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真打ち登場的に再読。
2014〜2015年に行なわれた対談をもとに2016年に新書として出版されたものなので、当時最先端だったショッピングモール論も今ではだいぶ受け入れられているのではないかと思う。ショッピングモール自体が目新しい商業施設ではなく、日常風景になっている地域も多いはず。
内容としては本書をふまえた『モールの想像力』展の復習という感じ。イクスピアリの壁画とか、『メガゾーン23』とか、『モールの想像力』展で映像を見ていたのですんなり理解できるところも多々ありました。
東京の住所は「田んぼシステムを引きずっていてストリートがない」っていうのはあらたな発見。関東大震災のあと、銀座あたりはストリートをつくるところから再建されたと思うんだけど、そのときも住所は田んぼシステムだったのかな。
ショッピングモールとはべつに「1980年代が後ろめたさを感じていた時代だった」というのも結構重要ポイント。1980年代というのは今ではノスタルジーの対象として美化されているところがあるけれど、決してハッピーな時代ではなく、フワフワとした時代でした。
「ショッピングモールはパラダイス」でいうと、ちゃんとした統計が手元にあるわけではありませんが、ショッピングモールは雨の日の方が混む。駐車場が屋内か屋外かにもよるけれど、雨の日に家から車でほぼ濡れずに過ごせるからなのか、天気のいい日よりも雨の日の方が集客がよいと思う。
なぜ今ショッピングモールについて考えるのかについて、東さんのあとがきがすごく腑に落ちた。
「ショッピングモールについて考えることは、現代人の都市空間や公共空間への欲望そのものについて考えることに直結している。」
以下、引用。
25
地元のひとたちの生活を見ようと思ったら、ホーカーズではなく、ショッピングモールに行くべきだったんです。
26
モールにこそ地方のリアリティがある。
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モールなのに買い物袋を下げているひとが意外と少なかったこと(笑)。みんなじつはなにも買っておらず、時間つぶしにきている。まさに公園ですね。
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外は熱帯なので植物は山ほど生えているけれど、人間にとって快適な空調を効かせた空間では擬木にならざるを得ない。モール共和国のなかはモール性気候で、生えている植物は擬木というわけです。
46
ジャーディは商業施設をつくるとかショッピングモールをつくるという表現を一切使わず、街をつくると言っている。街路をいかにつくるかが重要だというわけです。古い手法かもしれないけれど、彼は最初に魅力的な動線を描いて、残ったところに建物を建てる。
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日本の行政は、住宅地の造成には熱心ですが、商業地の再開発にはあまり力を入れない傾向がありますね。
でも、街を再生しようとしたら、商業地を変えないと活性化するはずがない。最近の事例では、たとえば品川駅周辺の再開発は失敗したと言われている。敷地を区切ってオフィスビルは林立したけれど、オフィス人口だけが増えて終わっ���しまった。それに比べると六本木ヒルズのほうがはるかによくできている。
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『都市とは何か』「岩波講座 都市の再生を考える」
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ぼくは建築の本質とは、床が平らなことだと思っているんです。ほかの動物と違って、人間は平らなところでしか暮らしていけないという弱点がある。建物を建てる前には、必ず土地を平らにしなければならない。これは建築家の仕事ではないと思われがちですが、これこそが本質だと思うんです。
56
渋谷の駅ビルは渋谷川を埋め立てた上につくられているんですよね。
59
ショッピングモールはものを売るところではなく経験を提供するところだということは、まさにジャーディが言っていたことです。つまり、ぼくたちが行っているモールというのは、はじめからそういう観点で設計されている。売りものになっているのは体験であって、じつは商品そのものではない。
75
イオンレイクタウンですが、建築的に景観を整えようという意志がまったくない。
77
渋谷駅も似たような感覚です。地下鉄で渋谷に行くと、気づいたらヒカリエのなかにいたりする。
86
周辺環境に対して関心を払わず、内部をつくり込んで理想的な街を内部に抱えるというあり方は、まさにトマス・モアの『ユートピア』そのものではないかと。
この小説に登場するユートピア島は、もともと大陸の一部だったものを切り離して島にして、さらにそのなかに浮島をつくっている。中庭ですね。これはあまりにもショッピングモールの構造と一致している。理想的な海や島は、島の内部に再現してしまうわけです。
94
あらかじめ成熟した都市文化を持つ街が開発されるときには、まず先にストリートができあがる。
しかし東京の場合はストリートがないので、平面上に建物が乱立して、残ったところが道路になったような印象を受ける。典型的な違いは住所の示し方で、パリでは住所を「何通りの何番」というふうに表します。京都も同じですね。でも、東京は区画に対して番地が与えられており、住所に道路が含まれない。
