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紙の本
複雑で解しがたい聖書物語を、昔話としてではなく今日的読み物として解説する書
2010/08/20 22:12
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:yukkiebeer - この投稿者のレビュー一覧を見る
1968年刊行。1993年の第18刷を入手。
著者は1899年生まれで青山学院大学教授を務めた人物。
裕福な家長で信仰心の篤いヨブがある日突然財産や家族を失い、全身を腫れ物に覆われる病に苦しむ。神はなぜ私を苦しめるのか。一体私が何をしたというのか…。
そんな聖書ヨブ記の物語について、1967年NHK「古典講座」で語ったものをもとにまとめた一冊です。
著者の語りは、聖書にそれほど親しくない読者に向けたものだからでしょう、ヨブ記のみならず、山本周五郎『赤ひげ診療譚』を引き合いに出したり、本書出版当時の世界情勢であるベトナム戦争やイスラエルとアラブの争いに触れたりしています。
そうまさに、ヨブ記は古代中東のお話ではなく、戦争に次ぐ戦争の20世紀を生きる読者に向けた「今日への意義」ある書として読み解くべきであるというのが著者の立場です。
人間が追いつめられ、主体性を失い、空虚を感じ、絶望的とならざるを得ない時代に、ヨブ記が呼びかけるのは、この世界に起こる様々な出来事に対して傍観者的態度を取るべきではないということ。そのような出来事のすべてが直接我々の責任ではないかもしれないが、あきらめて自己の運命としてやむなく受け取るのではなく、神の摂理に身をゆだねて失敗の都度また新しい出発をし直す。その時に、それはもう宿命という暗さを伴わなくなる。
一度ならず神に対して疑念と抗議の声をつきつけたヨブは、生きる意義を全く見失ってしまったかにみえる時にもなお「生きよ」という神の命令にしがたい、生きるための戦いを通じて最終的な解決を与えられた。著者はそう読み解きます。
神との対論があるからこそ、生きるということをヨブは主体的に自分の問題として引き受け、運命として受け止めることを拒絶したということのようです。
一筋縄ではいかない遠い聖書物語が、少しこちらへ近寄って来たように感じられました。
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