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シャープで技術開発の中心人物だった、「ロケット佐々木」の異名を持つ佐々木正氏のお話し。内容は面白いのだが作風がやや下町ロケット的で、実話をもとにしたノンフィクションノベルといった感じ。
少年時代を台湾で過ごした佐々木氏は、帰国後に軍の命令により技術者として、レーダーや超音波の開発に携わる。戦後は研究職の道を目指すが、シャープ創業者である早川徳次の説得により、シャープの前身である早川電機に入社する事となる。
早川電機入社後の佐々木氏は「共創」の精神で、若い技術者の良き相談相手となり、海外の部品メーカーとの連携も円滑に勤め、社内だけではなく日本の電子産業の中心人物となる。ライバル会社のトップである松下幸之助に招かれ、松下電器で講演を行ったエピソードは大変興味深い。
佐々木氏が退職後のシャープは承知の通り、液晶事業に傾き過ぎてしまったばかりに、海外企業の傘下となってしまう。しかし資本を注入した鴻海が、佐々木氏がかつて暮らした台湾の企業というのも、何か不思議な縁を感じてしまった。
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シャープの社員ではないが、関係する者の立場として読んだ。
佐々木氏の素晴らしいところは、技術者としての先見性やアイデアなどであることは言うまでもない。それ以上に日本が世界の中でもまだビハインドしている時でも、また日本の電機産業の急成長を企業が謳歌する中でも変わらず、世界に目を向け、欧米企業と対峙し、ネットワークを構築していったところにあると思う。
改めてビジネスは人である、ということを再認識させた。
特に終盤では現在のシャープのことも描かれ、評判の悪い経営陣ではあるが、現社長の高橋氏の行動なども描かれ、少し見方が変わった。
そこらの小説よりも感動できる本であり、最後はうるっときた。
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川西航空機 真空管を作る明石工場のみのこる 空襲の対象外
東京大学物理の嵯峨野遼吉教授 川西機械製作所で学生をひとり雇いたいと頼みに行く 優秀な学生は既に就職先は見つかっていて、売れ残りの江崎玲於奈をとる
トランジスタの開発チームに組み入れた
1952 ベル研究所がトランジスタテクノロジーを有料公開 2.5万ドルの参加料をとってセミナーに招く 日本企業は参加できず テキストの海賊版を手に入れる
トランジスタの量産に初めて成功したのは川西機械製作所
ソニーの井深が江崎を引き抜き
将来日本の宝になるかもしれない江崎を神戸工業で埋もれさせてはいけないと、引き抜きを佐々木は認めた
1973 江崎 トンネルダイオードでノーベル物理学賞
佐々木が神戸工業をやめるという噂を聞いて、早川電機工業の佐伯旭が待ち伏せ
社長の早川徳次と専務佐伯旭
いいかい、君たち。わからなければ聞けばいい。持っていないなら借りればいい。逆に聞かれたら教えるべきだし、持っているものは与えるべきだ。人間、一人でできることなどたかが知れている。技術の世界は共に創る、共創が肝心だ
満州で両親、兄弟をなくした佐伯を、早川徳次は息子のように育てた
カシオミニ 6桁で12800円 ニキシー管
シャープ RCAのDSM液晶を改良 RCMはDSMの開発を諦めていた
早川電機が1964年にオールトランジスタの電卓を発売してからわずか13年で、電卓の重さは384分の1,
価格は63分の1になった
シャープとカシオは電卓で負けたら終わり、覚悟が違った
早川徳次 佐々木が松下から呼ばれて
少しばかり教えたくらいで負けるなら、しゃーぷなどその程度の会社だということです。そんなことで、まけるシャープじゃない。佐々木さん、かまいません。行って、存分に話しておやりなさい
孫正義を世に送り出した一番の功労者は佐々木だろう
佐々木の役回りは20代前半の才気あふれる若者に信用を与えることだった
西和彦が富士通社長山本卓眞を訪問
山本から堀越二郎の 零戦 その誕生と栄光の記録の本を渡され
名機といわれた零戦は3代目だったようです。ものづくりは最初からうまくいくものではない。2度失敗しても諦めず、三度目にようやく良い物ができる。私はそう肝に命じて経営をしています。あなたがやっているソフトウエアもきっと同じでしょう
虎は死して皮を残すというが、私は孫正義を残した。もういつ死んでも構いません
サムスンに技術を与えた佐々木を、人々は国賊と呼んだ。だが佐々木は自分が間違ったことをしたとは露程おもっていない。
技術を抱え込んで、自分たちだけがいい思いができる期間などたかがしれている。門戸を閉ざした国や企業は競争のダイナミズムを失い、やがて失速していく。
