紙の本
「三つの寂しさと向き合う」
2019/11/10 20:20
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:6EQUJ5 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「三つの寂しさ」の意味するところは、
一 もはや日本は工業立国ではない
二 もはや日本は、成長社会ではない
三 もはやこの国は、アジア唯一の先進国ではない
ということ。
様々な示唆に富んだ一冊でした。
電子書籍
下り坂をそろそろと下れる人はどれだけいる?
2016/05/01 11:17
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ジョーダンスペース - この投稿者のレビュー一覧を見る
コミュニケーション、芸術、創造性、を重視した教育、地方再生。日本の未来への処方箋の一手法として参考になる本だと思う。
投稿元:
レビューを見る
本書における平田オリザ氏の考えに概ね同意する。内容としては、コミュニケーションや演劇について書かれたものではなく、エッセイのようなものであると感じた。
投稿元:
レビューを見る
・交流人口と定住人口の間に関係人口という考え方が必要。
・昼間に子供を預けて映画を観に行ける、失業者が劇場に行ける、そんな社会。
・仕事があるかないかではなく、面白いかつまらないか、偶然の出会いがあるかどうかが、若者の定住を左右する。
勝つかいかに負けるか、ではなく、いかに負けるか、というのは確かに寂しいかもしれない。でも、やっぱりこんな豊かで安全で清潔で規則正しい国って他にはないと思うし、それをただただ褒めちぎるでもけなすでもなく、真正面から向き合って、これからどう坂を下って行くかを考えて行動していくっていうのは、それはそれで面白いことだよなぁって思った。
投稿元:
レビューを見る
オリザ本は反射的に買う。重複の多い著者なのは分かっている。しかしその中に読んでいない部分を探すのも楽しく、その洞察には心奪われてしまうのだから仕方がない。今回も「読んだことのあるオリザ本」に大別されるものであったが、文化政策に対する考えを先鋭化させたような内容で手応えのようなものはあった。帯に内田樹が一筆書いているが、彼がかねてから主張している「コントロールされた経済縮小」の大きな流れにある内容なので、読み手としてはしっくりくる人選。それにしても日本(の地方)はこのままでは完全に干からびてしまう。この本の提言は決して軽視できない。また、これからの総芸術家時代を生きるアーティストにとって一種の生きる指針だ。
投稿元:
レビューを見る
20160428読了。
これからの日本は、アジア唯一の先進国ではない、という自覚を持つこと。
つまり、日本という国家を客観的に理解し、他国への理解を深めることが重要なのだろう。
そのためのコミュニケーション教育が足りていない。
地方再生の手段は、文化的に自立すること。
投稿元:
レビューを見る
坂を下る寂しさを最も感じているのは著者を含め、我々の世代なのだ。戦争を知らないどころか、安保闘争や全共闘だって知らないに等しく、高度成長期の真っただ中で育った。日本経済が衰退し、人口減少に転じるなんて考えもしなかった。でも、下り坂を下りだして随分と久しいんだよ。上りがあまりに急勾配だったから、今は急降下に思えるけれど、それなりにそろそろ下っていると思う。それこそ「これでいいのだ」。小豆島、城崎、善通寺が「文化の自己決定能力」を向上させて、狭義的には演劇で地域活性化する事例はひとつの参考になる。ただ、文化抜きの地域自立はありえないって極論は、結局都会の模倣を促しているんじゃなかろうか。それにある意味、彼らは未だに上ろうとしてるし。
投稿元:
レビューを見る
あまり好きな文句ではないですが、200本以上のレビューをアップしているこのサイトで初めて使うのでお許しいただきたい。
いま、読むべき本だと思います。
理由は大きく2つ。
ひとつは人口減少や成熟社会という時宜にかなった(そして恐らく向後、さらに重要になる)テーマを扱っているから。
もうひとつはヘイトスピーチに代表されるように不寛容な空気が世の中を覆う中にあって、どのように身を処して行けばよいか、その方途を示しているからです。
云うまでもなく、日本はすでに人口減少局面に入っています。
本書で云うところの「下り坂」です。
ただ、衰退する中でもキラリと光る取り組みを続けている地域があります。
香川県の小豆島町(人口約1万5,000人)では、ここ数年、年間100人以上のIターン者を受け入れています。
基幹産業が比較的しっかりしており、自然が豊かな割に航路が多くて比較的便利、という背景もありますが、著者はその決定打として「アート」を挙げます。
