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ウィルスは結晶化もするが、寄生主の環境を使って自己生産も出来るし、進化もできる「生物」である。
生物のあり方は非常に幅広く、共棲や寄生、環境依存まで含めれば個体という定義すらあいまいとなる。
昨今流行りの腸内環境を見れば、体内に寄生する微生物のDNAは寄生主の人体が持つDNAよりも多いし、細胞内に寄生するミトコンドリアがなければ生体活動が成り立たないのだから。
奥深い内容が興味深く、かつ簡潔にまとめられている良書である。
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本書はその名の通り、ウイルスは「生きている」と主張しています。そのため、著者はまず生命の特徴は何かを明確にしています。
著者は生命の特徴として「ダーウィン進化」をするか否かを挙げています。DNA等の突然変異により、他の個体と少しの変化を持たせて、自然淘汰により、環境に適用する個体のみが残っていくことを指し、ウイルスも当てはまるため、生きているのではと主張しています。
ただ、DNA等の変化は外的要因等により起こるものだと思うのですが、基本的には元通りに修復されるもので、間違った修復は確率的にしか起こらないので、この定義だと、生命は神にサイコロを振られている存在なのかと考えてしまいました。
浅学の身ゆえ、これらの主張について他の書籍等で学んでみようと思いました。
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恐ろしい病気の元と思っていたが、こおん本を読むと昔から生物はウイルスと共生してきたらしい。人間もウイルスによって進化したという。現在も体内にウイルスは住んでいて生命活動の手助けをしている。もちろん、人を殺すウイルスもいるがそれは絶対数からいうと少ない。
ウイルスという漠然として持っていた概念を崩す一冊だ。
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細菌とウイルスの違いは細胞を持っているか否かである、細胞を持たないウイルスは自己複製が出来ないため、いまのところの常識では生物と無生物の中間的な存在とされている。
ウイルスと言えばスペイン風邪やエボラ出血熱の様に、大量に人間を殺す恐ろしい存在というイメージが強い。しかし感染を繰り返すうちに毒性は徐々に弱まるそうだ、なぜなら宿主が絶滅してしまってはウイルス自身も死滅してしまうからだ。
またヘルペスウイルスは、宿主の免疫力が落ちると口唇ヘルペスを発症させてしまうが、リステリア菌やペスト菌に対しては、天然のワクチンの役割も果たしているらしい。実はウイルスたちも生き残るため、宿主のご機嫌を伺いながら苦労しているのだ。
冒頭の自己複製という意味では、必須アミノ酸を体外から摂取している我々人間も、完全なる生物とは言えないのかもしれない。ついでに言うならば、食糧の大半を輸入している我が国も、完全なる国家と呼ぶには危うい存在なのかも…
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2016/5/19 メトロ書店御影クラッセ店にて購入。
2017/9/27〜10/3
これは面白い。帯に「新たな科学ミステリーの傑作が誕生」とあるが、看板に偽りなし。生物と無生物の間は本当に混沌としてきた。こういうったことに少しは関係ある仕事をしているが、不勉強で知らなかった。いやいや、生物(あるいはその周辺)は本当に思い白いなぁ。
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これまでウイルスと生物の間には様々な二項対立的境界が引かれてきた。エネルギー代謝を行うか否か、独立した自己複製能や進化能を有するか否か…。本書は様々な事例を挙げながら、これらの分類の科学的根拠が極めて怪しいことを指摘してゆく。紹介されているウイルスや他の生物の振る舞いは意外性に満ち、これまで一般的とされてきた生物観がいかに特定の価値観に縛られていたかを驚きを持って知らしめてくれる。またそれにも増して、生物学的な意味での「自己」と「外部環境=他者」の境界のあやふやさについても興味深い示唆が得られるのが本書の醍醐味。ウイルスについて考えることは、「自分とは何か」について考えることでもあるのだ。なお、終章で著者のウイルス、ひいては生物、人間に対する思いが語られるが、僕はこういう特定の科学的分野にどっぷり浸った人のセンチメンタリズムはかなり信頼できると考えている。
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ヒトゲノムのうち、タンパク質をコードしている部分は1.5%に過ぎない。一方、ウイルスや転移因子はヒトゲノムで増殖を繰りかえし、45%もの領域を占めている。ヒトのゲノムとは一体誰のものなのか?
