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詩にちかいような、エッセイ集。
人よりも「物」が好きな装幀家、菊池信義の佇まいが感じられるような文章の数々。
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志ん朝さんの小気味の良い高座を聴いているような、
さっぱりしているのに、じんわりと応えてくる
読み応えのあるエッセイ集
「モノ」の描写が微に入り細に渡り
それはそれは愛おしく綴られておられる
どこかで、こんな感じを持ったなぁ…
そうでした柳宗悦さんのアレでした
まだ梅雨には少し間のある
五月の気持ちの良い風に吹かれながら
読ませてもらった一冊です
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装幀家として氏の名前は目にしていた。文章は初めて。
”余白”という涼やかさがよい。
「よりそい、作品の内から本という形に不可欠な文字の姿や材質、色や図像を読み取り、本という物へ構築するのが装幀者の仕事。」
おそらく多くの文章に触れて来たからだろう、氏の文章にも端正な装幀のように整った美しさがあるなと感じた。装幀のことが多いのかと思ったけど、古道具の趣味のこと、お気に入りの料理屋や宿のこと、日常の出来事が流れるような文章で綴られている。エッセイは、こうした文章の美しさと、感性の豊かさが読み取れるものがよい。
街を歩いていて、花の蕾を見て、
「ひらこうとする力と、ちぢこまろうとする力が拮抗しながら、それでも少し少し、大きくなっていく、健気な蕾が愛おしい。」
ありふれた擬人化とはいえ、“健気”と感じる感性がいいなと思うところ。人、そのものに向けた視線も優しい。
「人はだれも、心に小さな穴があいていて「私」をこぼして生きている。が、当の本人は気付くこともない。そんな「私」に心引かれ、手をさしのべあうどうしが、友達になるのか。」
著者と父親との関係を語った「厄介な」という章が良かった。家族に、息子にさえ厄介をかけることなく早くに逝った父親というのが、自分の父親のこととも重なる。齢を重ねるにつれ、父親と同じように、その不器用さから、なにかと口をつぐんでしまう自分の性分に気づき、
「この厄介な性分こそ、あなたが、息子にかけた、たった一度の厄介なのかもしれません。」
と、父親の内心とシンクロする。その感覚がものすごく分かる。
あるいは、電車の車内で「まだ、そんなこといってるの」と子を叱る母親の声を耳にして、
「まだ、の一語に心震えた。どんな内実にせよ、まだと発する側への恐れと憎しみを感じてきた。」
という一文も、自分の感性と合うところで、非常に印象に残った。
そんななにげない日常の小さな発見を実に丁寧に拾い上げている。ゆっくりゆっくり読んでいたい珠玉のエッセイ。
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装丁についての本かと思って読み始めたら、装幀家さんのエッセイだった。
日常の一コマが、色気のある文章で丁寧に表現されて引き込まれる。読み進めるうちに心が安らいできて、感情を波立たせない本を最近読んでいなかったことに気づいた。
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作家の古井由吉さんが亡くなってしまった。彼の本の装幀者として、その後半生の作品について、多分、すべての本の装幀を手掛けた菊地さんが、今、どのようなお気持ちでいらっしゃるのか、傷ましい限りなのだが、偶然「つつんでひらいて」というドキュメンタリー観て、この本を読んでいるところだった。
この本の中で、菊地さんは一度だけ古井さんについて語っている。彼が、古井さんの本の装幀を続けたのが、なぜなのか、納得がいくエッセイだった。
そのあたりについてはブログに書いたので、読んでいただきたい。
https://plaza.rakuten.co.jp/simakumakun/diary/202002290000/