Iターン者の多くは、瀬戸内国際芸術祭をきっかけにこの島を訪れ、移住を決めるそうです。
町も同芸術祭の専門部署を設置し、アートに関する取り組みを進めています。
特徴的なのは、「交流人口」と「定住人口」の間に「関係人口」という新しい概念を設け、町と関係を持つ人を増やしていこうとしていることです。
兵庫県豊岡市城崎には、県立城崎大会議館という施設がありましたが、稼働率が低く「お荷物施設」でした。
この施設の払い下げを受けた豊岡市では、国内最大級のレジデンス施設(宿泊施設を備えたアートスペース)として「城崎国際アートセンター」にリニューアルし、施設利用料無料でアーティストを受け入れ、活況を呈しています。
世界トップクラスのアーティストが訪れて町民と交流し、世界的にも一流の公演の初演がこのセンターで行われることもあります。
この仕掛けを作った豊岡市の中貝市長は「これまで、多くの人びとが『上り列車』に乗って故郷を離れ、そのほとんどは帰ってきませんでした。地方は衰退し、誇りも失っていきました。しかし今、豊岡は小さな世界都市に向けて着実に歩んでいます」と意気軒高。
これを受け、著者は「選んでもらえる町を作るには、自己肯定感を引き出す、広い意味での文化政策とハイセンスなイメージ作りが必要だ」と述べています。
四国学院大学は、「ここに、共に学ぶ仲間を探しています」と高らかに宣誓し、入試制度改革に踏み切りました。
具体的には、アウトプットを意識したグループワークを課し、その後にグループワークを振り返りながら行う個別のインタビューを実施します。
これまでの入試のように「優秀な人」を選抜するのではありません、「独創的なアイデアで組織を引っ張っていく人」「豊富な知識を持ち何でも相談に乗ってくれる人」「組織が危機に瀕したときにユーモアで人々を鼓舞できる人」など、一人ひとりの長所を発見し、4年間、共に学ぶ仲間を集めるのです。
本書で紹介されている事例は、どれも手探りの取り組みばかりですが、かつての成長社会のように立派な施設を作ったり、���用の場を増やすため大企業誘致に乗り出したりといったことではなく、地に足を付けて自らの頭で考え、時代に適応しようとしているように見受けられます。
とはいえ、人口減少が進むわが国では、総体としては気の遠くなるほど長い「下り坂」がこれから待ち構えています。
それはまさに「寂しい」道程となるでしょう。
その寂しさに耐えられず、どこかにうまい汁を吸っていると疑心暗鬼になり、息苦しい社会になってきています。
一昔前なら口にすることさえ憚られるような野蛮なヘイトスピーチも珍しくなくなりました。
珍しくなくなったどころか、私自身のSNSのタイムラインにも普通に流れてくるようになり、しかも多くの賛同を集めているのを見るにつけ鼻白みます。
著者は①もはや日本は、工業立国ではない②もはや日本は、成長社会ではない③もはやこの国は、アジア唯一の先進国ではない―の「3つの寂しさ」と向き合うことを提唱しています。
大丈夫、悪い事ばかりではありません。
著者のこんな言葉に励まされます。
「そろそろと下る坂道から見た夕焼け雲も、他の味わいがきっとある。夕暮れの寂しさに歯を食いしばりながら、『明日は晴れか』と小さく呟き、今日も、この坂を下りていこう。」
投稿元:
レビューを見る
まあ言わんとしていることは理解できるし、
こういう考えが必要だと思います。
でも、大体がどこかで聞いた・読んだ話が、
多かったかなと。
後、司馬史観的(司馬遼太郎氏の歴史把握)なものが
中心となっていて、少し違和感があります。
司馬氏の小説はあくまで小説で、思想史や哲学、
人文系論を語るのには違うかなと思います。
正岡子規
”世の人は四国猿とぞ笑うなる。四国の猿の子猿ぞわれは”
出身ではないですが、子供のころ讃岐に住んでいました。
投稿元:
レビューを見る
思いがけず、四国(徳島だけど)にこの本をようやく読んだ。身体的文化資本(p107)を育てるような取り組み、私もしていきたいと切に思う。
投稿元:
レビューを見る
平田オリザ著の日本人のあり方、文化を育む国、国民の進むべき道を考察した芸術論。
地方から人がいなくなっていく。まちおこし、まちづくりには、雇用や住宅ではなく、自己肯定感を引き出す、ハイセンスなイメージ作りが大切。阪大の選抜試験においては、小論文と演劇をチームでつくる課題を出した。見たいのは、疲れていても他人に優しくなれるか、価値観の違った考えに耳を傾けられるか、創造性や合意形成能力である。センスや立ち居振る舞いなどの身体的文化資本は二十歳くらいまでに決定される。ホンモノに触れることが大切だ。小学校では朝の読書運動が広がる。家から本を持ってきて読む、最初はマンガでもよい。でも、家に一冊も本がない家があるという。文化資本の格差は大きい。ホンモノに触れること、子供に触れさせること、大人が突きつけられる厳しい課題だ。自分も、母に連れられていった大山からの景色、シャガールの不思議な絵、ターナーの船と海と光の美しい絵画は忘れない。いま感謝していることの一つだ。