また、キャプシドを持たないウイルスというものも最近は報告されており、ウイルスと他の生命との境界もゆらぎつつある
パンドラウイルスなどは2556個の遺伝子中2370個が他の生物との類似性がなく、全く新たな生物にあたるという見解もある
・一般にウイルスの毒性は徐々に弱まる。スペイン風邪の毒性もパンデミックの発生から数年で大きく低下したことが知られている。弱毒化によって感染した宿主が行動する時間が長くなればそれだけ感染の機会が増えるというウイルス側の適応進化
・ウイルスは細胞構造を持たないが、その核酸はキャプシドで囲まれている。多くのウイルスは細胞の外に出るときにはさらにエンベロープに囲まれる。エンベロープはリン脂質からできているので石鹸に弱い。インフルエンザは石鹸で予防できるがエンベロープを持たないノロウイルスには効果がない。
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ウイルスは生物ではないと言われるが、本書では、ウイルスの構造や特徴を紹介するとともに、生物とは何か、ウイルスを生物と定義することの可能性など、生物の要件といった問題に説明を広げている。
著者が主張するように、生物と生物もどきとの境界は曖昧で、これという「生物」の必須要素はなさそうだし、仮に境界線を引いてみても、それをまたいでしまうようなものの発見は今後も続くかもしれない。
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以前「生物と無生物のあいだ」を読んだとき、細胞の振舞は人間社会に似ていると感じた。
本作の帯には「『生物と無生物のあいだ』から9年、新たなる科学ミステリーの傑作が誕生!」という文句が気になって買ってしまった。
本作の主役は「ウイルス」だ。ウイルスは生物ではないというのが通説だが、著者はウィルスは生きているとしか思えないと考える。
ウィルスの95%はタンパク質、残り5%がRNAである。
生物とは言えない分子構造だが、生物が生きていくのになくてはならないものである。
そもそもまず、生物とは何なのか、という定義に疑問を呈している。
細胞の振舞は人間社会に似ていると書いたが、細胞に作用するウィルスは人間社会に当てはめると何になるのか、考えてみた。
俺が思うに、人間社会におけるウィルスはテクノロジーではないのか。
例えばスマートフォン。人間の生活を大いに変えてきた。
人間がスマートフォンを利用しているのか、スマートフォンが人間を支配しているのか。
スマホ中毒なる言葉は、その主従関係が倒錯していることを示している。
人間とスマートフォンの関係はウィルスが細胞に与える影響に似ている、と思う。
ゆえに、人間社会におけるウィルスはテクノロジーではないのかと考えた。
テクノロジーは自己発展し、それが毒にも薬にもなる。
高度に発展したAIは生物と無生物のあいだを超えるのか?
