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きっと差別も偏見もなくならない。ただ、そのことに疑問をもち、「革命」を起こすことはできる。
苦しみから生まれる革命は、とても寂しく辛く悲しい。
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2016.09.05
通勤時間、昼休み使って1日で。芥川賞選考委員が言うほど表現は気にならなかった。むしろ書いてあることが作者の実体験に基づいているとしたら、日本て恐ろしい。知らなかったこともたくさんあった。この文量で1400円はどうなんだろう。新人作家支援だと思ってますが。
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デビュー作品の勢いを感じた。
朝鮮という問題を抜きにすれば青春小説(抜きには出来ないだろうけど)だよね。中学時代のもやもやした感じが金親子の肖像画にぶつけることでアイデンティティーを確立しようとしてたのかな。
日本に生まれざるをえなかった在日の人達の複雑な感情を理解出来るとは言えない自分ですが、文学の一つカテゴリーになりますよね。
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文章が上手くないので、リアル高校生が書いたのかと思ったら、1985年生まれとあるから書いたときは30過ぎか。
在日朝鮮人の若者の生きる苦しみが描かれる。彼らを苦しませるのが日本人であることは言うまでもないが、テポドンを放つ北朝鮮の金正日も、その(父とセットの)肖像画を掲げる朝鮮学校もまた苦しみのもととなっている。そのあたりはよく書けているだけに、オレゴンで彼女の苦しみに寄り添ってくれた作家(コールデコット賞受賞、誰か気になる…)と過ごす時間をもっと掘り下げて描いても良かったという気がするなあ。
情緒不安定な(言葉もあまり通じない)外国人の子を自宅に受け入れて世話をするという土壌があるアメリカ人の懐の深さに頭が下がる。日本人にそういう人は本当に少ない。
「書かずにはいられない」「書かないでは生きていけない」という感情がリアルに伝わってくるので、初めに感じた文章の拙さはだんだん気にならなくはなるのだが、これですっきりして終わりなのか、もっともっと滾る思いを文章にしたいのか、そのとき文章自体はどうなっているのだろうか、とは思った。
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この本は、紙が分厚く、行間も大きく、1日通勤時間と外出中の電車の中で読み終えてしまったので
文字の量は少なめ。
北朝鮮の指導者を尊敬できない在日朝鮮人の若い子が葛藤する話
色々と知らなかったこともあり
また、ミサイル発射の事件は、在日の人にとっても、大きく問題になることなんだと
わかったこともあるけれども…
始めのオレゴンの話は意味がわからず
回想で日本に居た時の話になってからは読みやすかったです。
でもハワイのことはあまり書かれていないし
ストーリーとしては、いいのかどうなのか、わからないです。
しかし、金日成や金正日の肖像画を壊してしまうというの…
現実の、今日のニュースで、「金正男氏、マレーシアで殺害か」というニュースもあり、
崔実さんは無事でいられるのだろうかと心配になります。
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やり場のない十代の衝動×在日韓国朝鮮の歴史が抱える矛盾。歪な棘がぐさぐさと刺さってくる。何てものから目をそらし続けてきたんだ我々は……否応なくそんな気持ちに引きずり込まれる。
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在日韓国人の難かしい事情に踏み込んで,揺れ動く感受性の強いジニの成長を描いている.日本にあっては少数派の生きにくさと差別にやりきれない思いがした.北朝鮮の政権は世界を敵に回すだけでなく,他国で生きる韓国人にも非道を強いている.
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『最初に拾った紙には、こう書かれていた ― 『空が落ちてくる。何処に逃げる?』』―『ステファニー』
自分一人ではどうにもならない問題に翻弄される。できれば関わり合いたくはない。なのに問題の方が自分を追いかけて来る。逃げたとしても逃げ切れる訳ではない。問題に気付いてしまったが最期、その問題は自分の胃の辺りに黒々と巣食う。振り払うことなど出来ない。そんなことを切々と訴える小説が割りと好きだ。
かつて、とある歌姫は言った。「気付きたくなんて無い 自分を振り切る自分を何処まで走らせていればいい?」と。振り上げてしまった拳は打ち降ろさざるを得ない。しかし拳が立てる音の大きさに自ら驚いたとしても、その音の作り出す静寂を次々に埋め続けることしか出来ることはない。当然のことながらそこに解決策は無いのだ。
だからと言ってただ単に、私はそれを乗り越えました、と大人になってみせることが本当に正しいことなのか。その時、悩める者は救われたい訳ではない。歌姫はこうも言った。「邪魔なモノはすぐにでも消えてしまうの ガラクタで居させて」。そこに必要なのは共感でも慰めでも理解でもない。もがき苦しむ者に対する適度な距離だ。圧力は周りの壁が近づくほどに高くなる。それをやり過ごすこと。学びとか馴れとかではなく、やり過ごすこと。無になること。無とは何かを知ること。終わって見れば簡単な事だったとわかる事を敢えて難しく考えてみること。その思考回路を開くこと。
