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上巻は伏線。表紙のゴッホも。
子どものころ、「どれが本当の自分なのか分からなくなってしまった!」と、母親に泣きついたことがある。もし私があの時、著者が書きたくてたまらなかったであろう「分人」という概念を知っていたなら、あの時欲した言葉をかけてあげられたのだな。
作中でラデックが語る「神の自殺」という発想が印象に残る。
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自殺したわけを 探すために 生き返ったのかな?
生きていてとてもしあわせだったってことを 再確認しちゃうってかなりきついよね
私は 「分人」って考えたことある!
おんなじようなこと考えてる人いるんだぁ~と思ったら 嬉しかった‼
でも 器はひとつなので いろいろあると 溢れてしまうって すごくよくわかった
疲れてる男の人が読むと ぐっとくるかも‼
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子供残して消えてしまうのかという展開は、それだけで幼子をもつ身には堪えるものよ。最後らへん読んでてふいに目に入った、娘のおもちゃ。よくあるマグネットの落書きボード的なのの上にアンパンマンのスタンプ押した跡が消さずに残されてて、見てたら急に一生懸命押してる娘の一挙手一投足がじわんと蘇ってね…なんか写真撮ってしまった。ずれずれのアンパンマンのスタンプ跡を。そんな小説です。ん?
幸福でも疲れる。というのはじんじんきた。旦那を労らねばと思った。まじで。疲労が脳を命を蝕むのは自分でも人でも本当に本当に知っているはずなのに、なんか忘れていたかも。思い出させてくれてありがとう平野啓一郎。オカルティックだけど嫌いじゃない程度には一気読みでした。
追記。読んでる途中で娘が本棚荒らしてて、ぽろんと岩波の『ゴッホの手紙』落としたよ。ひぃ。この流れで読めということかしらん…。
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上巻では、ちょっと期待しすぎたかなぁと思ったけど
下巻は得るものや学ぶことが多かった。
今まで自分の中で漠然としか捉えていなかった
対人関係と自分の在り方について、
それが“分人化”、“分人思想”であると
言葉できちんと表現されていたので
スッと受け入れることができた。
考え方によってはだいぶ救われるかもしれない。
名前の呼ばれ方と相手を繋いで
自分の分人を可視化することや、
披露宴のビールの例え話も
なるほどなぁと思った。
一概に言えないこともあると思うけど、
個人は分けられない一人の人間と思い込んで
自分のすべてを否定してしまうこと、
生きたいからその存在を必死に消そうとすること、
それが自傷行為や自殺につながるのかと思うと
本当に悲しくて遣る瀬無い。
次々と世界から消えゆく復生者たち。
リドル・ストーリーだったので
徹生の最期がどうなったのか気になった。
上下巻通して読み終えた後、改めて
「空白を満たしなさい」という
タイトルは秀逸だなと思った。
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・私は、詩人のボードレールを思い出しました。彼は《悪の華》という詩集の中で、こう歌っています。
僕は、傷口であり、ナイフだ!
僕は、殴る掌で、殴られる頬!
引き裂かれる四肢であり、引き裂く刑事だ!
そして僕は、死刑囚にして、死刑執行人なんだ!
