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以前読んだ「サピエンス全史」と被る部分があり、理解がしやすかった。そういえば一年位前に、この著者の「人間の性はなぜ奇妙に進化したのか」を読んで、1/3もいかずに同じことの繰り返しで飽きて読むのを諦めたが、この本は、飽きることなく読み進めることができた。
人間とはどういう生き物か?というテーマに、進化や生物地理学といった切り口で、わかりやすく説いてくれる。
その内容はショッキングではあるが、納得性が高く、とてもスジが通っているように思える。
南北アメリカのマンモスなどの大形哺乳類は、ネイティブアメリカンの祖先が、陸地だったベーリング海を渡ってから、1,000年でほぼ全ての種が全滅した。
イースター島はモアイを運ぶために森林伐採をして、森が枯渇し、人が飢え、そして誰もいなくなった。
などなど、人間は、現代人だけでなく、素朴で自然に寄り添って生きてきたと思われていた未開人も、意図してかしないかは別として、実は多くの生物、植物を絶滅に追いやってきたという事実が何個も提示される。
また、人間は遺伝子の中に、大量虐殺、つまりジェノサイドを行うようインプットされている生物であるという事実は、あらためて示されると衝撃的ではある。
集団で生きる人間は、「我ら」と「彼ら」という対比を生み出し、「彼ら」を「我ら」より生き物として劣る存在として、または異なる人種や宗教、信条を持つ「彼ら」に対して大量虐殺を行ってきた。
その事実を提示されて、未来に向けてどうすべきかについて、若者向けに書いたとあるだけに、とても楽観的で前向きだ。
しかし、進化の過程として見れば、我ら人類は確実に絶滅に向かって、自ら突っ走っている、地球が産み落とした鬼子なのだという、よく考えてみれば当たり前の結論が残ると思う。
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書店で平積みにされていたのと、タイトルになんとなく興味をそそられ購入した。興味はそそられたものの、このタイトルにはいくつかのクエスチョンがあった。そもそも「第三のチンパンジー」とはなんぞや?とか、どうして「若い読者のための」と前置きがあるのか?とか。とても好奇心がそそられるタイトルだ。
そして、その読者の好奇心に膨大な研究の裏付けをもって答えてくれるだけでなく、読者に啓発すら与えてくれる良書であったと思う。
そもそも、著者はこの研究に何十年もの歳月を費やし、ほぼ生涯をかけて本書を著しているようにも思える。そのような労苦の結晶を、数百円のお小遣いと数日間の読書で学ぶことができるなんて、読者というのは本当にありがたいと思う。
著者の肩書には、カリフォルニア大ロス校教授のほかに、進化生物学者、生理学者、生物地理学者とある。「人間という動物の進化と未来」という副題があるとおり、本書は進化生物学を基軸として著されたものと思うが、巻末で翻訳者(秋元勝氏)が語っているように、鳥類学や人類生態学、古環境学、古病理学、言語学などの関係から有機的に分析がされていて、しかも素人にも分かりやすく説明してくれているように思う。
本書は、著者の「人間はどこまでチンパンジーか?人類進化の栄光と翳り」の出版(1993年)以降の研究成果がアップデートされたものであり、しかも写真などを大幅に増やし、最新の研究成果に基づいて、より読者の理解を促進しようとした工夫がされているように思う。
その読者の理解の促進という意図が、この「若い読者のための」という言葉に表れていると思う。
哺乳類の中に、霊長類という分類があり、霊長類の分類の中には、サル、類人猿、ヒトという分類がある、、、ということすら正確に意識したことがなかった。
ゴリラ、チンパンジー、オランウータン、テナガザルが、「サル」とは異なる「類人猿」という分類となるという、おそらく進化生物学の中では基本中の基本すらはっきりと知らなかった。そもそも霊長類の中では、ヒトとそれ以外という理解でいたというのが正直のところだ。
しかし、チンパンジー(コモンチンパンジー、ボノボチンパンジー)とヒトの遺伝子を比較してみると98.4%が同じで、違いはたったの1.6%であり、分類的にはむしろヒトとチンパンジーを別の分類とするには違和感があるという問題提起からスタートする。つまりは、ヒトは第三のチンパンジーだということだ。
では、たった1.6%の差異がどうして、どうしてこのような大きな違いを生み出したのか?そのことを順をおってジャレド・ダイヤモンド教授が語ってくれるのだ。
昔、世界史の教科書の冒頭のほうで学んだ、「言葉を使う」「直立歩行」「道具を使う」「火を使う」、そのようなことを単発で説明しているのではない。むしろ、こういう低レベルの教育しか行われていなかったことを嘆く声すらある。