この本は自分には関係がないと白を切ることも出来るだろうことに正面から向かわされる思いがする本だ。そこで知らんふりを決め込むことを潔しとしない自分が居ることを確認出来ればそれだけで読む価値がある。南千住を、三河島を、日々通る者として、毎朝車内で見掛けるランドセルたちを知る者として、意識せずに済ませることは出来ない。啓蒙という言葉は使いたくない。しかし気付かされる。日々その問題から目を逸らしていることに。
ラストシーンには簡単には共感はできないが、落ちて来る空が何であろうと両手をかざして立ち向かう、そんな勇気がいつの間にか湧いた。
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おりしも読んだのが、金正男が殺害された直後なので、リアルだった。
こんなことを書いてしまって、この人の身の安全は大丈夫なんだろうか・・・
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織田作之助賞 受賞作品
朝鮮と日本の歴史的関係を知っていれば、この作品の深さを感じ取ることができるし、もし知らなくても、歴史的関係を知るじゅうぶんなきっかけとなることは間違いないと確信できる。
鋭利な刃物で鋭く抉られるような感覚、でも、作者の熱くあたたかいものもしっかりと伝わってくる。
これからの作品もとても興味深いし楽しみでもある。
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生きていても奇跡なんてものは訪れない。ジニはひたすら自分に正直で、彼女の人生も彼女に対してシビアなくらい正直だった。十代を複数の『異郷』で駆け抜けた彼女の旅、そしてその一つ一つに疑念も邪念もないなんてこと、嘘みたいだけどでもそれは本当で、ミラクルもマジカルも、そんなものは一欠片もない。ジニはただ目の前の世界を生き、その瞬間の自分を生き、だからこそそのすべての因果を自らの身体に積み上げてきた少女なのだ。奇跡なんて待ってられるか。革命家はそう宣言する。そうすることで彼女は歪な世界を作り変えてしまった。つまり彼女自体が奇跡という概念になったのかもしれない。何もかも満たされた人間に愛とか言われたって死ねと思う。芸能人に夢とか言われたって死ねと思う。奇跡に恵まれた人間に生きることを語られたって死ねと思う。ジニはずっと怒っている。おかしいだろこれといって悪態を吐く。でもこの異端者の怒りはどことなく懐かしいのだ。誰かと同じであるということへの不安を常に抱えていた十代を過ごした僕にとっては、妙に親近感すら覚えてしまう。自分の力では変えようのないどうしようもなく高い壁、その壁を目の前にして、暴れるか、大人になるか。たぶん今でもジニは暴れることを選んでいるのだろう。ぼくもおそらく暴れるという選択肢に含まれていると思う。それぞれのやり方で戦い続けられればそれでいい。壁の周りで右往左往して唾を吐いたり落書きしたり、その程度のことでも立派な戦いだと思う。ただただ踏みつけられるだけの葡萄にだって、ちゃんと自我はあるのだから。#ジニのパズル #崔実
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中学から朝鮮学校に通い始めた在日朝鮮人のジニは、朝鮮語が話せない。居場所がないジニの辛さ、苦しさが切々と伝わってくる。「人は誰でも、必ず輝く。誰よりも輝いて見える瞬間は、皆にあるわ」
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朝鮮人であるがために、小学校で同級生から差別を受けた。中学から朝鮮学校に通うことになったが、朝鮮語が話せず苦心する。学校中に掛けられた肖像画への違和感。北朝鮮の祖父からの手紙。運命のテポドン発射の日に受けた心の傷。ついにジニは立ち上がり、そして小さな革命家は居場所をなくした。失意のアメリカでようやく見つけた居場所とは…。ジニの叫びがとても痛かった。作者の叫びを受け取る事が出来た、と感じた。
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アメリカ、オレゴン州の高校を退学になりかけている女の子・ジニ。ホームステイ先のおばさんのステファニーと出会ったことで、彼女は5年前に東京であった出来事を話し始めます。
中学校から朝鮮学校に通うことになったジニは、学校で一人だけ朝鮮語がわからず、なかなか自分の居場所が見つけられずにいました。言葉も、教室に飾られている金親子の肖像画も、彼女の中に馴染んでいきません。1998年のテポドンが発射された翌日。チマ・チョゴリ姿で町を歩いていたジニは、警察と名乗る黒いスーツを着た日本人たちに取り囲まれてしまい…。
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新聞の紹介で気になったので、読んでみました。
最初の方は何が何だか全くわからなくて、途中で読むのを放棄しようか?と思ってしまいました。
ステファニィーというホームスティ先のおばさんに、心を開いて過去を話せたことによって、今まで堅く閉ざされていた、ジニが未来に向かって進んで行けたのが良かった。
でも、肖像画を投げた事で精神病院に入れられなければならない理由がわからなかった。
日本人なら笑ってやる人が多いと思う。
朝鮮の人に限らず、自分の国以外で生まれ育った人はどちらの国からも、異色の目で見られることが少なくない。
それが、挑発行為を繰り返す北朝鮮であれば、余計嫌われてしまう。
日本で生まれ育った為、日本人から偏見で見られ、北朝鮮の同胞であるはずの同級生からも、異色の目で見られたら、たまらないと思う。
人を生まれなどで差別する社会が無くなって欲しい、と又強く思いました。