これは田んぼのシステムを引きずっているのです。田んぼをつくっていると、道というのはたんに移動するためのものでしかない。だから区画で管理して、どの田んぼがだれのものかを明確にするほうが重要です。それに対して都市というのは、公共の場であるストリートが重要だから、まずストリートをつくって、そこに名前を与える。
101
『メガゾーン23』
ある宇宙船では、そのなかで暮らす人々のため、歴史的に見て人々が「もっとも幸せに暮らしていた時代」として一九八〇年代の東京が選ばれたという設定になっている。
103
なんでわれわれはこんなに豊かでハッピーなのか。そういう後ろめたさが一九八〇年代中盤の日本にはあったのではないか。
104
日本の高度経済成長は朝鮮戦争から始まった。そもそもその成り立ちからして危険というか、その後ろめたさの感覚が、一九八〇年代くらいまでは残っていたんじゃないかと思うんです。自分たちは他人を不当に犠牲にして、その上で成功しているという感覚。しかしゼロ年代あたりに��ると、「おれたちはこんなに虐げられているのに、なぜ後ろめたさなど感じなければならないのだ」という気分が蔓延してくる。
150
モールには行き止まりがない
吹き抜けはターンする場所に置かれていて、本来であれば行き止まりになるようなところを、くるりとターンさせるようになっている。
154
イクスピアリを見に行って衝撃を受けたのは、ある吹き抜けの後ろにあった壁画です。
四つの区画に分けられ、真ん中に水が噴き出している庭が描かれていました。この庭のデザインは、イスラム文化由来のものです。『コーラン』に描かれている楽園がこういう形式で、チャハル・バーグ(四分庭園)と呼ばれています。
水があり、植物が茂る庭園というのは、砂漠の民である彼らにとってはパラダイスそのものだというわけですね。区画を隔てる四本の川にもそれぞれ意味があって、「水」と「乳」と「蜂蜜」と「ぶどう酒」が流れる様子を再現している。
155
古代ペルシャでは、こういった壁や塀で囲われた庭園のことを「パイリダエーザ」と呼んでいました。これが「パラダイス」の語源です。
157
ドバイ・モールは、砂漠の民の理想が世界を一周して、アメリカを経由して帰ってきてできたものだと考えると納得がいく。
161
ソラマチもヒカリエもストリートのコンセプトがなく、フロアごとにコンセプトが考えられているので百貨店的なんですよ。
「迷子にならないように迷わせる」という仕掛けについては、キャナルシティがまず卓越しています。このコンセプトは六本木ヒルズで全面化するのだけれど、今度は迷わせすぎて本当に迷子になってしまう。それで反省してミッドタウンがデザインされたものの、今度は守りに入ってしまったのか、ちょっとつまらない。
169
ぼくたちは東京を距離や方角で把握していないということです。ぼくたちは、都市をつり革を握って立つ時間によって計るので、実際の距離感というのは身体的に摑めていないのだということがよくわかります。
178
昭和三〇年代や四〇年代のマンガや小説を読むと、飲み会のあと同僚を家に連れてくるような描写はたくさんある。でも、いまはないですよね。
家という「私的」な空間と会社という「公的」な空間の関係が分離したのは、意外と最近のことかもしれません。
昔の団地には応接セットというものがありましたよね。2DKなのに、来客用の場所を用意してしている。
183
梅棹忠夫「文明の生態史観」
190
写真というものは本質的に記録のためのものなので、すぐに発表しなくてもいいんです。
ぼくたちは、シェアできない写真には撮る価値がないと思うようになっている。
196
日本では隔離された地域にぽつんと建てられたモールは存在しないようなイメージがありますが、八ヶ岳リゾートアウトレットなどのアウトレットモールは、あえてリモートなところにつくられている。そういうところに、モールの零度とでも言うべきものが見て取れるのではないかと。
198
日本の住所は田んぼシステムで割り振られているので、カーナビはぼくらが入力した住所をもとにアルゴリズムで計算し、田んぼシステムをストリートシステムに置き換えているんですね。
そしてさらに言うと、車の位置を計測しているGPSは、座標でそれを追っている。つまりカーナビは、「田んぼシステム」「ストリートシステム」「座標」という三つのまったく違った位置情報が統合している。
217
あと、みんなスルーしていますけど、地下鉄の地下通路にある植物も、だいぶ違和感というか部材感があります。ぼくは「地下植物」って呼んでいますが。
226
モール性気候
夏の場合は、多分ニ七度から二八度くらい。湿度は五〇、六〇パーセントじゃないですかね。
236
『欲望の植物誌』
243
ぼくたちはいま、ショッピングモールというサービスを使ってエデンを再創造する壮大な実験をやっているんですね。
259
なぜショッピングモール「から」考えるのか。それは、現代の先進国では、都市空間の多くが、ショッピングモールをモデルとして設計され始めているからである。それはいわゆる商業施設に限らない。いまや、駅も空港も公園も、否、図書館でさえ、どこか「ショッピングモール的」であることを意識してつくられ、運営されるようになっている。ショッピングモールについて考えることは、現代人の都市空間や公共空間への欲望そのものについて考えることに直結している。