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場の記述。これを如何に高解像度で実現していくかである。3次元ということではなく、どの軸で取るということもなく、その場をコンピュータ上に格納していく。それにニューメリカルな処理を加え、場を処理していく。これが人間によってフィルタリングされることなく実現されていく世界に、デジタルネイチャーを感じられるのである。
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これまでインターネットとリアルの空間情報で一致していたのは、せいぜい衛星カメラで撮影された地表やGPS、あるいはGoogleストリートビュー程度でした。しかし、近年の三次元取得技術や空間認識技術は、この物理空間のあらゆるものを、エイリアスやメタデータまで含めてインターネット空間に持たせています。おそらく最終的に想定されるのは、物理世界のモノの一つ一つが、インターネット空間の情報と対応していく未来です。また逆にこれは全ての情報空間が物理空間に表出し新たな自然を作りだしていく未来も示唆しています。
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計算機と自然から人間を見つめ直す
計算機の発展により自然との境目が無くなり(非アンコンシャス)、ユビキタスの世界となった時、アートや社会、人間そのものに訪れる変化とは何か。
知識が幅広くないと難解な内容であり、筆者の主張の3割も理解できていない気がするが、それでも興味深い内容であった。実用的な書というよりは、視野を広げ視点を増やすための教養の書(ただし専門書並みに難解)である。
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インターネットの中に第2の地球ができるようなことは妄想したりしたけど、情報側が世界に影響して、境目がなくなっていくというのはなかなか発想できなかった。タイポグラフィがいまいちなのがやや気になった
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古典ばかり読まずに、たまには新刊も読んでみても良いなと思った本。
20世紀を映像の世紀とし、対して21世紀を魔法の世紀と呼ぶ。インターネットやコンピュータの構造や、その他複雑な仕組みやシステムはもはや魔法と言ってもおかしくないレベルにまで発展してきた。
科学の発見によって、まやかしや宗教などの脱魔術化が進んできた20世紀。
複雑なシステムによって、21世紀からは再魔術化が進んでいく。
魔術のカモにならないためにも、テクノロジーに裏側を学んでいくことが大事。
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果たして、人間がコンピュータのミトコンドリアなのか?それともコンピュータが人間のミトコンドリアなのか?
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まず感想を述べる前に、この本は可能ならある程度の知識を持つ方が読むとより深く出来る。
この本は、自分にとって言葉の意味を改めて考えさせられる内容だった。言葉の再定義という意味合いの方が正しのかもしれない。
今日本で当たり前の様に使われている横文字、その意味を日本語に置き換えて考える事を怠っていたのかもしれない。
時代が進むにつれ言葉の意味合いが変わる事も勿論生じる、しかし今回のM1の様に漫才を定義せずあえて抽象化してるものもある。
まだまだ自身の知識や読み込み不足で浅い感想になってしまった。
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この本ではコンピュータとメディアの発展について、歴史をなぞる形で説明されているが、引用が多く概念的な言葉も多いため初見では理解が難しい。落合氏の研究も言葉の説明ではイメージ出来なかった。本という古いメディアの限界な気もする。いくつか面白い技術や取り組みの話もあったが、詳しく理解することが出来なかった。メカニズムありきでなく、やりたいことをやることを魔法と呼び、技術もそうなっていくべきというのは面白い。後半、現在は人間の知覚に合わせた情報になっているが、今後現実はそのまま再現する形で発展し、人間の知覚も変わっていく、といった話があるが、現時点では懐疑的。フルHDから4Kといったことですら、必要無いと感じる人も多い中、更なる発展はあるのだろうか。またブラックボックスが増える世界で、対処しきれなくなることはないのだろうか。コンピューターがやることを提示し人が動かすのま良いのではとあるが、便利になって暮らしが楽になるとは思えない。筆者の言う世界になるのか今後考えて行きたい。
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映像の世紀では人間に指針を合わせてメディアを設計する時代でした。
しかし、魔法の世紀ではにんげんの感覚を超越した設計を行うことで、メディアが物質世界自体をプログラミングできるようになります。
そして僕は、コンピュータが制御するモノとモノ、あるいは場とバの新しい相互依存によって作られ、人間とコンピュータの区別なくそれらが一体として存在すると考える新しい自然観そしてその性質をデジタルネイチャーと呼んでいます。
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落合さんの思考がどのようなところから生まれているのかということがなんとなくわかった。なにより、なぜあれだけ色々な活動をしているかが解きほぐされていた。