細胞と社会の相似性を考える。
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ウィルスは生物であるという信念を持つウィルス学者が書く生物とウイルスの共生の話。細胞膜とタンパク質を合成するリボソームを持たないが遺伝情報を保有する核酸を持つのがウイルスである。RNAウィルスだけではなくDNAウィルスもいる。さまざまな種類があり、生物のDNAに紛れ込んだり、ジガバチが宿主に卵を産む際、ウィルスが宿主の行動をコントロールし孵化に対して都合よく物事を進める鍵(宿主をタイミングよく殺したりする)となる。代謝しないことがウイルス非生物論の元となっていることがあるが、他の生物の力を借りて生きることは一般的であり、何もウィルスに限ったことではないというのが著者の論点。
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新型インフルエンザ、エイズ、エボラ出血熱など、数々の感染症を引き起こし忌み嫌われるウイルス。しかし、近年の研究で実は、私たちの進化に大きな貢献をしてきたことが明らかになってきました。
本書はそんなウイルスとは何か、どのように発見されたのかという基礎的な話に始まり、災厄を招くばかりでないウイルスの意外な側面を紹介。生命のようであり、またそうでもないような特徴をもつウイルスの存在から、「生命とは何か」を考えるきっかけとなる一冊です。
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細胞をもたない単純な姿のため非生物とされがちなウイルス。しかし「細胞」をもつとは言い難い共生細菌や遺伝子数が千を超える巨大ウイルスの発見で境界はぐらついてるとか。
ウイルスとは何か,生命とは何かを問いかけるために提出された極めて重要な概念を「丸刈りのパラドックス」と呼んだり,なかなか親しみやすく書かれてる。なぜ「禿頭のパラドックス」にしなかったのかがちょっとだけ気になるけど(笑)
“「ある中学生の髪がどこまで伸びたら丸刈りでなくなるのか」という問題を、本書では「丸刈りのパラドックス」と呼ぶことにする”p.56
タンパク質を作るリボソームを高性能3Dプリンターに喩えたり,導入部分での比喩も分かりやすくて親切。
そして部屋(細胞膜)の住人(DNA)は分身の術を会得していて,部屋にあるすべてのものの設計図も記憶している。この住人は分身の術を使うたびに部屋を2倍の大きさにして,二部屋に区切る。
ウイルスは部屋も家財も持たない家なき子。
不憫であるが実は逞しく,他人が住む部屋に侵入すると,自らの分身の術と設計図と,その部屋にある3Dプリンターを駆使してどんどん増えていき,あっという間に乗っ取ってしまう。
最終的には作ったレインコートを羽織って部屋を壊して出ていく。
スタンリーらによるTMVの結晶化の発見に絡めて問いかけられたテーマ,
“ウイルスは純化するとただのタンパク質と核酸という分子になってしまう。しかし一方、生きた宿主の細胞に入るとあたかも生命体のように増殖し、進化する存在となる。…どちらにウイルスの本当の顔があるのか…本書の底流となるテーマでもある”p.50
最後のあたりの力説で,著者なりの結論となってるんだけど,読んでて「ウイルスは生きてる,なるほど!」と感化されてしまった。いろんな境界生物がいるんだなあ。世界は奥が深い。
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内容メモ。
第一章 生命を持った感染性の液体
・マルティス.ベイエリンクー枠を突き抜けた純度を持つ男
研究に没頭した人生、孤独、卓越した見識と科学に対する妥協なき真摯な姿勢。
・生命を持った感染性の液体
シャンベラン濾過器によるウイルス(濾過性病原体)の発見、ベイエリンクはTMV(タバコモザイクウイルス)を発見。微生物ではなぬ可溶性の生きた分子であると主張。「液体」とした彼の表現、常識にとらわれない踏み込みの深さがベイエリンクの真骨頂。
・結晶化する「生命体?」
生命現象におけるタンパク質の重要性。TMVの結晶化に成功。ウイルスが、ただの物質のように結晶化する存在であることを示したスタンリーの発見、その最大の驚きは、それまで自明のものと考えられていた生命と物質の境界を曖昧にしたことである。ウイルス発見は純化するとただのタンパク質と核酸という分子になってしまうが、宿主の細胞に入るとあたかも生命体のように増殖し進化する。この二面性のどちらにウイルスの本当の顔があるのか?
