわっとしていて、なんとなく違和感がある。
せっかくその後の黄金町のちょんの間に住んでみたんだから、何か感じるものはなかったんだろうか。感じなかったから書かなかったんだろうか。感じないならそのことを知りたい。もしや、読み手が興味を持ちそうだから、その後の彼女らに焦点を当てているんだとしたら、もったいないなぁ。
ただ、この前にレビューした桶川ストーカー殺人のノンフィクションとあまりにもトーンが違うから、読むタイミングとしてそう感じてしまうのもしょうがないのかもしれない。つきつめると個人の嗜好だ。
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横浜市に黄金町というところに、外国人娼婦がたくさんいる町があったようです。
テーマ柄きわどい写真がたくさんあった。
貧しい国から出稼ぎに出てきて、エイズに感染して亡くなる女性も少なくなかったようだ。
そんなにしてまで、親や子にお金を送り続けた女性を悲しく思う。
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黄金町、外国人の娼婦たちがいた街。夜な夜な盛り場を徘徊することはほとんどなくなったから、今はどうかを知らないが、かつては池袋にも大久保にも外国人の街娼たちはいた。いわゆる立ちんぼだ。
娼婦たちを撮った写真がいい。少しだけ、彼女たちの素顔が見え隠れする。
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(概要:ネタバレなし)
横浜市中区の大岡川沿いに黄金町(こがねちょう)という地区がある。かつては川の水運を利用する問屋街だったが戦後は麻薬の密売が横行するスラムとなり、いつの間にか売春店(ちょんの間)が並ぶ、いわゆる青線地帯となった。1980年代から日本人娼婦に代わって外国人娼婦が店や街頭に立つようになった。2005年、中田宏市長の市政下で神奈川県警が大規模摘発作戦を展開し、売春店は消滅した。
この本は2001年から2005年にかけて筆者が黄金町の外国人娼婦たちにインタビューした内容をまとめたものである(1章から4章)。警察の摘発によって消滅する前の青線地帯だった黄金町を生々しく活写している。増補新版では売春店の消滅からおよそ10年後の黄金町の様子を追った5章と6章が追加されている。
筆者は客として黄金町に通い、何人もの外国人娼婦に会って話を聞き、その姿を写真を撮った。娼婦たちの多くは、やがて姿を見せなくなった。中には性病で病死した者や警察に摘発されて母国に強制送還された者もいた。筆者は彼女たちの裁判を傍聴したり、葬儀に立ち会ったり、故郷の町に帰った後の生活を追ったりすることで、外国人娼婦たちの人生に迫っていく。
(感想:ネタバレ少なめ)
横浜はペリー提督率いる米国船団の来航によって誕生した街である。外国人居留地が作られ、外国人を相手にする遊郭が作られた。外国人と性風俗は横浜を語る上で欠かせない重要なキーワードだが、その実情は時代とともに変化した。筆者が取材した頃には、横浜は日本人娼婦が外国人の客をとる街ではなく、外国人娼婦が日本人の客をとる街になっていた。
高度経済成長を達成した日本は貧しい国の女たちが金を稼ぐために目指す「黄金の国」となった。いわゆるジャパゆきさん達である。そうして日本に来た女の一部が黄金町(皮肉な名前だ)に流れ着き、ちょんの間で客を取ったり街頭で立ちんぼをしたりした。ある者は日本で売春することを承知で来日し、別の物はブローカーに騙されて来日した(工場で働くと聞いていたのに、日本に着いたらストリップ小屋で踊るよう言われた、とか)。この辺りの事情は従軍慰安婦問題にも通じるところがあるように感じられる。黄金町は黄金の国の縮図である。
その黄金町も今は昔。売春店は消滅し外国人娼婦たちも姿を消した。町は健全化し、しかし金色の輝きを失った。黄金町の拡大図である黄金の国も、バブル経済が破裂して以来、輝きを失って久しい。経済が停滞し少子高齢化が進行する日本は、もはや貧しい国の女が目指す黄金の国ではなくなっているのだろう。
(以下、ネタバレを盛大に含む)
なんといっても、この本を読んで最も心に残るのは2章のヌアンサーレ・ワラポンのエピソードだろう。ワラポンはタイ人で、日本に来て売春をしている間にHIVに感染した。筆者が面会した時には顔に肉腫が浮き、エイズ脳症のために日本語はおろかタイ語も満足に話せなかった。それでも筆者がカメラを向けると、震える手で髪を整えようとする女心を見せた。筆者の面会の後ほどなくしてワラポンは息を引き取った。
この章をよく読むと、実はワラポンが黄金町で仕事をしていたとは書かれていない。筆者が黄金町で会ったタイ人娼婦のユリは登場するものの、筆者がワラポンのことを知ったのは「友人の記者」からであるし、ワラポンについて証言しているのは「都内に住むタイ人女性」であるから、おそらくワラポンは、この本の主題である黄金町にはあまり関係がないはずだ。この辺り、筆者の興味が黄金町から外国人娼婦へと移っているように見受けられる。
ワラポンは売春で稼いだ金をタイの故郷の両親に仕送りしていた。外国人娼婦の多くも病気の両親のために、あるいは、子供をより良い私立の学校に通わせるために仕送りをしている。その動機は美しい。だが、その実情は……。
筆者はタイのワラポンの故郷を訪れ、彼女の両親に面会する。両親は木造の東屋で貧しい暮らしを営んでいた。両親は娘が日本で何を仕事にしていたのか、当然承知している。しかし、娘がどんな病で倒れたのかは知らなかった(そもそも、エイズのことを知らなかった)。ワラポンが送った金は、現地では豪邸を建てられるくらい莫大な金額だったはずだ。娘が命を落としてまで稼いだ金を、両親は何に使ったのか。是非、本書を読んで確認してみてほしい。きっと驚くことだろう。私は驚いた。