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現在、スマホなしには生活が回らないというレベルでスマホを使っている。使うのだったら、思いっきり使いたいということでその関係の本をたくさん読んだ結果、その努力が実った、ということになった。だが、そんな現状を心のどこかで疑問視している自分がいる。
そんな時に出会った「スマホ断食」の本。著者とは年齢も近いこともあり、違和感なく読んだ。この本を読む前から辞書は本に戻していたし、書くにしたって鉛筆と紙を使い始めている。SNSの使い方だって、今のままでいいとは思っていないし、もっとアナログ的なハートあるものにしたいと思っている。
スマホ、ネットの利便性には感謝しつつ、マイナス面にはよく見極めながら対応していきたい。
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”SNSは「皆」の側に属していて、人とのつながりを基本としています。それに対して考える、あるいは本を読む、書くという行為は「私」に属しています。もしもネット上のつながりばかりに興味がいき、自力でかんがえることや、読み書きがおろそかになっているとすると、それは思考の軸足が「私」ではなく「皆」にあるということ、SNS的人間になっているということです。読むという行為は文を通して考え、自分と向き合うということですし、書くということはまぎれもなく自己との対話にほかなりません。一方、ネットでメッセージを発信するのは何よりも誰かとつながるということを目的とします。「つながり」「絆」を強調する最近の風潮は、SNS的な価値観のあらわれでもあります。紙に記された書き言葉は「私」に属していますが、ネット上を行き交うことばは「皆」に属しています。”(p198)
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パソコンで書く小学生と、ペンで書く小学生を比較研究した場合、明らかに手書きの方が早く正しい文章を書くことができたと報告 UWTODAY
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この題名をみておそらく半数以上の人が嫌悪感を抱いていることだろう。
多くはスマホ信奉者、特に若い世代にはそう感じる人が多いと思う。
だがやはりこのシステムというものは違和感を感じてならない。このシステムで多くの利得を得られる人は、限られたごく一握りだというのにそれでも、人はそこに何かを見出そうとする。
世の中がだんだんと知らない誰かに作られている。
そんな感情すら得られなくなってしまうのなら便利という世界はこの手になくてもよいだろう。
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藤原智美という人は名前のみ知っていましたが、著作を読むのは初めてでした。
芥川賞作家ですが、エッセイの方が人気があるようです。
こちらの本も小説ではなく、ITにおける趣味・実用の分野です。
タイトルは「スマホ断食」ですが、さらに拡大して「ネット断食」としたほうが、内容には即すると思います。
現在最もスポットライトが当たっているデバイスとして、象徴的に「スマホ」が使われているようです。
大方の主張はほぼ、私も同調できます。
IT分野の書籍はすぐに賞味期限が過ぎてしまいます。まさにアッチューマです。
よほど本質を捉えたものでないと、上っ面の現象を論じていると、1年で読む価値がなくなってしまいます。
ベクトルを示し、タブレットやスマホ(iPhone)を作ったスティーブジョブスの凄さを改めて感じます。
そのジョブスの作ったAppleやビル・ゲイツのMicrosoft、そしてラリー・ペイジとセルゲイ・ブリンによって作られたGoogleはまさに新たな地平を切り開いたと言えるでしょう。
しかし、そのGoogleなどを信奉することに否定的な人たちも最近増えてきたと、この書籍は説明します。
著者は特に様々な事例を挙げ、個人情報の守秘性について懸念を示しています。
それまで著作その他を保存していたクラウドストレージであるEvernoteの使用を止め、非ネット接続の端末に保存しているそうです。
しかし、そもそもその孤島端末のハードとしての脆弱性を補うために、様々なクラウトサービスが誕生したので、それもどうかと思います。
私は相変わらず、EvernoteやDropboxといったクラウド・サービスの恩恵を半ば開き直って受けている状態です。
ネットにおける個人情報の漏洩を心配していると、それこそ何もできなくなってしまいますし。
著者は現在の動向をかなり正確に掴んでいる上での意見を非常にわかりやすく書いています。
キーワードとしては「非知性主義的」といった単語が良く使用されます。