第2章 丸刈りのパラドクス
・丸刈りのパラドクス
筆者の学生時代のエピソード。髪の毛何㎝をもって丸刈りと規定するか?同じように、ウイルスとは、生命とは何か?(生物の形質は一般的に連続値となることが多く何かの区分を作った場合、どこで線を引くべきか、問題になる。)
・細胞とウイルス
細胞とウイルスの構造の違いと、関係性について言及。ウイルスは“家なき子”。他人が住む部屋(細胞)へと侵入して部屋の中の家財道具を平気で使い、分身の術で自身を増やし、意気揚々と部屋を出ていく。
・ウイルスの基本的な構造
一般的にゲノム核酸をキャプシドというタンパク質で包み込んでいる(例外もある)。比較的多くのウイルスに共通するのが“エンベロープ”←宿主の細胞膜を剥ぎ取って作る。
・ウイルスのゲノム核酸
二本鎖DNA、一本鎖DNA,二本鎖RNA,一本鎖RNAと種類はさまざま。
・ウイルスの境界領域その1ー転移因子
ウイルスと類似性があるが宿主に病気を起こさない転移因子。アメリカの女性植物遺伝学者バーバラ・マクリントックによって発見された。一定の長さの配列がゲノムDNA上を「転移する」(動く)。DNAトランスポゾンとレトロトランスポゾンの2種の大きなグループがある。
レトロウイルスとLTRレトロトランスポゾンは限りなく類似している。唯一の違いは、前者がエンベロープを作り細胞外に出ていく(他の細胞に感染する)のに対し、後者はエンベロープを作らず感染性をもたないこと。これらは共通の祖先から発生したものと考えるのが妥当である。
・ウイルスの境界領域その2ーキャプシドを持たないウイルス
感染性がはっきりしない、感染しても病気を起こさないウイルスたちのなかには、キャプシドを持たないウイルスの多くが発見されている。もともとは普通のウイルスだったが、キャプシドを失い感染性を失ったもと考えられる。このように細胞質にずっと存在し増殖しうる核酸性因子の代表的存在がプラスミド。染色体DNAとは独立して自律的に複製を行う。
ウイルス、転���因子、プラスミド。これらは実際的にひとつながりである。安定して子孫(自己のコピー)を残す能力がある限り、なんらかの“進化”が起こりうるのは言うまでもない。ウイルスと呼ばれようが転移因子と呼ばれようが人間の作ったしきりの枠内に収まるかどうかは、それらにとってどうでもよいことである。
第三章 宿主と共生するウイルスたち
・エイリアン
寄生バチの幼虫が寄主を殺さず体外に出てくる奇妙な現象について。映画「エイリアン」を例にとって説明。
・ ポリドナウイルス
寄生バチメスの卵巣にあるカリックス細胞でのみ増殖する。産卵の際、卵と同時に寄主体内へ注入され、寄主の細胞に感染する。しかし通常のウイルスのように感染細胞内で増殖することはない。寄主のゲノムDNAからウイルスの遺伝子を発現させ、その産物であるタンパク質を寄主体内で生産する。このタンパク質が、顆粒細胞のアポトーシスを誘導したり、NF-κBという自然免疫の中心をなすタンパク質をターゲットとしてその活性を阻害する。さらに昆虫ホルモンの異常を引き起こし、寄主に変態を起こさせないようにする。
このようにポリドナウイルスは寄主である寄生バチに都合の良いように振る舞い一種の共生関係を築いている。「共生するウイルス」なのである。
・不思議に満ちたポリドナウイルスの起源
