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一気に読んだが、題材が橋下というだけで、本当は気分が悪い。しかし、きちんと研究して総括しなければ、いけないモノであることも確か。
著者は橋下本人とともに関西の報道機関(主にテレビ)が橋下と如何に関わったかを描く。むしろ、報道機関の方に重心を置いている。
結局「橋下徹」を作り上げたのは報道機関(主にテレビ)であり、そして、報道は橋下にコントロールされ「支配」されてしまう。
以前から報道は病んでいて、テレビの寵児橋下がそれをかぎ取って病につけ込んで意のままに振る舞っている、ということだ。
さて、例え橋下が去ったとして、報道に自浄はは可能か。
著者は難しいだろうと推測する。
私はそれに同意する。あらたな「情報の伝え方・受け取り方」が必要な時代になったのではなかろうか。
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本書は橋下徹論というよりも橋下をめぐるメディア状況に焦点を当てたノンフィクションである。関西在住で橋下に多少とも批判的な視点を持つ、つまり本書を手に取るような人であれば当然感じる違和感。著者はメディアと橋下の関係にその違和感の正体を見出すべく、再三取材拒否に遭いながらもメディア関係者が何を考えて橋下徹という存在を伝えてきたのかを追う。
本書の真髄はメディアの中の人たちが(匿名で)語る言葉の数々である。時に弁解し、時に第三者のように批評し、また時に開き直るような彼らの言葉を聞いていると、何とも救いのない気分に陥ってしまう。本1冊というボリュームでメディア人の本音を確認してしまうと、逆説的だが、もうあるべき理想のマスメディアとは、というような議論は青臭く感じてしまう。メディアの頽廃は取りも直さず社会の、我々の頽廃なのかもしれない。そんな絶望的な気分になってしまう。
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16/01/11。1/17読了。橋下を求めているのは、他人と比較して自分は損していると感じてしまう時代が作った空気。山本七平さん言うところの空気だ。メディアがまずそれに飲み込まれた。
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なんで橋下さんが、こんなに人気があるのかわからない。
メディアもなんだかんだで持ちつ持たれつなんだろうな。
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読んでいて、うんざりしました。橋本氏は一時政治屋ではあったのでしょうが、それよりも単なる独裁者やエゴイストにすぎないのじゃないかと思いました。政治を志すひとは、世のため人のためを思うひと(数少ないでしょうが)でしょう。でも、橋本氏にはそれが微塵も感じられません。橋本氏を図に乗らしたのは、もちろんメディアの責任でもある。視聴者や読者が求めるものを提供するのがメディアの仕事というのは、この際手前勝手な言い分だと思う。初めから低劣な言動など取り上げなかったら、ここまでエスカレートすることもなかったのじゃないか。 これじゃあまるで、国民が望むからと言って戦場に従軍記者を大量に送り込み購読者を増やそうとした、当時の新聞社と何も変わるところがない。マスメディアはなにも反省していない、と思いました。早急にくだらないエリート意識をすてることでしょうね。
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橋下徹の大阪府知事→市長時代を、メディアとの関係という視点で捉え直している。古い慣習に立ち向かう改革者のイメージは正直、自分も持っていた。しかしそのイメージはテレビをよく知る橋下徹が、“府民は視聴者である”という視点で利用し尽くして成立させたものである、というのが、大阪メディアへの取材を行った著者の見解だ。従軍慰安婦必要発言を“誤信だ”としてメディアを徹底的に批判した橋下。朝日新聞の書評をきっかけに読んだので、どちらが正しいかは分からないけれど、見ていなかった一面を冷静にみることができた。森達也が一貫して語る、“メディアは過剰に忖度する”。橋下さんとスター化したのはメディアの過剰忖度であり、それをうまく利用したのが彼だ。
●報道局はコストがかかる局。バラエティをつくる制作局はスポンサーのタイアップがあったりで稼げる局。しかもひとつのニュースにコメンテーターの発言をのせて3分くらいまでもたせることができる。→経済の論理がジャーナリズムを飲み込んでいる。
●「一連8秒ノージャンプ」橋下さんの語り方。編集のジャンプなしに8秒で話す、というのが使いやすい。
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タイトルの答えは、在阪マスコミ。大阪のニュースが全国区になる、大阪の記者が「政治部ごっこ」をできる、視聴率がとれる。大衆をつかむわかりやすい言葉、テレビで切り取りやすいまとまった言葉を言ってくれる橋下を、在阪メディアは重宝し続け、中身を検証することなく垂れ流しにした。橋下と在阪メディアは「共依存」だったという内容だ。
橋下批判の本ではあるが、同時にマスコミの責任も厳しく問うている。
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「思い通りの目が出るまでサイコロを振り続ける」自分の立場を使い分け、詭弁で切り抜け、多弁で煙に巻く「言論術」。
「中立公正」に縛られたマスメディアは目の前の声の大きい権力者を恐れ忖度し反対する意見をほとんど取り上げてこなかった。
『誰が橋下徹をつくったか』サブタイトルに「大阪都市構想とメディアの迷走」とある通り、メディアの責任は大きい。
ただ、それを黙認していた私達、視聴者に責任はないのか?