・「池端さんって人は面白い人で、時々、突拍子もないことを言うんです。最初は、何だ?と思うんですけど、でも、よくよく聴いてると、それがすごく重要なことなんです。分人の話みたいに。-この前も、結婚披露宴っていうのは、新郎新婦にとっては、”疲労宴"なんだって、駄洒落みたいなことを言うんです。さっきから話してる、疲れるって意味の披露です。」
「ああ、・・・・・そうだな。俺も、そんな大した披露宴はしてないけど、準備から何から、疲れたのだけはよく覚えてるよ。」
「どんなに幸せであっても疲れる。それは否定できない。池端さんは僕にそう言いました。」徹生は、その時の池端と同様に、言葉が流れないようにしっかりと発音した。「そして、疲労は、披露宴のビールみたいなものだっていうのが、池端さんの説明の続きです。」
「次から次へと注がれるってことか?」
「そうです。色んな人が、新郎にビールを注ぎに来ます。職場の上司や同僚、親戚、友人。・・・最初は、ちゃんとグラスを空にして、注いでもらいます。一杯くらい何でもなく飲めます。二人目が来て、やっぱりグラスを空にする。でも、そうして三杯目、四杯目となっていくうちに、嬉しいけど、辛くなってくる。半分しか飲めないまま、次が注がれる。ふらふらしてくる。飲み終わるのを待たれてから、また注がれる。もう三分の一しか飲めない。そこにまた、注ごうとされる。勢い余って、とうとう溢れ出してしまう。その時、人間は、幸せの絶頂にあるんですよ。・・・」
秋吉は、徹生の手の中の空き缶を見つめた。
「人間は、分人ごとに疲れる。でも、体はもちろん一つしかない。疲労が注がれるコップは一個なんです。会社で、これくらいなら耐えられると思っていても、実はコップには、家での疲労が、まだ半分くらい残っているかもしれない。そうすると、溢れてしまいます。」
「けど、疲労は量だけじゃなくて、質が違うんじゃない?今日みたいなことやっとったら、それ、俺もくたびれるけど、楽しい疲れやからな。仕事の疲れとは違うよ。」
「僕もそう考えてました。でも、精神的には違っても、肉体的には、疲労は疲労と見るべきなんだそうです。鬱になって、気分転換にマラソンに挑戦したり、登山をしたり、海外旅行に出かけたりしたせいで、症状を酷く悪化させてしまう人が、実は多いらしいんです。自分を奮い立たせるつもりが、疲れてしまうことで、辛うじて体を維持していた力まで使い果たしてしまうんだと。」
秋吉は、何かを思い出したように、顎を上げた。
「徹生君も、死ぬ前に家族で行ったんだったな、バリ島に。」
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毎日を大切に生きられたら後悔ないけど、
毎日そう思って生きるのはなかなか
難しい。
色々考えさせられた。
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(上巻から続き)だからこそ、分人それぞれを認めてあげて、大切な人にそうするように、自分の中の分人である彼女が生きられるように寄り添って慈しんであげないといけないなと思った。それでいうと、犬への恐怖心へジョンと名付けて落ち着かせるように、不安に名前をつけるやり方に近いのかもしれない。
こんなに、死に近い話をテーマにしているけれども、それでも「毎日もっと一所懸命に生きよう!」と前を向かせてくれるのもすごいなと思う。死が近づいた徹生がそうしたように、私も私が生きた痕跡を、誰かが思い起こしてくれるような瞬間を、残したくなる。
それから、千佳の実家での場面も、ものすごく共感というか私としての夢であり憧れになってしまった。自分の人生は自分のために自分で切り開くものではあるけれど、人に救われたり誰かのおかげで生きていてよかったと承認されることもあるよね。生きる意味なんて誰も分からないし、正解もないんだから、思うがまま欲しいがままに一所懸命生きたらいいんじゃないかなあと、ちょっとすとんとする。
たくさんの気づきや安心をもらえるから、この本は行き詰まったとき、また読みたいなあと思う。
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個人はいろいろな分人で構成されるという思想に基づいた小説。
死んだ人が生き返るというあり得ない設定だが、自分がこの立場だったらどうするのだろうか、と考えさせられる。
タフな思想に基づいているので、読み手もタフさを求められる気がする。
とても面白く、ぐいぐい引き込まれるけれども、後にすごく残る重さを感じる。
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分人の考え方は、自分自身を振り返った際にストンと腹に落ちた。嫌いな自分も分人の一人に過ぎず、人は色々な分人で成り立っている。嫌な自分の分人が決してその人の全てではなくて、ある他者との関係における一部でしかない。色々悩んでいる気持ちを楽にしてくれた。