ポリドナウイルスは多数の環状DNAからなるが、通常ウイルスが持っているはずの自己の複製酵素やキャプシドタンパク質などの遺伝子を持たない。どうやって自己を増やすのか?答えは、寄生バチのゲノムDNA上にポリドナウイルスのキャプシドやエンベロープタンパク質等の遺伝子情報がコードされていたのだ。このようなものが本当にウイルスと呼べるのか?→実はポリドナウイルスは、昆虫に感染するヌディウイルスに由来することが明らかになった。ポリドナウイルスはそのむかし、ヌディウイルスのように寄生バチのDNA内に入り込んだ。しかし何がきっかけとなったか不思議に思えるが、作ったウイルス粒子内に自己DNAではなく寄生バチのゲノムDNAの一部を取り入れるようになった。そして自分自身は転移因子のように細胞外に出ることのない存在になり、自らが作ったウイルス粒子を、寄主細胞をコントロールするための「分子兵器」として寄生バチに提供するようになったのだろう。
・聖アントニウスの火
中世ヨーロッパで流行した疫病。ライ麦のエンドファイト(共生菌)である麦角菌が生産する麦角アルカロイドが原因。そんなエンドファイトと共生するウイルスの話。ウイルスがエンドファイトに感染→エンドファイトの植物との共生能力が発揮されるケースもある。(パニックグラスは65℃の高温にも耐える、これはウイルスが感染したエンドファイトを持つため。)
このようにウイルス感染が宿主に何らかのメリットを与えている事例が多々あることがわかってきている。
人間の場合だと、ヘルペスウイルスの潜伏感染によりインターフェロン生産が増え、マクロファージが全身にわたって活性化→リステリア菌やペスト菌に感染しにくくなる、など。感染の際に内在化して宿主ゲノムと一体となり、今は外から新たにやってくるレトロウイルスに対してガード役として活躍している。
第四章 伽藍とバザール
・伽藍とバザール
コンピューターソフトウェアの開発様式の対比から生まれた概念。伽藍=大企業主で開発される様式/バザール=中心となる企業がなく、色んな技術者がパーツとなるソフトウェアを持ち寄る形式。
生命進化もまた一部はバザール型進化でありウイルスやその関連因子が関与している。
・胎盤形成
シンシチン(母親の免疫系による攻撃から胎児を保護する合胞体性栄養膜の形成に関与)というタンパク質は、レトロウイルスが持つenvという遺伝子に起源を持つ。envタンパク質は宿主細胞の細胞膜に融合する性質。即ちシンシチンは細胞融合を起こして合胞体性栄養膜を作り、多数の核を有する一つの巨大な細胞の層となることで免疫細胞が子宮血管から胎児側へ侵入するのを防いでいる。
・V(D)J再構成
抗体分子の可変部(V領域、D領域、J領域)の多様性に関与する酵素(RAG1,RAG2)は、トランスポゼース(トランスポゾンの転移を触媒する)という酵素と遺伝子配列上の類似がある。解析の結果RAG1は転移因子に起源を持つことが分かった。
胎盤形成や抗体の多様性。生物進化は、ウイルス関連因子の役割ぬきに語れないものがある。
・遺伝子制御モジュール
転移因子が遺伝子発現をオンオフするスイッチになったり、ボリュームを調節する役割を持つ場合もある。元となったウイルスが我々に偶然感染し、ヒトの遺伝子に転写開始位置を提供し、それ自体は因子としての活性を失ったが、スイッチ機能のみは失っておらずそれが利用されているのだ。
・空飛び、海泳ぐ遺伝子
原核生物の遺伝子の少なくとも1割以上は親からではなくゆきずりの他人から譲り受けている(遺伝子の水平移行)。
毒素合成遺伝子を取り込んだλファージが無害な菌に感染することで、無害だった菌が有害な菌に変わることがある。(腸管出血性大腸菌O157株の生産するベロ毒素は、赤痢菌のシガ毒素と同一。)また、海洋ではシアノバクテリアに感染するシアノファージのもつ皇后背関連遺伝子が、海洋の生態系のなかで遺伝子をかき混ぜる役割を果たしてきた。
・遺伝子を運ぶ「オルガネラ」?
