投稿元:
レビューを見る
表紙カバーの画は、三島由紀夫が煙草を燻らせながら書斎と見受けられる部屋で思案しているかのような様子だ。何か、こういう画のような情況で、彼が語る内容を傾聴するかのような感覚で本作を読み進めた。
一言で言えば、「“作家”が語る作家達、その作品」というような内容である。そして筆者たる三島由紀夫が話す声も聞こえて来そうな文章で、何か引き込まれた。
三島由紀夫は、昭和30年代から昭和40年代に流行った“文学全集”のような出版で編集に携わり、解説文を書くというような機会が在ったのだという。そういう場合、彼は気に入っている作品、作家に関することを綴っていた。気に入らない場合には避けるというような、正直な感じで取組んでいたようだ。
本書の「あとがき」の中、解説を手引きに文学作品を読むというようなことを好むのでもないとしている三島由紀夫だが、それを敢えて自身で手掛けている。結果として「気に入っている作品を綴った作家に関するエッセイ、評論」として面白いモノが纏まっていると思う。
本書では森鴎外、尾崎紅葉、泉鏡花、谷崎潤一郎、内田百輭、牧野信一、稲垣足穂、川端康成、尾崎一雄、外村繁、上林暁、林房雄、武田麟太郎、島木健作、円地文子という作家達、その作品に関することが論じられている。
正直に申し上げる。上述の各作家の中、名前を知っている方も在ったが、知らなかった方も在った。そして、上述の何れの作家の作品以上に、自身は三島由紀夫が綴った作品を読んでいるという情況だ。そういう訳で、三島由紀夫の名調子による紹介で、上記の作家達、その作品を知ったということになる。
上述の各作家の中、林房雄に関しては三島由紀夫が若手作家として世に出ようかというような時期から交流が在ったそうで、―加えておくと、時代が下ってからの対談も出版されていたようだ。―殊に詳しく人物と作品とを論じているように感じた。この部分だけでも、例えば「林房雄さんのこと」という独立した篇として登場しそうな雰囲気が在った。実際、本書所収の他の文章とは少し違う形で先に登場した経過が在ったようだ。
結局、本書所収の各節では「こういうのが…」と三島由紀夫が注目した点等が取上げられ、それに関する考え、逆に御自身の志向の故等によって耳目に深く留まった箇所を挙げている。御自身も様々な想いを込めた小説を多々綴っている訳で、その感覚と目線は研ぎ澄まされているのだと思う。「こういうように観る?」と、少し強く感心しながら本書を読み進めた。
三島由紀夫は様々な文章を綴り、色々な活動にも携わっていたが、何事かを少し踏み込んで解説するような「批評」というような文章はそれ程多くもないようだ。本書はそういう、数少ない「批評」の好例になるのだとも思う。
本書を通じて、取上げられている作家達や作品を「御紹介頂いた」というような感じになる。そういうことなので、一部の作家が綴ったモノに関して、必ずしも本書で取上げられているような作品ではなくとも、読んでみようというように思うようになった。三島由紀夫は「解説を手引きに文学作品を読む?」という感覚のようだが、「彼が綴った文章を手引きに作家や作品を知った」という例が早���登場したというようなことになるかもしれない。
自身の個人的な感じ方ではあるが、三島由紀夫というのは、不器用なようでいながらも、器用に色々な表現をしてみることを続けていたような印象の人物だと思う。本書はそういう印象を深めてくれたかもしれない。