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上巻を読んだ時点では、サスペンスだと思ったけれど、下巻の途中から「分人」という著者オリジナルの概念が登場する。正直「分人」が持ち出されたときに「出た!」と思ったが、それだけに終始せず、分人という概念を用いた新たな発想に唸らされた。
というのは、自殺してしまった主人公は、実は自分の中の分人に殺されたという解釈。自分の中の嫌な部分(分人)を他の分人が消そうとすることで自殺は起こるというもの。それは、正しい自分を生きたいためである。故に「生きたい」ということの裏返しなのである。
そしてもう一つ、ラデックさんの言う通り、善行は常にできることではなく、たまたまそのタイミングだからこそ行った行為というものがある。彼は、人命救助のために燃え盛る火の中に飛び込んだが、別の日であればそんな行為はしなかったかもしれない。しかし、人はその行為だけを見て彼を評価する。彼の中のある部分(分人)だけを見るのである。分人とは、対面するものや人だけで区別されるものではなく、その時の気分でもあるのだ。
人は同じ事柄に対して、いつも同じ行動を取るとは限らないのだ。
主人公が、復生する(生き返る)というあり得ない内容だけれども、すんなりと読むことが出来た。
読みやすいけれど、意味の深いとてもいい本だと思う。
表紙がなぜゴッホなのだろうと思ったが、なるほどそういう意味だったのね。
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対人関係ごとのいろんな自分を「分人」と呼びます。
つまり、相手の存在のお陰で自分自身が変わる、ということです。
誰かを思い浮かべた時、生きていて楽しい分人になれる、ということは、相手といる自分が好きだ、ということです。
ビジネスにおいて一緒に働いている人に対してそのように思ってもらえる自分でいられるか。
そのような自分ではいられていませんが
相手にどう思われたいか、自分はどう変えればいいか、という意識は必要だな、と教わりました。
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上巻ではなんだこの話?と途中で諦めそうになったけど、下巻まで読んでよかった。
主人公が息子に「空白を満たしなさい」というメッセージを残したと言うことは、この話は息子が書いた設定?それでこんな有り得ない設定?と一瞬思ったけれど、わたしの仮説があってたとしたら それも 復生 が存在する世界のお話なのでした…!
しかし、「分人」の考え方を知って じぶんのものごとの考え方にも影響を受けた。八方美人的なじぶんに悩んでいたり、それこそとても辛いことを抱えているひとに この考え方を知ってほしいと思いました。
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【いちぶん】
しかし、誰かといる時の自分は好きだ、と言うことは、そんなに難しくない。その人の前での自分は、自然と快活になれる。明るくなれる。生きてて心地が良い。全部じゃなくても、少なくとも、その自分は愛せる。だとしたら、その分人を足場に生きていけばいい。
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死の原因がはっきりした後は、内向きな思索が中心となる。
上巻に比べるとダイナミックな展開は少ない。
同じく生き返ったポーランド人や、自殺未遂者の社会復帰を助ける活動をしている人物などと出会い、死に方が人間のすべてを規定するのではないという考え方、人間は一つの決まった固まりではなく、さまざまな相手や場面によって違った人間になるという分人の考え方に触れる。
このような考え方は今現在苦しみを抱える人にとっては一定の救いにはなるのではないか。
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自分が自殺したことがはっきりし、次は自殺した理由を思い出そうとする。
「複生者」の集会で多くの出会いがある。
その中の一人から「分人」という考え方を聞き、救われる。
一度死んだ者として、死者を「残す」方法を模索する。
その矢先、複生者たちが次々と消滅し始める。
自分も近々消えるだろうと考える。
それまでに家族や親類との関係を回復するように務める。
関係が修復できたあたりでおそらく消滅する。
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上巻を読んで期待していたが、期待以上だった。
読んだ感じとしては、さらっとすぎず、難しすぎず、丁度いい。
中身は、上巻のミステリー要素からは変わって、
下巻は、人が様々な環境で生きる分人という考え方がメインだった。
よく考えられていて読んでいて、なるほどなと思えた。
最後一章くらいがちょっとクドイ印象を受けたけれど、
ここ一年で一番よい本だった。また読みたい。