紙の本
衆愚にならないために
2021/03/25 20:49
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:まなしお - この投稿者のレビュー一覧を見る
国家とは、ということを真正面から考えた本です。文章は大変わかりやすいので、難しいものは苦手と言う人でも理解できるでしょう。最後の章では、自民党の憲法改正案に触れているが、それがとんでもないものだと言うことが分かるだろう。衆愚にならないために。
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この夏はじめて選挙権を得る若い人たちだけでなく、「国家」とか「政治」なんてよくわからないと思いながらなんとなく投票してきている大人にとっても、読みやすく(橋本治らしくひじょうにしつこくくどい文体ではあるけれど、その必然はあるわけで)勉強になる一冊。
日本で「国家」がどのような存在でどう捉えられてきたのか歴史的にたどりなおすことで(日本の封建制度の移り変わりから明治維新の展開まで)、そして世界の「国民国家」の成立過程と日本のそれとの違いをよく考えることで、日本人の多くが政治に当事者意識が持てない理由がみえてくる。部活になぞらえたナショナリズムの説明も中高生にはわかりやすそう。
西洋の社会契約論をベースに福沢諭吉の説いたことなどから、国民としての判断力やそのための知識をもつことが「民主主義」を支えているのだ、すなわち、わたしたちはバカじゃいけない、わからないなんて逃げていてはいけない、もっと当事者意識を持とうよ、という強いメッセージが伝わってきた。
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国家とは、国民である。
国家とは、領土である。
国家について2つの考え方がある。
言われてみれば、確かに。
国家=国民とばかり思っていたが、過去の歴史を振り返れば、当時は領土という考えが当たり前であった。
そればかりか、国家という概念さえなかったのである。
国家とは何ぞやと著者の持論が展開される。
まどろっこしさも感じてしまったが、国家について考えるというのはそういうことなのだろう。
一種の哲学なのだ。
国家について考えた後は、憲法につながっていく。
紆余曲折を経てきた日本の歴史だが、現在は国家=国民である。しかし、現政権においてはむしろ国家=為政者というような状況が散見される。
そんなことを考えると政治において、国民が蔑ろにされており、憲法に関する政府の考えも頷ける(賛成という意味ではなく)。
為政者は国民の「代表者」であり、「指導者」ではない。
しかし、国民の側でも、国家=国民という認識を持ち、憲法は誰のためのものなのかということをしっかりと認識しなければいけない。
「みんな勉強して頭がよくなると、政府の方も政治がしやすくなって、一般の人間も”政治の支配で苦しむ”ということがなくなる。そういう日本人が増えれば日本は大丈夫だと思って、私はその一点で学問を勧めるのである」(P70)という福沢諭吉の「学問のすすめ」の訳が原文と共に紹介されているが、今こそこの言葉を肝に銘じるべきであろう。
憲法改正に関する国民投票が行われる可能性の出てきた今、誤った判断をしないためにも、国家、憲法について考え、自分の意見を明確にしなければと思った。
1つだけ、「日本は単一民族国家」(P95)というような記載があったことが気になった。
日本は単一民族国家ではないと思う。
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民主主義の政治は、国民の頭のレベルをまともでかなり高いものと想定して、前提にしている。つまり、民主主義の社会に「バカな国民」は一人もいないことになっている。「その国の政治のレベルは、国民のレベルの反映」、愚かな政治家を選ぶのは国民の責任である。
「国家には二段階の歴史がある」
○国家を英訳 → 「nation」「state」
・「nation」(=国民)が表すのは、「国民国家」、すなわち「近代国家」。
・「state」(=「領土」) 国家は「領土の確保によって出来上がる」
○漢字でいうと
「國」… 「領地をぶきで守って、さらにこれを城壁で固める」 国防重視?