日本半導体産業の敗因は、外に技術をもらしたことではなく、自らが足をとめたことにある
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最後の1ページで泣いてしまいました。
100歳を超えても未来を見続けているロケット佐々木はとても魅力的です。
本書では、電子立国日本の歩みを
佐々木正さんの人生を通して、
追体験していきます。
LSIの開発、液晶の発明、パソコンの誕生、、、
佐々木さんの人生を通して、
先を読み続けないと
技術の未来は開かれないということを
痛感しました。
孫正義もジョブズも佐々木さんに
アドバイスをもらい、
それを実践したにもかかわらず、
シャープ自体にはそれができなかった。
さらには、日本からGoogleやAmazonが生まれてないのは、
佐々木さん的な人が少なすぎたのかもしれません。
立ちゆかない日本をこれから発展させるためにも、
未来を描いていかなきゃいけないと心から思いました。
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技術立国(電子立国)を支えた佐々木正とい技術者の偉業、考え方がよくわかる本であった。スティーブジョブズが憧れた伝説のエンジニアという通り、様々なものを開発した。液晶、LSI、計算機、電卓、MPU,ザウルス、MOS等であった。そこにはあきらめということは一切なかった。アメリカに行ってQuality Controlを習ってきた。特殊原因と共通原因、統計的管理、ともに開発していくという共創のDNA、技術は人類の進歩のためにある、人類の進歩に終わりはない、等技術に関する興味深いエピソードばかりだ。これをどう生かしていくか?
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“イノベーションは、共創から生まれる” この方の思想が家電業界に浸透していたら、ガラパゴス化なんて起きなかっただろう。 戦時中研究者としての壮絶な経験。未だご健在という事実に驚かせられる。 「電子立国」時代の、最後の(?)生き字引。これほどのスーパーボスが居た会社でも、すぐに崩壊への道へ進んでしまうのだもの。技術で生き残って行くことの難しさたるや。
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LSI(MOS)によるポケット電卓や液晶ディスプレイなど主要技術をリードし、技術のシャープを作った人材。ソフトバンクの孫やアップルのスティーブジョブズにも影響を与え、また彼らにも頼られていた。
戦後の復興を遂げた日本というのは、このようなバイタリティ溢れ、能力に溢れる人材に支えられていたからこそ実現できたのだと思う。時代は違うが、京セラの稲盛和夫、出光の出光佐三など。
一気に読み終えたくなる、勇気がでる、本である。
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面白かった。シャープの歴史もよく理解できた。
佐々木さんとジョブズや孫さんとの関係もとても興味深い。
「ロケット」の表示が意味するものは、ロケットの開発ではなかった。その行動力は羨望。
シャープには復活してほしいとつくづく思う。
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スティーブ・ジョブズや孫正義の若いときに同時期に会っているというのが因果を感じる。
佐々木はドイツから潜水艦に乗ってレーダー技術を持ちかえるという荒業を経験した。
佐々木の明石の工場が爆撃されなかったのは、占領政策で通信網を円滑に構築するマッカーサーの指令ゆえであった。
戦後GHQからの指令でアメリカに渡り、生産管理のノウハウを学ぶ。たとえば、女子工員が部品を床に落とせば日本では上司が叱るが、アメリカでは、女子行員の床下にベルトこんであがあって、それが部品を回収する仕組みになっているのを見た。
江崎玲於奈も佐々木も門下生。江崎の息子は佐々木の秘書と結婚した。
ライシャワーとも家族ぐるみで親交がある。皇太子妃だった美智子様がアメリカのライシャワー宅にホームステイすることになり、佐々木の娘がお世話係として随行した。娘がパン焼き機が作れないか相談したところ、佐々木は懇意の船井電機の社長に相談。船井は持ち前の瞬発力でパン焼き機を開発。
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プロローグの「孫正義の大恩人、スティーブ・ジョブズの師」を読んだだけで一気に引き込まれ、その日のうちに読了。日本にこんな偉大な人がいたなんて、凄い!
