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ばななさんの近況書き下ろしエッセイ。
"いつも去年"の項で 共に数年前に亡くなった ご両親の死を "いつも去年の事のように思う。
きっと心のどこかでは、自分が八十歳になっても そう思っているのだろう。そう思っている自分を 庭で拾ったきれいで大きな木の葉で包むみたいに 年を取っていくのだろう。"
この文章に あたたかい愛があふれていて
心に残りました。
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ばななさんの近年のエッセイの中で一番好きな作品かもしれない。
彼女と同じように、一人息子を育てている母親としては、胸がきゅっと切なくなる息子さんとのエピソードもいくつかあった。
二歳の我が子、やんちゃでイヤイヤ真っ盛りでうんざりしてしまうことも多々あるけれど、きっと過ぎ去ってみれば宝物のような日々なのに違いない。
慈しみながら過ごしていきたいと改めて思った。
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エッセイ集。最後の天空の森がとても胸にしみました。いつか振り返った時にこの日々も懐かしく思うんだろうな、今が昔の日々からもう戻れないほど遠くにきてしまったように。それなら優しい気持ちで振り返れるように毎日を積み重ねたいなぁ、そんなことを思いました。特定の誰かに向けて書いてるような愚痴っぽい文も多かったので☆−2で。
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やはり、自分を取り戻すときにはばななさん。
あっこちゃんおばさんからもらった「勇気の光」に泣く。こういうふうに、私もありたい。
そして、ちゃんと受け止めてくれる人との繋がりを生きている間に丁寧に時間をかけて紡ぎたい。
自分の身体、酷使してきた身体、
労りたいというばななさんの気持ち、わかる。
私もそうだから。
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30代を目前に控えた私には、まだ早いなと思った。「自分のペースで無理なく、自分の大切なものだけを大切に思う」そんな生活はただしい。正しいけど、今の私にはまだ早い。45歳くらいになったら、また読んでみたいと思う。
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自分がキリキリしていると感じたら、自分の仕事を減らす。女はキリキリするととにかく体に悪い。子宮という特殊な内臓に悪いをただそれだけのことだ。秘訣。
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後半お腹一杯食傷気分。
気持ちが疲れてんのか
自己主張が強く感じて
いまひとつ受け入れられなかった。
【図書館・初読・11月4日読了】
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図書館で時系列を無視して借りているから、読んでいてこの本が最近のだと途中で気づいた。
私にとってはDVDのまとめ借りみたいに、一気に読み進む作者の何十年の日々だけど、
当たり前だけど、1日1日が、作者さんにとっては1日1日、一歩一歩だったのだなぁと、しみじみと思った。
コーヒー屋さんですっきり1冊読み終わり。
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神様って、その人の覚悟だけを見ていて、神様をあてにしないで覚悟のままにがんばれば最後の最後のひとおしだけは手伝ってくれるんですって
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ばななさんの小説にはまったのはTSUGUMIからのN・Pで、
エッセイなども含めてすべての本を読み漁りました。
しかしながら一時期、なにか違和感を覚えて遠ざかっていました。
大人になってからまた読むようになりました。
多分、一時期離れたのは違和感に対処できなかったからかなと思います。
はまっていただけに、本の中で正しいこととして語られている事柄が
自分は正しいと思えないとき、うまく自分の中で消化できなかったのです。
大人になってある程度自分の考えが確立されたせいなのか
違和感はあってもそれに戸惑うことはなくなりました。
今回のこの本にもところどころ違和感はありました。
でも、ここは一緒だけれどここは私の考えとは違う。ただそれだけのことだ、と思えるようになりました。
私は数年前に愛犬を亡くしましたが、数年経ったということが全く信じられない状態なので、『いつも去年』に大変共感を覚えました。
プライベートのときに仕事の話は野暮だという感覚、確かに最近の人には無さそうです。