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あまり新書を読まないバカな私
バカな国民でバカな民主主義を信じてる私
若い人に向けて書かれた本だけれど
もう一度国家について考えるのは老人にも必要だろう
我が国、心配だもんね
向かう方向違ってるよ
歴史、漢字、なるほどなあ
作者68年の駒場祭のポスター書いた人だったんだね
「とめてくれるなおっかさん……」
≪ 流されず 自分で決めよう 明確に ≫
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橋本治氏の本は、不思議なもので、参考文献をほぼ明記していない。
これは、自身が語る内容に、よほど自信があるか、
周囲がそれでも良いと認めているか、どちらかだ。
私は、後者だと思う。
固定ファンがいるのもそうだが、誰も氏に対して、
批判できないほど、橋本氏は、「他者の人」である。
この本で引用されてる文献も、
福沢諭吉の『学問ノススメ』だけである。
これだけの文献で、国家を語れる人は、そう多くない。
たぶん、現存する日本の知識人では、両手に数えられるぐらいだろう。
また、氏は、徹底的に権威というものに興味を示さなかった人で、
もし示した人ならば、大学教授になり、テレビのコメンテーターになり、
日本文化庁長官になっていただろう。
ただ、橋本氏は、もう故人である。
本当に、惜しい人物を失った。
氏の問題意識は、非常にシンプルで、
この著作で貫かれている論理は、
「国家は、国民のものだよ」、ただそれだけである。
国家=国民である。当たり前と言えば、当たり前だが、
私たちは、その実感があまりない。
それは、なぜだろうか?
橋本氏は、国家=国民この等式を、理解できないと、
大変なことになるよ(なっているよ)と言っている。
この等式を、わかってもらうためだけに、この本を書いている。
普通は、国家=国民という図式を、( )に入れて、政治を語る。
そこには、国家=国民を前提としている。
しかし、氏は知っている、政治を語る上での前提条件、
国家=国民ということを、たぶん、誰もわかっていないじゃんと。
その前提で、政治を語ったら、わからないだろう!ただでさえ政治は難しいのに!
と思ったのかは、定かではないが、ある問題の前提を、
しっかり理解する上で、氏のアプローチは、非常に王道である。
この点で、この著作は、明らかに啓蒙書である。
だから、日本で一番読まれた啓蒙書『学問ノススメ』を引用したんだろう。
学問ノススメは、明治、戦後すぐによく読まれた。
それは、日本人が新しい政治を必要としている時だからだろう。
また、新しい生き方のヒントに。
氏は、まず国家の成り立ちを、その字が意味する所から説明し、
また、国家が国民のものでなかった時代を日本の古代史から現代史まで、
語り、そして、国民国家の発祥の地である、
欧州の状況を、その成立前後から説明し、
最後に、天皇と国家の関係を、これまた、
日本の神話時期から、戦前、戦中の天皇と国家の関係、
そして現在の改憲のことまで。
独特な例えで説明している。
なぜ、これほど広範に語れるかというと、
氏が天才であることもそうだが、
氏のこれまでの創作物が、枕草子や源氏物語、平家物語などの、
古典中の古典の現代語訳(というか、橋本語)での実績、また、
それに付随するような日本文化、文学、美術、はたまた文体史から、
純文学まで、幅広い著作を残しているからだろう。
これほど、多岐の分野に渡る作品群を残している人は、
果たしているんだろうかというぐらい、質もさることながら、
空前絶後の量を残している。
氏は、徹底的に理解する人で、わからないことを、わかろうとする人だった。
こういう姿勢を貫ける人は、あまりいない。
氏の著作は、わかり易く書かれているが、決して、
簡単にわかる内容ではない。
一種の橋本式・理解モデルを提示しているに
過ぎない。あとは、君たちが考えてねと言っている。
少なくない人が、「考えること」を、できないでいる。
難しい、わからない、習ったことがない、知らないよである。
そうこうしているうちに日本は、政治はもちろんだが、経済も、
教育も、何もかも、停滞している、というか衰退している。
日本もおかしくなっているが、日本人もオカシクなっている。
まさに、国家=国民である。
絶望している人は、たくさんいるが、その絶望の原因と理由を、
個人に求めてもどうしようもない、
また、政治や経済、社会に求めても意味がない。ただ、文句を言って、
絶望を口にしても、何も変わらない。
こういった状況を何とかしたい!せめて自分だけでも、、、という人が多いが、
考える上での、知識もない、方法論もない、また自信もないわけで、