「世界の歴史にはかしこくない人々が勇気を持ち、かしこい人が臆病だった時代がいくらもあった。」「平和を乱すことがなされたら、それをしたものだけでなく止めなかったものにも責任はある」どちらもケストナー『飛ぶ教室』の中の一節だ。勇気を持ち声を上げ続けよう。
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橋本徹とは「テレビの申し子」であり、テレビやマスコミをうまく利用したことによって名をあげた政治家だといえる。
しかし、いかにして彼が自身の政治家としての地位を築いたのか、その詳細は知らなかった。
元記者の著者が、マスコミという伝える側の視点からその詳細を綴り、分析している。
まず、舞台が東京ではなく大阪という一地方というのがポイントである。
大阪の新聞やテレビには政治部がなく、政治・行政ネタは、社会部が担う。そのため庶民寄りの反権威・反権力になりがちである。だから、反権力を声高に主張していた橋本氏に寄った報道になったとも言えるようだ。
地方に、政治部がなかったというのは驚きだ。
機能的な部分で首都である東京と大きな違いがあるなと感じた。
また、橋本氏は気に入らない発言などがあると、その発言者を徹底的に追及し、時に罵倒し公開処刑さえ厭わない。
その様にして、敵対する人々に脅威を抱かせる。
それは、読者である私でさえ、嫌悪する言い方、論法であり、はっきり言ってハチャメチャなことを言っていたりする。そして、時には小学生レベルの政治家とは思えないような、逆切れやイチャモンも飛び出す。
結論的には、橋本氏を増長させたのはマスコミの伝え方と、氏に対し迎合したことが大きかったように思う。
そして、マスコミだけでなく市民の側もなんとなくの雰囲気に弱い。都構想の中身も検討しないまま、何かやってくれそうというだけで支持しがちだ。これはとても危険なことだと思う。ましてやマスコミを味方につければ鬼に金棒だろう。
本書は、橋本氏の一連の政治活動や発言を通して、マスコミの問題点を炙り出している。
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大阪では維新の会が人気があるが、なぜこんなにも人気があるのか大阪在住だが解らなかった。やっと、この本を読んでその人気の秘密が解ったような気がした。
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強権と弁舌を振りかざし、メディアを思うまま操る“テレビ政治家”は、どのようにして生まれてきたのか。大阪を覆い尽くす異様な空気の正体を、橋下府政・市政8年間のメディア状況から検証する。
大人げない人に見える。
私は苦手だ。
執拗な人。
怖い,怖い。
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橋下氏に対して「何か胡散臭い」と思っている人は多いだろう。しかし「変革」「改革」を語る者に庶民は弱い。「ふわっとした民意」とはよく言ったものだが、要は何か面白そうな、期間限定商品などに弱い人たちが彼を支持しているのだと思う。マスコミの内側にいる著者が、反省も込めて発する警告。丸め込まれたことを恥じつつ明かす詭弁・多弁のレトリック。この一冊で大阪を翻弄したトリックスターの人となりは良く分かる。
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橋下徹を「つくった」メディアの共犯関係を丹念に描いた労作。元神戸新聞記者で、高みから批判するだけではなく、自分も会見に足を運んで、うまく追及できなかったことなども率直に自省しているのは好感が持てる。
「議論しても不毛。しゃべるだけしゃべらせて記事で矛盾を突いていく方が効果的に批判できる」と語る現場の記者。橋下が自分たちの記事を「誤報」と言っても議論しない。著者は分析する。「こうしてみると、橋下は繰り返し同じ手法と論理でマスメディア批判を展開してきたことが分かる。マスメディアの舞台裏を暴露して、「言った、言わない」の水掛け論に持ち込み、最後は見解の相違で打ち切る。そして取材や出演を拒否したり、後々までそれを持ち出したりして攻撃を続ける。現場の記者は会社と橋下の間で板挟みになって困惑し、これを見ている周囲の記者やメディアは踏み込んだ批判をしにくくなる。面倒を避けたいと、橋下の機嫌を損ねないようにと忖度するようになる」。忖度の螺旋が生まれないように現場の記者はどうあるべきか。難しい問いだ。
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ある意味すごい人だというのはわかった。テレビ、新聞の記者達もみんなビビっている。一対一の討論ではまず負けてしまうし、記者個人が吊るし上げにあう。マスコミ、メディアの裏を熟知しており、最大限に利用する。ただし長年持つわけではないことも本人がよく知っていたのだろう。
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読もう読もうと思いつつ、5年経った。
橋下徹も維新の会も都構想も遠い昔の話になって欲しいのに、なかなかならない。
権力者とメディアの関係も全く変化なし、というより悪化している。
それを許しているのは国民だ。
あまりにもひどい菅首相のせいで、国民が怒り、メディアを動かすことができたなら、と希望を持つことしかできない。