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「ウマと話そう」の第二弾ということになっているし、前回の「馬語手帖」がウマ語入門だとしたら、コレは応用編ではないか、と思って手に取ると肩透かしを食うかもしれません。例文は一切ない。詩のようなエッセイと、数限りない愛馬カディの成長してゆくスケッチが載っているだけです。
でも、とっても腑に落ちる。ヒトとウマに限らず、相手と意思を通わせるのに、もはや文法や例文や特殊な単語は必要ありません。こんなありふれた書き方は嫌なんだけど、
愛さえあればいい。のかもしれません。
河田桟は、元々カディを乗り回すために仔馬を引き受けたわけじゃありません。
‥‥暗闇のなかで、ゆいいつ、ウマのいる方向から風が吹いてくるのを感じた。のだそうです。
彼女は途中で死を意識するような病を患っているから、「ちから」では上位に立てません。
けれども、そんなことは無視してはしっこにずっと馬といる(お世話すること含む)と、やがて「身内」になったそうです。
ウマは「なにも起こらない」おだやかな状況に、
幸福を感じる生き物です。
その幸福な日常にあなたがいる。
というその事実が、ウマにとっての身内意識を
つくってゆく気がします。
(略)
あなたがウマを見ているあいだ、
ウマもあなたを見ています。
ウマにとっては「見る」こと、
「見られる」ことが、そのまま馬語なのです。
(82-86p)
ヒトの赤ちゃんならば、こうはならないのかな、
と赤ちゃんを観察していて思いました。
なんとか言葉でコミニュケーションをとろうとする。
お母さんも、しょっちゅう話しかける。
こうやってヒトは幸福を学んでいくのでしょうか。
与那国馬は小さな種ですが、200キロはあるそうです。
油断するとケガします。
「ちから」への畏れを持つことは大切です。
でも「ちからの感触」を知ってはじめて、
わたしたちは、力の外にでることができるのだと、
河田さんは言います。しかも、
‥‥それにしても、これだけ「ちから」がありながら、
ヒトに従うウマって、いったいどういう生き物なのか
と言っています。ホントにそうですね。
ヒトが馬語を話すために
避けては通れないプロセスがあります。
ウマは常にこころとかたらだの言葉が一致しています。
残念ながら、ヒトはそうではありません。
自分のこころとからだの言葉を一致させること
だから、
ウマと馬語で話す練習は
自分のこころとからだにとって
素晴らしいエクササイズになるはず、と河田さんは
提案します。答え合わせは簡単!
「ウマに通じない」イコール
「自分のこころとからだの言葉が一致していない」
半分のページは、河田さんが描いたウマのスケッチです。じっと見ていると、カディを見分けることができるようになるかもしれません。