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『いま、会いにゆきます』の作者が語る発達障害。記憶力が悪く、いつも先生からにらまれていた多動児の僕が、なぜ世界的なベストセラーを書くことができたのか?自らの傾いた個性を「障害」と認めたことで、前向きにとらえられた体験談を綴っています。
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「だから君たちも僕のようにがんばれ」という旨の記述が、これっぽっちも出てこないのがいい。生きづらくて苦しんでいる者にとって、そういう上から目線が一番の地雷だということを、著者はちゃんと分かっているんだろう。
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中高生の頃、大好きで読み漁った作家さん。愛があるけど切ない世界観が好きで。発達障害だったのか。
人間の種類をサルで分けるの分かりやすかった。私はテナガザルではないと思ったけど。。
さすがに一筋縄の人生ではなかったことがよくわかった。これだけ自尊心が強い発達障害の人(どころか普通の人も…?)なかなかいないのでは??
やはり親に特性を否定されることがなかったというのが大きい気がする。それ以外にも色々あって、機能不全家庭ではあっただろうけど。
市川さんの小説が、同じように高度に発達し必要以上にカテゴライズし常に忙しい社会に馴染めずに毎日苦しくても生きている人の居場所になっているというのは本当にそうだと思った。わたしもその1人。考え方とか共感しっぱなしだった…!
エネルギー(活力)の出し惜しみはしない。腰が重くなり、奉仕されたがるようになるから。
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私は「つまずいたり、迷ったりしたときに読むノート」を作っています。
こちらの本には、ノートに書き出したくなる言葉がいくつもありました。
「生まれてきてよかった(母さん、ぼくを産んでくれてありがとう!)他の誰でなく、この私に生まれたことが嬉しいの」と著者は述べています。
私は、生まれてきてよかった、産んでくれてありがとうと思ったことが一度もありません。私にも障害があるのですが、著者のように障害のある自分を、それによって生じる不都合を肯定することができないでいます。
私もいつか自分自身を認められるようになりたいと思いました。
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発達障害というのは、実に便利な言葉であると思う。僕自身も該当するのではと思ったことも何度もある。精神科医や心療内科医にかかれば誰でも病気や障害になれるのだろうと思っている。そういう思い込みも、彼らから見たら病気かもしれないので、平行線だ。
という前提で。
著者はずっと「困った子ども」だったのだが、作家になってからそれが障害だったことを知る。エッセイを読んだ学者から、ADHDとアスペルガーの混合タイプで、ややADHDが強め、などと評されたりする。香山リカからは、側頭葉タイプ、などといわれる。どれもが、そうそう、そうなんです、というものばかりでありながら、どれも一致しないというから、やはり僕の見立てどおりじゃないか。
著者はでも、それをポジティブに捉えて、自身が人間の原型である、と定義したりする。
この本は発達障害を知り、あるいは「治そう」などとするための本ではない。発達障害という言葉から自身を定義して、まあ楽しく妄想や行動をするのだ、という著者自身を楽しむ本だ。
巻末にはさまざまな発達障害を著者に当てはめる意見が紹介されていて、けっこうイラツイたりもするのだが、発達障害者が「愛と死」というテーマで「愛と希望」を人類に与える、というオチはよいではないか。
発達障害を生物的多様性という観点から好意的に見るのはいいと思うが、数ある(そしてこれからも発明されるであろう)発達障害を、発達障害という一括りにする時点でおかしい気がするのう…