昨今は、ますます世俗的(経済的なメリット、デメリットだけで物事を考える)になっている。
「すぐ稼げる」、「すぐわかる」、「大丈夫!、これだけやれば」、
「ありがとうと言えば、幸せになれるよ」など、
今の日本は、中世か、はたまた、戦中のような盲目さが、国民全体、
そして、国家全体を覆っているみたいである。
情報は、毎日、洪水のように溢れているが、本当に自分にとって、
家族にって、友人にとって、地域にとって、社会にとって、
日本にとって役立つ情報は少ない、というか、ほぼない。これを理解するためにも、
「国家は国民のものだよ」という政治を考える上で当たり前とされているの前提と、
この著作で語られる氏のアプローチは非常に参考になる。
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知的6
かかった時間65分
国家について考える新書。ちくまプリマーは大好きだ。
さて、本書は国家の2つの定義や成立までの歴史、その浅さなんかを述べたのち、最後の部分でナショナリズムについて語る。曰く、国家の危機に国家主義が台頭して独裁的な体制が望まれ、生まれやすくなる、と。
また、憲法がほんらい君主や政治的代表者の独裁を防ぐものであるとし、憲法改正の危険についても述べている。もちろん、ちくまプリマーなので、むしろ国民国家の人間として、一人ひとりが考えて政治に参加する重要性を強調する形で、だけど。
正直、前半はどちらかといえば大人には冗長だったが、後半の「アツさ」のようなものは、たしかによかった。
憲法改正なぁー。。。
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明治憲法への回帰を夢見るジジイに、この一節を贈りたい。
>ファンタジーではないので、「この耀かしい鎧を着れば、たちどころに荒廃した国家は甦って、栄光の姿を現す」ということはないのです。
自分たちが国に身を捧げるのは勝手だけど、若い世代を御伽話の世界に引っ張り込むのはやめなさい。
これ以上、日本がおかしくならないためにはどうしたらいいのか、よーく考えよう。
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橋本治氏が亡くなられたので、密かに追悼の意味を込めて、出来るだけ時間を見つけて氏の作品を読んでみようと考えている。
新書でこの限られたスペースのなかで深みのある、歴史の視点をもらった。
そして何よりずっと思っていた『もう、このシステムでは社会はまわらない。そろそろ民主主義に変わる新しい政治システムが必要なのでは』『民主主義というシステムを再興するには人類がもう一度、奈落の底に落ちるところから始めなければならないのか』への答えがあったこと。
もちろん、これは氏の意見にとどまるものたのだが、
私にとっては「たしかに」と思えたことだった。
〜〜
民主主義の弱点とは民主主義が「民主主義というものがよくわからない人達」に対して、強制的で罰則付きであるような「民主主義教育」をしないということにあります。
〜〜
という文章のあとにわかりやすい言葉で、共産主義では思想教育を徹底するのに、何故民主主義ではそういった教育をしないのかや、
“共産主義は民主主義国家を発展さ”せようとした先のものである。といったことなど
橋本氏の解釈は歴史や政治を捉える枠組みを大きく揺るがしてくれた。
薄いけど読み応えあります。
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これは『平成の学問のスゝメ』ですな。政治の事はよくわかんない、と言って勉強もしないでバカのままでいると、変な人に騙されていつの間にかナチスのようなことになってしまうよ、という啓蒙書。若い人にはぜひ読んで欲しいね。
こういうことは義務教育でちゃんと教えて欲しかったな。断片的な知識だけ詰め込まれても、こういう形で整理統合してくれないと何のためにその知識が必要なのか理解できない。わざと理解できないようにしているのかも知れないけれど。
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国家と国民について、分かりやすく解説している好著だ.第4章で、国家主義の本質を述べているが、憲法と密接に関連する由.現政権は憲法の重要さを理解しておらず、一般の法律のようなものだと誤解している.国民をないがしろにしているようで、十分に注目しておく必要があることを痛感している.最後に出てきた文言は良い.曰く 「国家は我々国民のものである」-- このことをはっきりさせるために、私はこの本を書きました.「バカでも国民か」なんて言われないように、考えるべきことは考えて、自分が立っているその足許だけは明確にさせましょう.