プライベートでも顔を売ってなんとかして繋ごうというのがむしろやり手に思われています。
お礼もせずに聞き逃げをするような人からアイディアを守るためにはお金を取るしかないというのも確かにそうです。
でも、なんだか寂しいなと思います。
対価を払うのは当たり前ですが、今の世の中「こんなことでお金を取るの?」と思うことにはちょくちょく出会います。
反対に、これぽっちのお金でこんなに大切なことを教えてもらって良いのだろうか、と思うこともちょくちょくあります。
自分は後者でいたいし、後者の人にお金を落としていきたいなと思っています。
身体が表に出ない痛みを肩代わりしてきた、という言葉にも共感です。
自分の身体のことが自分で一番わかっていなかったりして、身体に不具合が出て初めて
「私、そんなに辛かったんだ」と気がついたことは何度かありますし、十代の頃のように体力にまかせて酷使せず
大切に労ってメンテナンスしてあげようと思っています。
肉体を器だと私は思っていて、よくある言い方だと思うのですが、馬という表現もまた面白いです。
馬に乗って、馬の面倒を見ながら人馬一体でする旅という考え方は素敵だなと思いました。
だめもと詐欺という言葉、面白いし確かに、と頷いてしまいました。だめでもともと、OKだったら儲けもの、というだめもとで無茶を言い、相手が考えなしだったり、いい人過ぎてことわれなかったりするのを狙っている
誠実さのない人に、時々出会うようになってしまったなと思います。
これも近代日本の良くないところです。
残念ながら、できるだけそうしたことからは距離を置き、自分はけしてしないという対処しかできないのでしょう。
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エッセイ集のなかで、彼女がこれまで人生の中で受けた矛盾や葛藤を見せつけられた。
私も、これから30代、40代、50代と駆け抜けていく中でこういった人生の矛盾と歩いていかなければいけないのかと思うと少しくらくなったが、彼女の言っていた、気にしない、自分の思うようにすればいい、周りのスタンダートにとらわれるなというメッセージに大分、心が軽くなった。
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旦那さんの病院に付き添って受付の前の席で読み切ってしまった一冊。
吉本さんのエッセイは久しぶり。一時ばななさんの文章を読むのが少し大変に思う時期もあったけれど、息子さんを産んでからまた読みやすくなったきがする。
大好きな叔母さんの死、息子さんとの思い出、分かり合えないこと、ばななさんの思ったこと、考えたこと、うれしかったこと、哀しかったこと。
やっぱり好きな作家さんだ。
そして白河夜船が再読再読したくなる、映画も見よう。
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違うことをしないこと、を読んだあとだったのだが、これを読むと「違うこと」についてよく理解できるきがする。
読むと自分がとてもニュートラルになれた。大変でない人生はないし、という一文で。
あれもこれもそれも、大きな流れ、自分の居心地の良い老年期がくるんだな。どうしたって人生はままならず、大変だし、でもだからこそ他の誰1人として同じにはならない自分なりの心地良さのバランスを見つけていく。
清志郎さんのイヤシノウタ、の歌詞がいい。そうはさせない、って。それが人生ー!ってかんじ。
わたしも、自然のものが好きだが都会的な刺激やアイテムも必要とする。そういう自分の心地よいバランスを見つけていけばよいのか、とホッとした。
周りと違っても、気にしないでいよう、ではなくて、自然と気にならなくなる、というものなのでは。
お酒のくだりがよかったな。あれほど夜更けの空に笑い声を響かせ、何本もワインのボトルを空けて、そうした熱気と笑いの充満していた若い日々のことも否定せず、50代からの自分の身体を労い、身体の声を聴く暮らし、というトーンが心地よい。
ばななさんて入籍をしなかったのね、そしてこれほど「お嫁さんにならなかった」女性たちに対する想いを持った方だったのね。
肉体の恋だと別れる時に身が千切れるように痛みを伴うということ。
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エッセイ。
読んでいると、温かくなる本だった。
やっぱりよしもとばなな。
ドットコムシリーズと違って、読むと落ち着く。
札幌市の図書館で借りた本。
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「死」を強く意識したエッセイだと感じたのは、ばななさんが亡くなる数年前に書かれたものだろうか?
父親の死、自分の終わりかたなどが随所に表れている。
将来、息子さんのお嫁さんと一緒に過ごすのかな、という箇所では、それが実現せずに終わってしまったことに、すごく残念に思ってしまった。息子さんへの愛が溢れる作品。