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文章のテンポがよく、サクサクと読めてしまった。
いまやシャープは鴻海に買収されてしまったが、
昔日の栄光ぶりを追想するかのごとく、
電卓戦争の勝利や液晶開発の端緒といった点が、
つまびらかにされている。
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★2016年8月4日読了『ロケット・ササキ』大西康之著 評価A
この本というよりも、この佐々木正というシャープの元副社長の人間の面白さと大きさに評価Aということ。
それにしても、何とこの時代の人たちは人間が大きくて、おおらかなことか?!
いまのシャープにこの人のDNAが残っていなかったから、いまの没落があるのか?彼がサムソンに液晶技術を教えてしまったから、没落したのかは分からない。しかし、少なくとも佐々木氏の持論から言えば、その地点にとどまってしまえば、負けるのだから、先に進まねばならなかったということなのだろう。
また、目のつけどころがシャープ!の原点となった人であることがよくわかる。
戦前、戦中、戦後の彼の仕事ぶりは、それぞれ非常に興味深く、科学技術を愛し、その使い方、目的をよく分かって、人々のために商品を開発することをその信条としていた。
文中で彼の仕事に関わる人物が、このインターネット社会を創造してきた人ばかりで、ロケット・ササキと呼ばれた彼の人柄と交際範囲の広さは驚くばかりである。
何のために仕事をするのか?人生は何のため?と悩む若い人にはぜひ読んでもらいたい作品である。元気がもらえる筈だ。
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20世紀のシャープの躍進を支えたロケット・ササキ(佐々木正)の伝記。1915年(大正4年)生まれで2016年現在、101歳で存命とのこと。ササキの生涯を追っていくことで電子立国日本の20世紀の技術史を俯瞰することもできる。ササキは戦前のコスモポリタンな台湾で育ち、京都帝大を卒業。戦争中、軍部の命令で殺人レーダーの開発に携わったようだが、それが戦後は電子レンジの開発に繋がるなどの話は興味深い。戦前からグローバルに活躍していた佐々木正。シャープ(早川電機)に招かれたときは実は京大の教授になる予定だったというだけあり、その人となりは企業人というよりアカデミックな雰囲気を感じさせる。多様で多くの人脈を持ち必要なら人に教えを請い、そして請われれば教える”共創”を旨としていたようだ。本書では孫正義やスティーブ・ジョブズなどが有名人が登場してくるが、そう言えば孫正義の伝記「あんぽん」にササキが登場していたのを思い出す。彼らの伝記技術を囲い込んで自分だけ儲けようとしていては短期的には良くても競争がなくなり技術発展が送れ、結局は破綻するというのは、昨今のシャープの没落に通じる。人類の進歩を技術者達が協力してで共に創り上げていく共創。大学まで生き残りをかけて競争している現代。少なくともアカデミックな世界は競争の中に共創の精神を持ち続けていきたい。
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すごい人がいたんですね。現在のIT技術とその応用製品の礎を全部作った人なんだなと感じる。ノーベル賞受賞者の江崎玲於奈、シャープの創始者・早川徳次、コンピュータ、パソコンの心臓部であるMPU、超LSI、などなど。彼自身が創ったというよりもヒントを与え、専門家を紹介し、お金を出したなどにより新しい技術・製品を作り出していった。技術はみんなのためにあると言う精神、彼はこれを「共創」といった。手助けをした人の有名所としてはインテルのノイス、孫正義、西和彦、スティーブジョブズ等錚々たる人々がいる。サムスン電子にも技術供与をしたところからシャープを崩壊させた人のように言われるが、懐が大きすぎるが故なのですね。逆に彼が現役から去った後、自由に研究させて新しいものを作っていこう気風が無くなってきたが故だと思う。
