投稿元:
レビューを見る
72頁:必ず原典を見る「学生時代,最初にたたきこまれたことは,引用・論拠には,必ず原典を見よということであった。……なんでもないように見えるが,実はなかなかどうして大変なことである……篠塚は原典を見ていないため失敗している」。
209頁:『扁鵲難経』「歯属骨(歯は骨に属す)」はこう述べる。「歯は骨の終(お)ふる所,髓の養なふ所にして,腎 実に之を主(つかさ)どる……」。同書はまた「歯は腎の標」と言う。……金代の劉完素の『六書』はこう述べる。「牙歯は是れ手足〔それぞれ〕の陽明の過ぐる所なり。……」
・加地は,歯医者の集まりを甘く見て,原典を見ていない。
『(黄帝八十一)難経』には,加地が引用したような文は存在しない。加地は医学の専門家ではないし,原典を見ていないから,『扁鵲難経』だの劉完素の『六書』だのと書ける。中国医学の知識があれば,『難経』を引用するのなら,『難経集注』か『難経本義』を使い,その『難経』の「一難に」とか「八十一難に」などと書く。劉完素の『六書』とは,いったいどの本を指すのか?
しかし,いろいろと引用してくれているので,加地の出典は分かる。『(古今図書集成)医部全録』巻155である。
http://www.zygby.com/a/gujinyizhu/zonghelei/228_15.html
『古今図書集成』を百科事典のかわりに使うのはいいとしても,歯医者相手の講演会だから,原典しらべなんかいいや,とでも思ったのだろうか?
しかし,つきあわせてみておどろいた。「歯は骨の終(お)ふる所,髓の養なふ所にして……」は,宋・楊士瀛『仁齋直指方』である。「牙歯は是れ手足〔それぞれ〕の陽明の過ぐる所なり。……」は, 元・李杲『東垣十書』となっている。いくら医学にうといとしても,この引用文献名のズレはどういうことなのだろう?
『医部全録』以外から孫引きした可能性があるのだろうか?
210頁:合谷は,掌を広げると,親指の付け根あたりが凹む。……掌の合谷……
・合谷穴は,手背にとる。手の甲(Dorsum of hand)を日本語では,「てのひら」とか「たなごころ」とはいわない。
214頁:②丈夫 五八(四十歳)のとき,腎衰え,髪堕(おとろ)へ……。
・顧従徳本『素問』は「腎衰」を「腎氣衰」に作る。なお顧従徳本『素問』には「丈夫」はなく,『医部全録』の引用する『素問』(『證治準繩』注の引用として)にはある。あるいは,意味が分かりやすいように加地が「丈夫」を補ったのかも知れない。しかし,本書全体の体例から考えると,加地が補う場合は〔丈夫〕とする可能性が高いが,これは講演なので,そういう書き方をしていないのかも知れない。真相不明。
③の八八(六十四歳)にある「髪去る(脱落する)」と対比させるためか,「堕」を「おとろえる」と解釈しているが,単純に「四十歳になると,髪が抜け落ち(はじめ)る」と理解した方がいいと思う。