地質などを調べていつの時代にどのようなことが起こったのかを分析していく過程、環境から生物が進化していく様子、生物が絶滅する理由、な���など教授の話すどの切り口もどの分析過程もとても興味深く読める。
例えば人類が「農業」というものを見つけたことは、人類の光であるとしか思っていなかった。本書では、光の部分と陰の部分について語られている。
ヒトを生物の一つとして客観的に見たとき、そして大きなスケールで生物の進化や人類が行ってきたことを振り返ってみ見たとき、現在の人類の存在が、絶滅と背中合わせであることに気付かされる。
ヒトが道具を使えるようになったということにも光と影がある。その影が膨張しつつあり一触触発の状況下にあることが、大きなスケールで過去の歴史を振り返った時、客観的に理解できる。
ヒトの最も特徴的な差異であるジェノサイドを引き起こす特性について詳しく述べられている。このことも、大きなスケールで、過去に繰り返された数々のジェノサイドを知ることにより、現在の我々もそのスケールの中に存在するのだという危機意識みたいなものを感じざるを得ない。
本書が「若い読者のための」とタイトルされている重要な理由が書かれていると思う。その理解によって、人類は背中合わせの危機から脱出する力ももっているという啓発が込められている。
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『マンモスのつくりかた』『Ank』『私たちはどこから来てどこへいくのか』、加え言葉にまつわる本関連の興味の続きで読んでみた(たぶん、どの本だかに引用されていたような気もする)。
類人猿と我々ヒトを分かち、人類の「大躍進」の大きなきっかけとなったものが、
「今日、私たちが知っている話し言葉が発達したことによるのだ ― 私はそう考えている。」
という、要は昨今の興味の後押し、補完となる一冊だった。
読みやすくはあったが、広く、深く、より専門的に語られるところも多く理解が進んだというより、ちょっと手こずったかな。 でも、分子時計、ザハヴィの理論など、興味深い話も多く、勉強になった。
人類の進化(それを進化と呼べるかどうかは別として)、すでに遺伝子の変化に捕らわれたものではなくなっているという事実は、創造主にとっては想定外のことだったのかもしれない。。。。
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友人に、ジャレド ダイアモンドのTV番組を教えてもらい、見ています。
本書を途中までは読んだけれど、TVを繰り返してみたので、それで十分な気がします。
2018年1月8日〜 NHK Eテレ http://www4.nhk.or.jp/diamond-hakushi/3/ 「ダイアモンド博士の“ヒトの秘密”」
ダイアモンド博士は、「銃・病原菌・鉄」でピュリッツァー賞を受賞した進化生物学者。
人間の進化によって現代社会を考察する博士の特別授業を12回にわたって放送する。
2018/01/05 予約 1/28 借りる。 2/1 読み始める。2/19 途中で返却
2018/02/20 再予約 3/20 再借り 読まずに返却
若い読者のための第三のチンパンジー: 人間という動物の進化と未来
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人間が言葉を話す能力とは、たくさんの構成要素と筋肉が正しく機能しているおかげなのである。類人猿のように、限られた子音と母音しか出せなければ、人間の語彙はまったく限られたものになってしまう。つまり、人間を最終的に人間たらしめた不明の要素とは、人類の声道に生じたなんらかの変化−−さらにきめ細かく音声をコントロールでき、もっと幅広い発生を可能にした変化だと考えられるのだ。筋肉や柔軟な組織に生じたきわめてささいな変化であるだけに、頭蓋骨の化石に現れることはなかった。(p.62)
ある種にとって、雄には最善の戦略であっても、同じようにそれが雌にとっても最善の戦略ではない場合がある。ヒトの場合にもこれが当てはまる。ヒトの男性にとって、子どもを作るためには最小限必要な努力は性交で、求められているのはわずかな時間とエネルギーの消費だけである。
一方、女性のほうは、性交に加えて九ヶ月の妊娠期間、そして人類の歴史の大半の時代におこなわれてきたように、数年間におよぶ授乳期間が最低でも必要とされている。時間とエネルギーの点では大きな投資だ。つまり、生涯にわたって子どもを作り出す能力という点では、潜在的に男性のほうが女性よりもはるかにまさっている。生涯のうちに何人の子どもを残したのかという記録では、男性ではモロッコの専制君主ムーレイ・イスマーイールの888名。女性が残した記録は69名である。19世紀のロシアに生まれた女性で、三つ子を繰り返し産み落とした。女性の場合、20人以上の子どもを出産する例はめったにないが、一夫多妻の社会では、そうした男性は少なくない。(p.84)