これも時代をしっかりと捉えてる証左でしょう。
本書が出版された数カ月後にはドナルド・トランプがアメリカ大統領に選ばれ、そのバックアップをしたのが「非知性主義的」な米国の人々であると散々言われていることに驚きます。
「スマホ断食」を気軽に2・3日始めてみましょうと書かれていますが、スマホは取りも直さず電話(通話)機能が大きなウェイトを占めます。
ガラケーとの二台持ちの人は良いでしょうが、スマホを机の引き出しに2・3日放り込むのは実際には困難です。
特に固定電話を持たずに携帯だけの生活をしている人たちには。
ただ、言わんとしていることはわかります。
PC断食ならばなんとかなるかもしれません。
少し、PCを立ち上げることを我慢するだけで、余計なネットサーフィン(死語)をしなくてすむので、自分としては生産性が上がったような気分にはなります。
要は「使う」ことではなく「使わない」ことで、どこまでITリテラシーを高められるか。
一度立ち止まって考えても良いのではないかということでしょうか。
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スマホは大変便利な情報ツールだが、その利便性の高さ故にスマホ中毒に陥る人がいる。社会への影響も大きくてモラルの崩壊も起きているようだ。著者は、現在起きている事件を提示し、状況を考察した上で、スマホを一時的に断じて自分を取り戻そうと提案する。スマホは道具なので、使い方については他人がとやかく言う筋合いではないと思うけれど、社会に迷惑を掛けないという意識を持つことは必要だと思う。
因みに自分は「何かしている時はスマホを見ない」という単純なルールを決めている。
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まあ、スマホはもってないし、そんなに見つめる時間もないのだが、最近のみなさんの様子を知るために読んでみた。
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スマホ、SNSについて書かれてて楽しかった!見られたい人たちと称してSNS依存のことを書いてたところが印象に残りました。ハロウィンの仮装がブームになったのはSNSが原因だとか、1人でいてもスマホを使って会話をしている、だとか現代社会の現状と問題を書いていて納得させられました。わたしもお休みの日に数日ずつでいいからスマホ断食したいなって思いました。
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人がネットに監視され、スマホに使われている。
私が常々感じていたSNSに対する違和感を見事に言い当てていた。
現代は知性よりも情報を価値あるものとしているが、私は知性を磨きたい。ネット社会では私は単なる薄いデータになってしまうが、私は実体のある人間であると言える生き方をしなければいけないと感じた。
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もう少し前に読むべき本だった
最近手元にないスマホ
かなり依存していたと思う
なくても不便ではないが、ないと不安になるスマホ
とても難しい問題だなと思う
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自動車社会になると、あまり歩かなくなるように、スマホを常時使っていると、
考えなくなるのは、至極全うな意見です。
便利なモノを手に入れると、やはり大事なモノが失われる。
これは、人間の歴史を振り返っても、一定の真実だと思います。
著者の藤原氏は、この大事なモノが何かという点で、論を進めています。
スマホ断食という提案は、私個人的には、かなり良いと思います。
スマホを使用する上で、メインが、チャット、動画、ゲーム、そしてポルノでは、
人生、正直損しているように感じます。
ただ、それらをしないと生死に関わるなら別ですが。
スマホの良い所か悪い所かわかりませんが、
上記のことをやっていると、
時間が経つのが、信じられないくらい速い。
この時間を、ある人は有益といい、ある人は無駄だと後悔します。
私の場合、後者です。
スマホの長時間使用による健康被害は、ブルライトや電磁波等で、
結構報告されていますが、規制はされていません。
「長時間使用は、やめよう!」ぐらいです。
しかし、スマホの使用が、人間の思考や想像力を奪う、云々になると、
これは、かなり厄介です。
スマホが登場してから、そんなに年月は経っていません。
経っていないのに、これだけ爆発的に普及しているのだから、
これは、人間にとって、よほど魅力的なものなんでしょう。
今までの電子デバイスで、これだけ、短期に普及したものは、ないでしょう。
既に、スマホは、水みたくなっています。現代社会にとって必要不可欠なものになっています。