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まさに、「怒涛」「圧巻」という言葉こそがふさわしい展開。
この著では、国家について考える際につきまとう面倒さについて考えられている。図書館に行くと、国家論は政治学ではなくて、哲学のコーナーに置かれている。これは、私たちが知っている国家とは違う、当時の国家を対象としているためで、国家とは歴史的にいくつかの相を呈しているのである。それを橋本は、「くに」という漢字の成り立ちから、中国・日本での変遷を追いかけるという形で示している。
また、ヨーロッパでも「state」「nation」の2つの層があることを指摘している。前者は「領土」を中心として、後者は「国民」を中心とした表現のされ方であって、歴史的には「nation」が新しいものとしている。さらに、「国民(国家)」の歴史が浅いこともあって、かつての「領土」であった時代の痕跡がしばしば現れると指摘する。
続けて、「国民の国家」の下であっても、「代表者」ではなく「指導者」が現れることがある、国家主義とは国家についての「不安」から生まれるといった、「いま」に対するアンチテーゼをたっぷりと含んでいる。「選びたい人がいない」に対して、「選びたいような人が生まれてくる世の中にする」「することがなくて暇だったら」そう考えることをおすすめするとしている点はお見事でした。Kindleで読了。
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国家の意味、仕組み、成り立ち、種類について勉強になった。恥ずかしいけどちゃんと考えたことがなかった。
くだけた書き方や分かりやすい例によって理解しやすかった。
本当にちゃんと大切なことを考えていきたい。
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国家についてここまで考えたことはなかった。
世界的に見ても日本はかなり特殊な国なのだと再確認させられた。天皇の名の下になんでもできた憲法。それを悪用した当時の軍事政権。そして第二次世界大戦でアメリカにボコボコにされて制定された日本国憲法。この日本国憲法において日本の国民国家が華開いた。民主主義に基づく国民国家は衆愚化しやすいし、国家主義になりやすいという脆弱性があるが、今の日本は前者に陥ってると個人的には思う。あまりにも政治に無関心な人が多いのは国というものがどういうものかわかっていないからなのかもしれない。日本においては特異な歴史の中で国民自身が国家とはなんなのかを考えづらかった部分はあり仕方ないのかもしれないが、この本を読んで勉強していただきたいと思う。
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憲法は歴史的には君主を制約するものであったが、国民主権となり権利を投票を通じて行使するとき選挙民は賢明な上に憲法精神遵守せねばならないと指摘。後半に、「首長と議会との対立」で「民意=投票行動は辞職して再選を目指す首長に傾きがち」とは橋下大阪知事→市長と府議会→市議会との対立を念頭に置いているのか(2016年刊)。「(不安定な民意の)選挙(あるいは議会を通じて間接選挙にて)で選ばれただけで(国の性質を規定する)憲法を変えていいだろうか?」すなわち代表者≡元首でいいだろうか「指導者とは社会主義用語で党の最高」
第1章「国家を考えない」では、はじめに「『大政奉還』と『王政復古』はイコールではない」と歴史的経緯が語られ‥福沢諭吉の危惧に至る。自然的な「国」はnationであり、「国民」「民族」の意味を持つ歴史的存在であるところが、意志的形成物であるstateと違うと(俺の理解したところでは)。人工国家USAは州=stateの集合体であるから民主、共和両党に代表は存在しないし大統領選はそれぞれの州で選挙人を選出する‥。民主主義とは手続きであり、権力を行使するのはもちろん個々人ではなく組織上の命令者。
「権力が言語表記を改変するのは払拭したい過去があるときに決まっているby佐藤優」指摘され、はじめて知ったが『国』という漢字は邦字で昭和23年教育漢字として作られたものであり、本来は『國』である。「画数が少ない方が書きやすい」という口実で「戈=ほこ」が入っているゆえ軍備を連想させる『クニガマエ=口+或』を嫌い、君主制を連想させる口のなかに王とかく戦前からあった略字は避けたのであろう。とすると『日本国憲法』というタイトルさえ公布時のものではない。『日本國憲法』と書いて改正を論議すべきではないか?