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元シャープ副社長で、伝説的技術者佐々木氏の評伝。自ら発明したという自動翻訳機を携えて面会に来た若き日の孫正義を見込んで共同開発を行い、その後も第一勧業銀行への融資依頼に対して自らの資産を担保に出すと申し出てソフトバンク創業の一億円の資金を得た話はあまりにも有名。このことに対して孫正義は佐々木のことを大恩人と言ってはばからない。孫正義だけでなく、アップルを追われたころのスティーブ・ジョブズがわざわざ東京に佐々木の元を訪ねてきたこともあったらしい。驚くのは、それ以前にすでに米国でその二人に会っているらしいことだ。彼ら以外にも、トランジスタを発明したベル研のウィリアム・ショックレー、フェアチャイルド・のロバート・ノイス、インテルのアンディー・グローブ、ゴードン・ムーア、SONYの江崎玲於奈、などその人脈は多彩である。また、こういった人脈を活かしきる判断力と行動力が素晴らしい。
日本の高度成長期、佐々木の指揮の元で激しい電卓戦争を勝ち抜いたシャープ。トランジスタ、CMOS、液晶、太陽電池と技術の目利きとチャレンジで新しい技術を次々とものにしていった。そこには「足を止めたら負ける」という思いがあった。1971年には国内で生産された半導体の40%が電卓に使われたという。電卓は、それだけ電子立国・家電立国日本を象徴する最先端の製品であったのだ。カシオなどとともに技術と市場を牽引するシャープと佐々木を描いた物語は爽快である。
佐々木のポリシーは次の言葉に集約される。
「いいかい、君たち。分からなければ聞けばいい。持っていないなら借りればいい。逆に聞かれたら教えるべきだし、持っているものは与えるべきだ。人間、一人でできることなど高が知れている。技術の世界はみんなで共に創る『共創』が肝心だ」
終戦間もない日本にあって、米国から多くのことを学んだ経験からの言葉である。「競争」ではなく「共創」。今ならオープンイノベーションと呼ぶのだろう。そのことを何十年も前から言葉にし、実践してきた。シャープが苦境に立たされているのを、液晶技術にこだわり、それをブラックボックス化して囲い込もうとしたことにあると指摘する。
シャープ堺工場に鴻海の資本が入った直後の2012年、東洋経済のインタビューに答えてこう伝えている。
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今回の台湾・鴻海(ホンハイ)精密工業のシャープ堺工場出資については、正直、警戒しています。
シャープは、「おカネが入ってくるから、危機を乗り越えた」と一安心してはいけません。これは勝負ですよ。郭台銘・鴻海会長に対しても、「いやぁ、ありがとうございます」なんて調子のいいことばかり言っとってはダメだ。彼が堺工場に入るすきがないぐらい、根性のある経営をしてもらわないとね。
過去のサムスンとの技術提携と異なり、シャープが欲しかったのはおカネだけ。鴻海はシャープの技術だけが欲しい。互いに信頼しているわけではないように見えます。
シャープの経営陣は、あんな大きな赤字が出るなんて初めての経験だから仰天したんだろうね。今は、短期的な業績が、経営陣の評価基準になる時代です。それでも経��者たる者、長期的な経営戦略を、自信を持って説明できるようでなくてはね。
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御年101歳でいまだ存命とのこと。この度の鴻海による買収について、どのように考えているのだろうか。
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2018年1月31日 肺炎のため死去。享年102歳。ご冥福をお祈りする。
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「「共創」が未来を作る」(東洋経済ONLINE 2012年8月6日)
http://toyokeizai.net/articles/-/9715