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独特なさびしさ、というタイトルそのまんまの読後感。これがさびしいってことなんだと思う。すっきりしなくて、飲み込めないけど、いつか分かる日が来るんだと思う。「すぎる」と「足りない」の間の線について。
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誰かが孤独を抱えていてもなぜ孤独なのかまではわからなかったりするだろうし、その孤独を自分が癒せないことだって往々にしてあるのだろう。
食べ物の味で作り手の感情がわかる、という一見ポップな設定ながらも、訥々とした書き振りで、また、それぞれが孤独を抱えており、それが癒されることもないという物語だった。
お兄さんはおそらく、主人公と同じような特別な力があり、常に「何か」がわかってしまう人だった。そのことに耐えきれなくなり、椅子になることにした、ということなのかな?
食べ物の味で作り手の感情が手に取るようにわからなくても、誰かの感情を汲み取れる、という力は、程度は異なれど誰にでもある。
私がたまに実家に帰ったときに、ふとした瞬間に父と母の関係性と、それについて母がどんなふうに思っているかを感じとり、夜ぐるぐるといろんなことを考え、眠れなくなってしまうのも、この物語と少し近いものがあるのかな。
私に何ができるだろうか、私にできることがあるはずなのにそれをしないのは、母の苦しみを無視していることになるのか、そんなことを考えずにいられない夜がある。
sensitiveとover sensitiveの線引きはどこで引かれるのか、という著者の言葉が印象に残る。
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ハリウッドのそばの平らな土地に住んでいた主人公が、ある日突然、料理を食べると作った人の気持ちがわかる能力を得た。そのせいで家庭環境が大変なことになる物語だった。
タイトルに惹かれ借りたが、わかりにくい表現が多々あり混乱してしまったため途中で読むのをやめた。
やはり、外国小説は苦手だ…。