阪大梅棹忠夫のことば、
請われれば一差し舞える人物になれ
素敵な一文だと思った。
投稿元:
レビューを見る
劇作家であり、日本有数の演劇人、平田オリザの発する、現在の日本社会への処方箋。
日本社会を、「下り坂を下っていくことには、寂しさがつきまとう。」と捉え、東京と地方との文化資本の格差がもらたしている弊害、コミュニケーション教育の重要性、地域復興の処方箋としての文化政策、文化的側面からの少子化対策を示唆する良著である。
(以下、引用)
子育て中のお母さんが、昼間に、子どもを保育所に預けて芝居や映画を観にいっても、後ろ指をさされない社会を作ること。
私は、この視点が、今の少子化対策に最も欠けている部分だと考える。経済のことは重要だ。待機児童の解消は絶対的急務だ。
しかし、それだけでは、おそらく非婚化・晩婚化の傾向は変わらないし少子化も解消されない。
女性だけが、結婚や出産によって、それまで享受してきた何かを犠牲にしなければならない、そんな不条理な社会を変えていく必要がある。その「何か」はけっして経済や労働のことだけではないだろう。精神的な側面、文化的側面に目を向けずに、鼻面に、にんじんをぶら下げるようにして「さぁ働け」とけしかけるような施策をとるから、「何も、ちっとも分かっていない」と思われてしまうのだ。
そもそも結婚や出産は、きわめて個人的な事柄なのだから、政策でやれることは限られている。そろそろ文化的な面に目を向ける少子化対策が出てきてもいい頃だろう。
下り坂を下っていくことには、寂しさがつきまとう。
競争と排除の論理から抜け出し、寛容と包摂の社会へ。道のりは長く厳しいが、私はこれ以外に、この下り坂を、ゆっくりと下っていく方法はないと思う。
投稿元:
レビューを見る
劇作家の書く日本の将来、ということで書店で手に取ってしばらく逡巡してから買いました。(ネット検索では決してたどり着けなかった本だと思います)
内容は、主に四国、福島からみた、地方の視点から、「日本の将来をどうするか」論。
なぜ若者は都会へ流出していくのか。
そこに「出会い」があるから。田舎に残っていてもいるのは幼馴染しかいない。
若者を外に出さない、面白いマチをつくる試みが必要だが、四国には本四架橋が3本かかってしまった。若者は一回外に出る、しかし、戻ろうと思えるようになるためにマチをつっておかなければならない。
劇作家の視点ってどんな視点だろう、と思いつつ読み進めると工夫と逆転の思考の連続です。
自信がこの本の中で書いているのは、「我が子の病気のためにアメリカで手術を受けるための募金を集めようとする両親、という劇を書くとする。そのとき一番そぐわない両親は?と考える。医師か。政治家か。NPO法人でアフリカのために募金をしている夫婦である。意地悪なようだがこれが劇作家の思考である。」
なるほど。
地域再生本として書かれている本よりずっと参考になる、好著です。
投稿元:
レビューを見る
心を豊かにするのは文化、芸術だ!
演劇指導を通して、文化人を育て、心を豊かにして、新しい、もしくはその土地ならではのアイデンティティを創造して、世界に発信する。
中央政権に依存せず、自分、チームを見つめて、オロオロと踏ん張るのが大事ですね
投稿元:
レビューを見る
劇作家・演出家として知られる平田さんの最新著。Aさんに勧められて読みました。
〈あたらしい「この国のかたち」〉と副題にあるように、これからの日本社会に対して、ご自身の活動(表現・文化)を通しての問題提起、興味深く読みました。特に、「文化の自己決定能力」に強い関心を持ちました。たくさんの表現に触れる機会を誰もが持つことができる経験を蓄積すること、その上で市民の自主的な活動を支える施策(場所の確保・資金等)を豊かに実施することが重要で、そういう中でこそ人は育つのだと思います。
音楽好きの僕としては、もっと機会があれば、ライブなどももっと安くいけたらと常日頃思っています。プレーヤーとしての活動はちょっとお休み状態ですが、どこかで再開したいですね。
本の中では、宮沢賢治の残した言葉が紹介されていました。
「誰人もみな芸術家たる感受性をなせ
個性の優れる方面に於て各々止むなき表現をなせ
然もめいめいえそのそのときどきの芸術家である」
大阪では公共施設が減らされ、活動をする場所が少なくなっています。この流れも変えないといけないです。
地域を見つめる目をもっと豊かに深く考えることが、自分の課題だなと思いました。
お勧めの一冊です。