ウイルスは、遺伝子を細胞から細胞へと水平移動させるオルガネラ(細胞小器官)である、という「ウイルス進化論」。「遺伝子を水平移行するための装置」=GTAの発見。これは非ウイルス性、非プラスミド性因子で形体はファージに似ているが、ファージと異なりGTAに入ってるDNAの配列は個々に異なり全て宿主細菌のゲノムDNA由来だった。このGTAの遺伝子水平移行は異なる細菌間での遺伝子の交換、すなわち「交配」の役割を担っている。
第5章 ウイルスから生命を考える
・手足のイドラ(幻影)
ウイルスに手足を付けると生物のように見える。地球上には多種多様な生物が生息しているが、生きているといえるのか?と思うような生き物も少なくない。
・「移ろいゆく現象」としての生命
生命の本質は、漸進的に、かつ恐らく半保存的に、変化・発展していくことにある。表面的な姿かたちや機能は時と共に変わっていく。細菌や人間は進化の中で全て繋がっている。
・ウイルスと代謝
ウイルスは代謝しないので生命で���ない、という主張について。
ヒトだって自己の維持に必要な代謝系の一部を外部環境に依存しており、決して自己完結はしていない。生物として単独で代謝経路を保有することは必須ではない。
・生命の鼓動
ジェラルド・ジョイスは生命の定義について“生命とは、ダーウィン進化する能力を持つ、持続的な化学システムである”とした。これはNASAによる生命の定義にも採択されている。生命最大の特徴は、自己を維持しながらも、そこからの展開・発展を繰り返すことであり、これが進化と呼ばれるプロセスである。進化は「自己のコピーを作る仕組みを持つ」、「そのコピーにバリエーション(変異)を生み出す性質を持つ」という原理を内包する。
ウイルスはこの原理を内包した装置を保有しており、「生命の鼓動」を奏でている存在である。
終章 新しいウイルス観と生命の輪
・開かれた「パンドラ」の箱
人類が知ってはいけなかった新しいウイルスパンドラウイルスの発見。それは細胞構造を持っておらずウイルスとしても奇異な形態だった。このウイルスはインフルエンザウイルスなどより体積比1000倍も大きく細菌に近いサイズで、キャプシドの内側に脂質膜があり、2本鎖DNAをもつ。キャプシドとエンベロープの一部に開口部がある。これまでのウイルスの常識には無い構造だった。さらにゲノムサイズが大きいことからパンドラウイルスは物理的には「細菌」に近い。その遺伝子の93%は他のどんな生物とも似ていないまさに「エイリアン」のような存在。
・生物に限りなく近い巨大ウイルスたち
ウイルスはより速く効率的に増殖するためにゲノムを単純化させコンパクトにする方向で進化してきたと考えられてきたが、ミミウイルスやパンドラウイルスのようなジャイアントウイルスを見れば決したそのような一方通行の進化ではなく、彼らは驚くべき速度で遺伝子を溜め込み「生物」へと近づいているようにも見える。
イオンチャネルなどの膜輸送システムを持っていかれるクロロウイルスも発見された。これはいわゆる「細胞膜」としての機能の始まりと捉えられる。ウイルスは「進化のロジック」を内包した装置を保有しており、様々に変化しうる存在である。パンドラウイルスの発見は新しいウイルス観、新しい生命観への扉を開いた出来事だった。
・そして生命の輪
「一個の生物」とは?人間は自我の意識によって世界を認識している。しかし生物としてのヒトは個体としての意識ほどには他から独立していない。腸内細菌、常在菌やミトコンドリアなど多数の他者の助けを借りて生きており、生物として独立はしていない。
生命の様式は、あえて形容するなら、生き物同氏が繋がった「生命の輪」とでも言うしかない。そしてウイルスもそのなかにいる。ウイルスは確かに細胞性生物とは少し異なっているが「生命の鼓動」を奏でる存在であり、生物進化に大きな彩りを添えてきた。ウイルスは生命の輪に無くてはならない重要な一員である。
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どちらかというと生物ではないという意見が主流なウイルスであるが、生物の進化はもちろん、さまざまな生命活動に密接に関わっており、それ自体も生命につながる存在であるからウイルスは生きているんだ!という主張と思われます。
なんとも言えないけど、ウイルスに関する様々な話がとても興味深く、この宇宙は何でこんな複雑な仕組みを矛盾なく作りあげたんだろうと空恐ろしくなります。
この世界は人間には解けない謎が多過ぎる。
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●ウイルスが、人間をはじめとした様々な生物を進化させてきたのだといった話は、それほど突飛なことではないのだと感じた。