これに、著者は、疑問を投げかけています。相当な度胸だと思います。
スマホの負の面は、かなりあると思いますが、自分の場合、これからも使用は続けます。
スマホ断食等は、非情に参考になり、
これからは、スマホとどう付き合うのかを真剣に考えたい思います。
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タイトルから言わんとすることは分かる。
内容の前に、文章の終わり方がバラバラで違和感があり内容があまり入ってこなかった。ちょっと残念。
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ハロウィンやサッカーなどで渋谷に人が集まったりするのも、スマホでの浅いコミュニケーションが横行したから。旅先や出かけ先の決め方は、行きたいところではなく、写真映えするかどうかになっている。
確かにそうかも
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「スマホ断食 ネット時代に意義があります」 藤原智美
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何かあるとすぐにネットで検索。止まらないネットサーフィンで、気づくと1時間。LINEの既読が気になって仕方がない…ネット漬けの日常から逃走し、「自分」を取り戻す。芥川賞作家によるネット社会批判。
「BOOK」データベースより
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スマホ。
放っておくとついつい手にとっていじってしまう、小さいクセにめちゃくちゃ吸引力のあるアイツ。
ちょっと前に「サード・メトリック」とか「サーチインサイドユアセルフ」とかマインドフルネスに関する本を読んで、感化されて、「デジタルとは距離をとろう」とか思っても、結局距離を取りきれない弱いワタシ。
そんなヘタレな私のマインドを定期的に戒めるためには、定期的に己に刺激を与えないといかん!
ということで読んでみました「スマホ断食」。
うむーーー(;´д`)
なんかなーーー。
基本的な考え方は同じなはずだし、目指すところも同じはずなのに違和感。
すんなり納得しきれない感が読んでて常にあった。
あくまでワタシの感覚でしかないんだけど、ひとつひとつの言い分に説得力がないように感じられてしまって。。
言い分が多面的じゃないといいますか、自分の正しさを主張したいがために、相手(この場合スマホとかデジタル世界の表現とか)のネガティブな面をメインにもってきてロジックを組み立ててる感じがちょっと好きになれなかったなぁ。
そのネガティブ面も、著者の所感が中心で、具体的なデータをもとにしてるわけでもないので、読んでてあんまり気持ちいいものでもなく。。。
スマホに対しての危機感とか、デジタル万歳な風潮への違和感とか、持ってる思いはそこそこ同じなはずなのに、すんなり受けとることができない。
これを読んでてすごく感じたのは内容よりも「伝え方ってやっぱりめちゃくちゃ大事なんだなぁ」ということ。
「サードメトリック」とか「サーチインサイドユアセルフ」などの本と同じようなことをいってるのに、気持ちの面での巻き込まれ力みたいなのが全然違った。
「スマホ断食」はスマホ&デジタル依存への危機感は煽るけど、それだけなんだよねぇ。
読み手が出来ることは「そうだなぁ」って思うか「うるせーな」って思うか、極端に言うとそれだけになりやすい。
「サードメトリック」とか「サーチインサイドユアセルフ」の本では、スマホと距離をとることがゴールではなくて、豊かな生活に近づくためのひとつの要素で、もっと先のゴールに焦点があたってる。
なので、危機感にプラスして、「私もやってみよう!」とか「今からどう変わればいいかな?」っていう前向きな思考に繋がりやすかった気がする。
デジタルへの危機感を共感する目的でならこの本はその役割を果たしていると思うけど、その先にまで人の心を持っていくにはパワーが足りないかもな、という印象でした。
伝え方ってホント難しいけど、リアルなコミュニケーションも書籍などテキストベースのコミュニケーションでも、ネガ��ィブな表現は最小限にしとくのが正解だな、という点は学びとしてあった。
否定や問題点だけで表現を終えるのではなく、その先の明るい未来もセットで言わないと子供にも大人にも伝わらない。
否定をゴールにしないよう自分も注意しなきゃ。
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スマホとあるがネットワークに常時つながることに警鐘を鳴らしている。
確かにネット文化により、文書の短文化、即答が求められ、よく考えることなどがないがしろにされていることは分かる。
自分のルールを持ち付き合うことが大切だろう。