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しめすへんの点々はお供え物から滴り落ちる血だとか、
饅頭の「頭」は、その昔、人頭を神に供えたことから来ているとか、確かに「知れば恐ろしい」話がたくさん。
かごめかごめは
「夜明けの晩に」「鶴と亀」「後ろの正面」とか
対照的なものをくっつけているとか。
花いちもんめは、花=若い女、いちもんめ=お金の単位
で、勝ってうれしい=買ってうれしい、負けてくやしい=(値段を)まけられてくやしいと読むと、人身売買を比喩しているとか。
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日本で昔からある習俗、しきたり、季節の祭事、さらにはおなじみの昔話等々の起源を解説している。
「知れば恐ろしい」というのは、今はどうということのない習わしであっても、かつては死やそれに付随するもの、それに対する当時の日本人の意識が反映されているということなんだが、今よりもはるかに死が身近であった時代では、むしろ当然のことなのだろう。
詳しくはこちらに。
http://rene-tennis.blog.so-net.ne.jp/2016-10-08
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ほぼよく知られたトリビアだが、本来著者は海外についてもしっているのだろうか。それに時々日本文化の深いところへの洞察を感じた
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「しきたり・タブー」「年中行事」「子どもの遊び・わらべ唄」「昔話」の四章から成っている。「夜に口笛を吹いたら蛇が来るよ」「夜爪を切ったら親の死に目に会えないよ」などというのは迷信と思いながらもやってはいけないものとして子どもにも言っている。口笛の話は不吉なものと思っていたが神聖だからこそタブー視されていたことなどの諸説が書かれていておもしろかった。歌詞に意味がないとは言っているのだが「かごめかごめ」の憶測、「花いちもんめ」の一般的な解釈には恐ろしくなった。
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なぜ、夜に爪を切ると「親の死に目にあえない」と言われるのか?「孟蘭盆会(お盆)」の起源は地獄での“逆さ吊り”の刑にあった―日本のしきたりや年中行事、わらべ唄の昔話には、どこか不気味なものや、ルーツに恐ろしい逸話が隠されているものが多い。それはいったいなぜなのか
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現役の教授であり住職でもある作者。恐ろしいと言うよりも実に興味深い。住職だからといって仏教の教え、考えに固執した一冊という訳でもなく、日本神話や各国の神話を交えながら諸説から解いていく内容。
幼少時に親た祖父母から聞いていた説以外にもこんなものがあるのかと、驚いた。
諸説あるのは当然なのだが、いかんせん知りようがないものも多く、そういった事から興味深いです。
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人文学部日本文化学科教授で現役住職の著者が、文献を紐解きながら解説する日本の風習の由来。伝統的な風習や行事に意味を見いだせず興味がない自分でもその由来を知ると面白い。それぞれ諸説あるのものもあろうが本書による盆踊りの起源など知ったら見る目変わるわ。また、常にある恐怖や危険を感じる対象に理屈をつけて非日常として扱うことで平和な日常を過ごそうという知恵という観点を初めて持てた。
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民俗学の本は読んでいておもしろい。特に日本の民俗学に関する著書は、われらのルーツである来し方の日本人が、何を考え、何を怖れて生きてきたのかがわかる。その意味では歴史と共通する部分はあるが、歴史は文字通り「歴史に名を刻んだ」者たちを扱うのに対し、民俗学は名もなき日本人がどんな暮らしをし、いかなる文化の中で生きてきたかを知ることができる。この生活に密着しているところが、歴史とは異なる、身近な楽しさとなるのだろう。
日本人の風習について書かれた本書も、「知れば恐ろしい」という冠がついているが、読んでみればそれほど恐ろしいということもない。なんとなれば著者が古文献にあたり、時代ごとの日本人が感じた恐怖の根拠を合理的に読み解き、説明しているからである。それは、夜道で後ろから聞こえる足音にハッとして、振り返ると家族や隣人が歩いていただけだった、といったときに感じる安心感に似ている。「何かわからない」ものにこそ人は怯えるのであり、根拠が明らかになれば安心する。著者は、花見や七夕といった年中行事、あるいは「えんがちょ」や「かごめかごめ」といった子供の遊びのルーツを解き明かす過程で、そこに潜む恐怖とその根拠を示してくれる。決して独りよがりではない(ときに著者自身の推察もあるが、それにしても何かしらの根拠を示し、それに基づく推察を提示してくれている)、洞察力にあふれた論拠である。だから一時の恐怖にハラハラしつつも、安心して読み進めることができる。