一斉崩壊という進化の理想の姿は、生理学者が長きにわたって探し求める単一の原因に比べると、ヒトの体に課された運命について、はるかにうまく説明しているように私には思える。歯がすり減ったり抜けたり、あるいは筋肉がすっかり衰え、聴覚や視覚、嗅覚や味覚などの五感も著しくだめになるなど、多くの人たちが年齢とともに老いを経験している。さらに、心臓が弱くなる、関節がきしむ、骨がもろくなる、腎臓がうまく機能しない、免疫システムの低下、記憶力が鈍るなど、これらはごく普通に見られる老化の症状だ。こうなるように準備を整えたのが進化であり、それにしたがって人体の全システムは衰えていくように仕組まれている。(P.121)
農業がもつ否定的な影響については、少なくとも3つの説明があげられるだろう。第一に、狩猟採集民はタンパク質とビタミン、ミネラルに富んだ多彩な食べ物を口にしていたが、農民はおもにデンプン質の作物ばかりを食べていた。今日でもなお、わずか三種の高デンプン質の植物、小麦、米、トウモロコシによって、ヒトという種が食べるカロリーの半分以上がまかなわれている。第二に、わずか一種か数種の作物に依存してしまうと、農民は栄養失調に陥るばかりか、肝心の作物が凶作に見舞われるととたんに餓死の危機に瀕する。(p.175)
ヒトは芸術以外にもコストがともなういろいろなディプレイを通じて高い地位を獲得しようと努めてきた。高い塔から飛び降りたり、毒性化学物質を使用したりするなど、こうしたディスプレイのいくつかは、唖然とするほど危険なことであるのだ。(p.194)
私たちが無線機を発明できたのはまったくの偶然で、しかも、人類を全滅させることのできる技術に先立って無線機を発明できたのは、発明そのものをうわまわる偶然だった。私たちの歴史をふりかえれば、どこか別の惑星で文明が生まれていたにせよ、その寿命は短いものだったのかもしれない。(p.207)
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ジャレド•ダイアモンドの本であることは間違いないのだけど、別の人『レベッカ•ステフォフさん)の編著なので、既刊本の総集編的な部分が結構ある。が、面白く読めた。モト本の「人間はどこまでチンパンジーか?」が未読だったからだろう。
以下の箇所が一番印象に残った。
P223
言語が少なければ世界中の人びとが意思を交わしやすくなるので、消滅はむしろいいことなのではないのかとも考えられる。そうかもしれないが、ほかの面ではまったく望ましくはないのだ。言語はそれぞれ構造や語彙が異なっている。感情や因果関係や個人的な責任をどう表現するかという点でも異なる。人間の思考をどう形づくるのかという点でも言語によって異なる。だから、この言語こそ最善だというひとつの言語は存在しない。そのかわり、目的が異なればもっとそれにふさわしい言語が存在している。言語が死に絶えてしまうとは、かつてその言語を話していた人たちが抱いていた独自の世界観を知る手段さえ失ってしまうことになるのだ。
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ジャレド・ダイアモンドの本は前から読みたかったが、この本が初めて。
「人間はどういう生き物なのか?」という問いに対して、科学的に深い考察がされていて、人間という種に対する理解が深まった。
タイトルだけ見ると「いかに人間とチンパンジーが似ているか」という意味にもとれるが、98%以上遺伝子を共有しているチンパンジーと人間の違いにもフォーカスされていて面白い。
文章は専門用語もあって読みづらい部分があり、興味が無い人が読むと結構辛いかもしれない...。
個人的にとても興味深く読み進めたが、僕も読むのに結構時間がかかった。
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植物は、自家受粉種の方が栽培化に時間がかからず、野生種と交配しにくいため選別した純系を保ちやすい。
アメリカ南西部のプエブロと呼ばれる多層階の住居は、アナサジの人々によって900年頃に建設が始まった。当時はマツやネズの森に囲まれ、建設資材や薪として使われた。伐採が進むと荒涼とした環境に変わり、表土の浸食によって用水路が削られ、灌漑ができなくなったため、12世紀に放棄された。
ヨルダンのペトラは、交易の中心として数百年にわたって栄えたが、かつて森林の中にあり、ヤギも飼育されていた。
最初に北米に進出したクローヴィス人の矢じりは、1万1000年前頃に小さく精巧につくられたフォルサムの矢じりに変わった。この矢じりはバイソンの骨とともに見つかるが、マンモスと同時に発掘されたことはないことから、その頃には大型の哺乳類が絶滅したと考えられる。