子どもの頃、誰もが遊んだことのあることや、現在にも残る行事といった身近な出来事を通じて、それらのルーツを説いてゆくプロセスは、謎解きのような趣向を帯びる。著者は本業が僧侶だけに、ときに仏教の説法めいた記述もあるが、科学がまだそれほど発達していなかったかつての時代に、宗教の持つ意味や威厳が今よりも大きかったことを思えば、僧侶が古文献に基づいて語る日本人のルーツや習俗は、不思議なほどに説得力を持つのである。
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なぜ、夜に爪を切ると「親の死に目にあえない」と言われるのか?「孟蘭盆会(お盆)」の起源は地獄での“逆さ吊り”の刑にあった―日本のしきたりや年中行事、わらべ唄の昔話には、どこか不気味なものや、ルーツに恐ろしい逸話が隠されているものが多い。それはいったいなぜなのか。風習に潜む恐怖の謎解きをしながら日本人のメンタリティを読み解く。(表紙裏)
内容に比してタイトルが仰々しい。
違和感をぬぐえば、年中行事・童歌・おとぎ話の、いろいろな解釈が語られていて面白かった。
特に、風習や年中行事は、「昔からやっているから」のはじめを知る契機になりえる。
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知っているけど知らない話。
昨今のミックスされた宗教感ではなく、日本が古来からミックスしていた宗教感による逸話や風習。
なるほど、と納得するものもあれば、そうなの?と首を傾げたくなる話もある。
人の創造力の豊かさは、自然と共にあったときの方が力があったのかもしれない。
面白く読んだ。
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過去の人が恐れていたものが現在では色々と解明されていて、昔の人の生活を想像するとそのように考えざるを得ないんだろうなと思い、何だか切ない気持ちになった
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いろんな説があって何が本当なのかは分からない。人間は想像力があるから、想像した話をまた違う人が聞いて想像し、その話をまた違う人が聞いて。。と繰り返してるところもあるのかな?
伝承を考えることは人を知ることだと思いました。
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知れば恐ろしいと書いてあったからホラー系なのかと思ったらそんなことはなく。なるほどと思った話もあれば、うーんと思った話もあった。
深く考えたことがなかったことを考えられるのが面白かった。
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風習には科学的な背景があるものと、ずいぶん無理やりだったり思い込みだったりするものがある。まあ、科学としきたり、どっちが大事かは時と場所によるので、一概にどちらかを否定する気はないが、本書で取り上げるのは、科学ではない方、である。だからこそ「知れば恐ろしい」のか。
一方で、僕は民俗的な話をそれなりに読んだり書いたりしてきたので、通り一遍のことはわかっているつもり、ではある。
たとえばエンガチョは、縁、あるいは穢をちょん切る、と言われるとちょっと怖くなる。けれど、ほんの少ししか書かれていない。扱う項目が多く、掘り下げが深くない。それ故、闇の深さもそれほどには伝わってこない。
何も知らずにただ以前からやっているから(あるいは、やっては駄目だから)、と思っていたなら、この本でうんちくを身につけて、やったりやめたりするのもよいだろう。
だが、やはり現代社会では、いろんなことが怖くなくなってしまったのだ。
けれど、僕にも心あたりがある。本書にも遠野物語の記述がある。遠野の山中に宿泊した時に、本当に闇の中で、遠野物語のことを思い出すと戦慄せざるをえなかったのだ。科学も慣習もわかっているつもりでいても…。
ただ、真の闇は、自分ちのまわりでは手に入らない。医療もしっかりしている。怖いものは少ないから、怖かった風習も、もう怖くはないのだ。
むしろ、今日の風習の怖さは、そのことを知らない、無知による恥ずかしさによる社会的抹殺のほうではないだろうか。ってことは、風習って、マナー? でもみなさん安心して、wikipediaがございますよ。それを信じて自爆。ああやっぱり怖い。
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日本の風習やしきたりのルーツについて考察した一冊。なるほどと思えるものもあってなかなか面白かった。でも、量が多いからそれを誰かに話せるように自分の知識にすることは難しい。
でも春夏秋冬で変化する「おはぎ」の名前については印象に残った。これは誰かに話していこうと思う。